唯一の絆・T

作:珠洲川 琉苡


※兄妹パロ



 真夏の太陽は発火するのではと思うぐらい、体に容赦なく熱と紫外線を突き刺してくる。

 うすい膜のような発熱剤を備えた服を一枚着ているのではないかという妙な感覚と、ひっきりなしに吹き出す汗を、彷徨は鬱陶しそうにタオルで拭っていた。


 夏休みの課題も殆ど終わり、一番手間のかかる自由課題を残すだけとなった彼は居間の時計に目をやりそろそろ昼食の時間と判るなり、ダルそうに腰を上げ台所へと移動する。


 「かなにぃ、おひる?」


 仕切り戸を開くと、まだ4歳の未夢が食卓のイスから彼へ嬉しそうな眼差しとともに声をかけた。

 保育園に入りたてで言葉をようやく使いこなせ始めた未夢だが、食い意地だけはすでに半人前以上らしく、読んでいた絵本を素早く棚に戻しぱたぱたと駆け寄ってくる。
 どうやら、冷蔵庫横に引っ掛けてあるエプロンを彷徨が身に着けようとしたことで、美味しいご飯の時間だとわかったようだ。

 彷徨は、そうだよと短く返し未夢の頭を撫でると小さく笑みをこぼし、食材を取り出して料理にとりかかった。



 当たり前のように中学生である彷徨が台所に立つのは、この家に本来昼食を作ってくれるはずの存在がいないからだ。

 寺の住職である父親は、お盆前であるにもかかわらず仕事でここ数週間は家におらず、母親は妹の未夢を出産後まもなく他界している。
 幼い頃からしっかり者だったという彼の個性もあるが、生まれてまだ母の顔もしっかり覚えられなかった妹を考えると、家事全般を自然とやり出すようになったのは当然の流れだったのかもしれない。


 「おひるなにー?」

 「未夢の好きなそうめんと、野菜の天ぷら」

 「おそうめーん!」


 中学生と保育園児が主に過ごすには少し寂しく広すぎる家ではあるが、自分達にとって親と言う存在が殆どいないこの家が唯一の帰るところなのだ。
 それを寂しさを理由に遠ざければ、余計に虚しく淋しい家族になってしまう。

 まだ大人への階段を上り始めた彷徨ではあるが、未夢の面倒と家事を中心に過ごすようになってから、自分を励ますかのようにその言葉を頭に確りと置いている。



 天ぷらの具材を切り衣をつけ油の中へと入れていく傍らで、彷徨より後方に立ち目を輝かせて見ている楽しそうな未夢を見るたびに、彼の責任感と妹への情は深まっていく。
 それは、兄としてはとても優しく穏やかで、保護者としては未熟ながら慈愛に満ちたものだった。


 「かなにぃ、未夢は?」


 あまりにも短いその言葉は毎日共に居る彷徨にしか解せないと言っていい位、要約されている。

 エプロンの裾を握り締め彷徨を見上げている未夢は、自分に何か手伝わせて欲しいという願いを瞳に含ませていた。

 揚がった具材の油を切りながら、彷徨は火元と未夢を交互に見ながら答える。


 「じゃあまず、あの白い皿を2枚だして。ゆっくりな」

 「はーい」


 明るく返すと未夢は小さな踏み台を引っ張り出し、慎重な足取りで二段ほど上る。ゆっくり腰をのばして棚に手をかけると、中ぐらいの皿を両手に一枚抱えてゆっくりと降りた。

 そして、彷徨の傍に置くともう一度同じように繰り返す。
 その様子を彷徨は視界の端に捉えながら、時折飛んでくる油に苦戦しつつも火を止めた。


 「ねー、おつゆのはどれー?」

 「その上だから、兄ちゃんが―――」

 「あ―――」


 少し狭い台所で、鈍く大きな物音が響く。


 振り向き様にバランスを崩した未夢を、ほぼ反射的に彷徨が抱きとめた。木製の踏み台は彷徨の手にあった菜箸と共に大きく倒れ床に伏した。
 鋭い音がしなかったことから、何も壊れずに済んだと知れ彷徨は小さく息を吐く。


 「・・未夢、大丈夫か?」

 「うん。・・・・・ごめんなさい」

 「ん、いい子」


 抱きくるめられた未夢には、一瞬だけ彷徨が顔を辛そうに歪めたのが見えたらしく、しゅん、と肩を落としながら素直に謝った。
 妹のこの素直さは前より変わらず、穏和で優しく真っ直ぐだった母の血を確りと継いだのだと、彷徨は思ってる。


 だからこそなのだろう、未夢が謝る時はその嬉しさからかついつい頭を撫でてやりたくなるのだ。



 手をつなぎ一緒に立つとほぼ同時に、彷徨は膝に小さな違和感を感じ眉根を寄せた。
 確りと立ち2、3回その場で脚を上げてみるが、さっきのは気のせいだったと言わんばかりに正常だった。
 彷徨は小さく首を傾げるも、何事もなかったように調理へ戻る。


 その後はトラブルもなく順調に進み、12時を少しまわった頃に西園寺家の食卓から嬉しそうな食前の挨拶が聞こえた。
























 料理に手慣れているのは両親が不在がちだったから。母が亡くなる前はごく普通の一般家庭だったのに。

 唯一無二の母親が居なくなってからは、父と一緒に家事と妹を対象に奮闘の日々だった。
 父も決して器用ではなくて、基本より若干上のレベルに到達してる程度で、彷徨にとっては0からでも1からでも同じようなスタートだった。幼すぎる妹と初めての育児に、今まで見るだけだった家事という大波が一気に押し寄せて。何度投げ捨てたくなったか。


 父も仕事のために毎日いるワケではない。ようやく齢が2桁になったばかりの少年は、小さいながらも自分の立場と環境に理不尽さと嫌気が差していた。


 「にぃに」


 なれない生活で自棄的になっていた自分を、ふわふわして柔らかくて頼りない声が掬い上げた。


 言葉を発したわけじゃない。ただ、父親がこっそりと教えていた言葉の音とイントネーションを、不安定で綿のような声が真似たのだ。おどろいて妹の顔を覗き込んだのは、今でも記憶に新しい。

 意味なんて解ってないはずの妹は、緑がかった大きな瞳をまっすぐ向けている。クセのように動かしている手足と、ぷっくらと膨らんでいる頬に挟まれた小さい口は、同じ言葉を繰り返しながら必死に自分をアピールしているようで。


 「―・・・」

 「に・・にぃ、にー、にぃに」

 「・・・正解」


 何でこんなに優しく聞こえるんだろう。見えているようで見えない答えも気にせず、彷徨は伸ばされた小さな手に指を絡ませた。

 触れた温もりは感じたことのない優しさとやわらかさをもっていて、思わず安堵の笑みがこぼれた。


 こんなにあたたかい気持ちになれたのが久しぶりだと気付くと、自分が馬鹿だったことに気付くのは容易すぎた。

























 「かなにぃ!」

 「は・・・」


 大きな声で現実に引き戻されると、目の前にはオレンジの物と未夢の不満げな瞳があった。
 完全に箸が止まっていたらしく、汁に沈むそうめんも其れをすくう箸も見事に静止しており、軽く手が痛む。


 「おきなさい、ごはんですよー!」


 カボチャの天ぷらが刺さっているフォークを、未夢は彷徨に向けて大きく振ってみせる。

 思い出に浸っていた兄が寝ぼけていると解釈した未夢は好物で起こそうとしているのだが、本人にはそう見えなかったらしく小さく眉を寄せられてしまった。


 「こら、食い物で遊ぶなって言ったろ」

 「かなにぃ、おかえりなさーい」

 「何だソレ・・・。いいから食べるよ」

 「ねね、かなにぃ」


 今度こそ食事を始めようと箸を持ち上げるが、それを遮って未夢は再びフォークを彷徨に差し出した。
 楽しそうに瞳を輝かせてカボチャの天ぷらを差し出す妹に、兄はようやく意図を掴む。


 「兄ちゃんに食べさせてくれんのか?」

 「うん。おとーさんにやったらぎゅーしてくれたもん」

 「・・・それは、ぎゅーもしろってこと?」

 「んーん。かなにぃはなでなで」

 無邪気な笑顔の妹は野に咲く花のように可憐で愛おしいのだが、何気なく告げられた言葉は少しトゲを含んでいるようで、兄の胸にピシリとヒビを入れた。


  ・・何で親父は抱きついていいのに、俺はダメなんだろ・・・


 本人にしてみれば、単純に兄の撫で方と手の感触が好きなだけなのだが、兄には自分と父親への好意の差に感じられた。

 そうとも知らずに、未夢は笑みを浮かべたまま机に身を乗り出して急かせる。小さな差別があろうとも妹の期待には応えるべきだと彷徨は自身に言い聞かせ、少しだけ身を乗り出してフォークごと口に含んだ。それとほぼ同時に、楽しげな笑みが嬉しげなものへと変わり、瞳の期待の色が濃くなった。


 彷徨は数回咀嚼すると、笑みを浮かべて未夢の願いどおり頭を撫でてやる。


 「うまいよ。ありがとな、未夢」

 「えへへー」

 「じゃあ・・・ほら、あーん」

 「あー・・・ん!」


 お返しにサツマイモの天ぷらを彷徨がさしだすと、未夢は大きく口を開けて満足そうに食べた。



 この昼食時だけでも数回未夢の笑顔を見たが、彷徨には一つとして同じ笑顔はないように見えた。少しの差ではあるが、物心ついた頃の子ども特有の繊細な心情変化は、瞳にまで及ぶ。

 それに気付いて以降、彷徨は未夢の感情を読み取ることに興味を抱き、今では一番妹の感情が解っている。
 2人しかいないから当たり前といえばそれまでだが、1人しかいない兄妹なのだからと彷徨は心の中で唱えていた。






















 「・・ねー、未夢さあ、遊んでてもいい?」


 昼食が済み、雲行きが怪しくなってきたのは午後の2時をまわった頃だった。念のため洗濯物を取り込もうと、彷徨は洗濯籠をもって庭に居た。
 その後ろにくっ付いてきた未夢は、両手を後ろでくみ控えめに彷徨に尋ねた。


 普段、危ないという理由または自身の手がふさがりがちだという理由もあり、彷徨は未夢をあまり外に出したがらない。
 可能な限り元気に走らせてやりたいのだが、中学生ともなるとそれなりにやることもあり上手くいかない現実がある。だが、今日は少し余裕があるため、彷徨は仕方なさ気に小さく肩をすくめた。


 「あんま兄ちゃんから離れるなよ?」

 「・・んー!」


 少しだけ曖昧なニュアンスで返事をすると、未夢は即座に自分のおもちゃ置き場まで駆けて行った。それを見送った彷徨は、降りそうな空を一瞥してから取り込みにかかった。

 すると直後に、本道の階段に持ってきておいた子機が鳴り出す。甲高い電子音に一瞬怯み、慌てて通話ボタンを押すと耳元から良く通る親友の声が突き刺すように届く。


 『かぁなたあぁぁぁ! 夏休み満喫してるかあぁぁー?』

 「―――・・・っ! ・・三太! 声デカイぞ!」


 キィィンという見事なまでの耳障りな音を打ち破るほどの親友の声が、彷徨の耳朶を激しく打った。反射的に離した子機からは通常の3倍ほどの音声が漏れており、周囲に反響したため尚一層うるさく聞こえる。
 何度注意しても一向に直らない親友の悪いクセに怒りを抱きつつ、いつも通りの趣味全開な話を適当に聞き流す。

 彷徨としては大した興味のない“トリのレコード”や“宇宙人”の話は毎度見事な一方通行で、止む気配は微塵もない。しかしながら、繰り返し話されるために頭が自然とそれを記憶してしまい、すっかり話が分かるようになってしまった。そんな自分に長く重いため息をつきながら、適当に嘘をついて誤魔化しいつものように電話を切った。


 ディスプレイに表示された時間は思いの外長く、慌てて洗濯物を籠へと入れ始める。


 「――・・・あ」


 ふと、頭上でゴロゴロという音が聞こえた。

 音の大きさから言ってまだ近くではないだろうが、雨はこの後確実に降ると見ていいだろう。
 手早く全ての衣類を取り込み子機を広うと、彷徨は未夢のことを思い出しておもちゃ置き場の方へ声をかけた。


 「未夢ー、雨降りそうだから入るぞー」


 荷物を縁側に置き、声をかけたほうへ駆け寄る。しかし、いつもすぐに届くいい返事はなく、境内には反響した彷徨の声しか聞こえない。

 不思議に思いおもちゃ置き場を見渡すと、そこには整然とおもちゃがあるだけで人影はなかった。


 「あれ、未夢・・?」


 見つかるはずの場所で見つからない妹に、兄の心臓は一瞬不気味に跳ね上がった。
 灰色の雲と真っ青な空の向こうで、雷がまた小さく呻りをあげた。













サイト閉鎖にともない移行しました、第2弾の前半。
ちょっと地味っぽいのですが、兄妹ネタとしては一番書きたかったブツ。

脳内でクオリティ+120%しながら読んで頂けるとありがたいです。



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