作:珠洲川 琉苡
※姉弟パロ。Tの続き。
白い部屋に無機質な音が一定のテンポで響き、モニターに鼓動を映し出している。
その様子を医師は確認するように見つめると、小さく息を吐きながら未夢に布団を掛けなおした。
「・・・まず、命に別状はないからね」
優しい笑みで医師がそう告げると、彷徨は少しだけ頬を緩ませて息を吐き出す。
モニターを見ればある程度の安堵感は得られるが、医師の言葉に宿る安堵感はそれを遥かに上回る。
無言ながらもほっと胸を撫で下ろす彷徨に、医師は続けた。
「ただね、お腹の脇の怪我がちょっと酷いから、5日ほど入院しなくちゃならないんだ」
「え・・・」
「検査に時間がかかるんだよ、申し訳ないがね」
「・・・、退院すればもう平気・・・なんですよね?」
確かな保証を求めるように、彷徨は医師の瞳を見つめる。
検査のための入院なのだから、先ほどまでのような危険性は大して高くない。怪我と言っても手術ほどの治療をするわけでもない。
頭ではそう理解しているのに、“入院”というだけで彷徨の顔色は再び負の感情で染まり始めていた。
命に別状はないと今さっき聞いたばかりなのに、入院するというだけで事故直後のような不安感が彷徨にのしかかる。
そんな彼の肩に優しく手を置きながら、医師はまた笑みを見せた。
「うん。また一緒に学校へ行けるよ」
それは彷徨にとってごく自然かつ些細なこと。だが、今の彼には一番完治を実感できる言葉だった。
たったの数時間の間に起こった事故は、彷徨にとっての現実でありながらも現実味がないこと。
テレビの中でしか見ないようなことが、自分を中心に目の前で繰り広げられ呑まれそうな恐怖と不安に襲われながらも、それを夢の様な感覚で見てしまっていた。
予想外の展開に意識がついていかなかったのだろう。
だが医師による手当てを見守っていた時、出血している箇所が目に映ると途端に現実が容赦なくのしかかってきた。
今、目の前で点滴を受けている未夢は、彷徨の現実。
そんなくらい現実を、医師の言葉がゆっくりと明るく照らし出す。何でもない事なのに、とても大切なことのように。
「とりあえず、目が覚めるまで傍にいてあげてね。先生、また来るから」
「・・・はい。ありがとうございました」
看護士たちと病室を後にする医師を、彷徨は出来る限りの笑顔で見送った。
少し重めのドアが閉まると、部屋は再び無機質な音だけの空間となった。いくら病室といえど、閑散としていれば気分が更に落ち込みそうになる。
彷徨はまだ午前中なため、燦々と差し込む柔らかい日差しを入れようと真っ白なカーテンをそっと開けた。
シャラ、とカーテンを開ければ暗い現実まで明るく照らしてしまいそうなほどの、あたたかい光。
彷徨は一瞬目を瞑り、今度は手を翳しながら見据えた。
青空の綺麗さに負けないぐらいの光を齎す太陽は、ほんの少し彷徨の気持ちを楽にしてくれた。だが、見ていて辛くなったのだろう、すぐに目を逸らし傍らの椅子へと腰掛けた。
椅子の反対側にはさっきよりもテンポが速くなったモニターが彷徨を見ている。それは、未夢が無事だという何よりの証拠。
だが、それ以上に彷徨の脳内を占めているのは、眠ったままの未夢だ。
「・・・・・」
頬と額の傷や、布団の下に隠れた腹部の包帯に腕の擦り傷。手当ての時にみた傷一つ一つは、想像以上に彷徨の目に鮮明に映され脳裏に残っている。
浅いものから深いものまで、一つずつ。
・・全部、俺の・・・・せい・・
現実の言葉は子どもの心だろうと深く傷をつけ抉っていく。
あの時。自分が周囲をよく見ていたらこんな事は起きなかった。
自分が轢かれるはずだったのに、それを命懸けで躊躇うことなく庇った姉。
いつも口うるさく妙に過保護で子ども扱いする、少しだけ大人びた姉。
それを傷つけ痛い目に遭わせてしまった。自分の不注意で。
「・・・・姉貴・・っ」
こんなに大きな罪悪感で涙を流すのは、初めてかもしれない。
堪え切れない涙が頬を伝い始めると、彷徨は唇を強く噛み締めて俯いた。
ドラマのような事故。血を流し目を開けない未夢。ただ見守ることしかできない自分。
すべてに共通しているのは体感したことのない罪悪感だけ。まだ12の彷徨でも解るそれは、謝っても到底足りない重いものだ。
それでも謝りたくて仕方ない自分の気持ちを伝えるかのように、彷徨はそっと布団から未夢の左手を取り握り締めた。
わずかな温もりが感じられる手は、震える両手を癒すかのように優しい。
「・・・っ・・・ねー、ちゃ・・」
ごめん、ごめんなさい。何度も何度も心の中で繰り返す。
言葉にしなくちゃ意味がないのに、口を動かしても声は出てこなくて。その情けなさに、罪悪感は更に膨れ上がり胸を締め付ける。
子どもっぽさが抜けない嗚咽と鼻をすする音が部屋に響くと、不意に未夢の指がわずかに動いた。
「! ・・っ、姉貴・・?」
彷徨がそっと呼びかけると、閉じていた瞳がゆっくりと開きその碧色をはっきりと覗かせる。
そして、彷徨に目をあわせると柔らかい笑みを浮かべた。
「・・・・おはよ、彷徨」
「っ・・・・っはよ・・」
一時はもう聞けないかもしれないと思った声が、はっきりと耳に届くと彷徨は握ってる手を額に当てるように近づけその温もりを確かめるようにぎゅっ、と握りなおした。
彷徨の見事に震えた声に、未夢は指をを彼のものに絡めた。
自分の無事と存在を伝えるように、そっと力強く
「・・っう・・・くっ・・・」
静かだった部屋再びぎこちない嗚咽だけが響き渡る。
一度弱まった涙腺からは、ぽたりぽたりと安堵と嬉しさと謝罪の涙が零れ落ちていく。
本当に生きていてくれたことにほっとして、
笑って声を聞かせてくれたことが嬉しくて、
酷い目に遭わせた事がすごく申し訳なくて。
いつもなら気恥ずかしくてすぐに泣き止むのに、今回はそんなこと出来なくて彷徨はただただ嗚咽を洩らす。
もしかすると初めて見るのではと思うほどの彷徨の泣き顔に、未夢は小さく笑う。
「・・・そんなに心配してくれたんだ・・?」
「っ・・・、あた、り・・前だろっ・・」
「お姉ちゃんが死ぬと思った?・・・」
汗ばむほど握り締められた手をゆっくりと離し、彷徨はスラックスを掴んだ。
しっかりとアイロンをかけてあった制服が皺になり、涙のあとがしみになっていく。
「――・・っく・・・、怖か、った・・」
「・・・――」
消え入りそうなほどの声は、彷徨を襲った恐怖の大きさを物語っていた。
その見た事のない彷徨の泣き様は、姉としての未夢の気持ちに大きな打撃を与えるものだった。
「ガキは、私か」
「・・・え?」
自嘲気味に笑いながら呟かれた言葉に、彷徨は俯いていた顔をふっと上げた。
「弟にここまでの心配かける姉は、失格だねってこと」
「・・な・・」
「滅多に泣かない彷徨がこんなに泣いてるんだもん。かなり不安にさせたんでしょ?」
「・・・・、だけど」
「弟に心配される姉なんて、立派な姉じゃないと思うし」
心配かけて、ごめんね。
苦笑しながら素直にそういう未夢は、どこか弱々しく見受けられる。
だが、彷徨はその言葉に怒った様に眉を顰めた。
「んなワケないだろ・・!」
「・・・彷徨?」
未夢が不思議そうに声をかけると同時に、彷徨は勢い良く立ち上がった。
「弟を庇うために躊躇わなかった姉が、失格なわけないだろ?!」
「・・・!」
「俺の不注意で姉貴怪我してんのに、怒りもしないで・・・っ」
「彷徨・・・」
「俺がっ・・悪いのに、な、んで・・・」
椅子が放った金属音などもみ消すかのような、重みのある叫びが部屋に反響した。
吐き出したかった気持ちを存分に吐いた彷徨の目には、再び涙が浮かんでいる。
全てのきっかけは自分の不注意なのに、未夢は起きてからずっと笑顔で怒りの言葉の気配すら放っていない。
責められるべき、叱られるべき立場なのに。責めて、叱りつけて良い立場なのに。
なのに、心配かけてごめんなどと謝られるなんて、泣きたいぐらい申し訳なくて。
立ち上がったまま俯く彷徨は、まるで親に叱られた子どものよう。
「・・・・俺のが・・っ、ガ、キ・・だよ」
「・・・」
差し込む日光が一段と強くなり、彷徨の琥珀色の髪を綺麗に照らす。そして、零れ落ちる涙を時折、宝石のように輝かせて見せた。
その姿は、悔しさと哀しさと謝罪の気持ちで満たされている。
未夢は静かに暫し見つめた後、小さくベッドを軋ませながら上半身を起こした。
「! 姉貴、起きちゃ」
「大丈夫、へーき。・・・、おっきくなったね、彷徨」
予想外の言葉に彷徨の涙は今度こそ止まり、思わず口が半開きになる。
鼻先を赤くして目を見開く彷徨に小さく微笑みかけ、未夢は続けた。
「今までこんなにお姉ちゃんのこと、想ってくれたことないじゃない」
「・・・、」
「そりゃあ今日のは大事だったからかもしれないけどさ」
「姉貴・・?」
「・・今日の彷徨、私より大人に見えた」
まるで実の親のような慈愛に満ちた眼差しは、中学生のものとは思えないほど優しい。
かすかに逆光している金髪は春の日差しの所為かやわらかく光り、彷徨の目を奪った。
――大切に思ってくれて、ありがとう――
あたたかい未夢の表情からそう読み取ると、彷徨の頬がゆっくりと緩んだ。
「――・・・そっか」
短くて素っ気無く思える言葉は、穏やかな笑みに全ての想いを託していた。
小さく胸を締め付けていた些細な言葉は、春の日差しの下、ゆっくりと消えていった。
ほっこりとあたたかいものを2人の間に残しながら。
移行第1弾の後半。
いまだに正直消化不良なのですが、私ではこれが限界のまとめ方であるのも事実で・・・。
みゆちゃんはどんなポジションだろうと優しく広い心を持ってると信じてるよ!
そして彷徨はどんなポジションだろうと根底にあるのはツンデレだと信じてるよ!←