作:あかり
夏休みが終わって、最近朝夕は少し肌寒い。未夢なんて、時々カーディガンを羽織っているくらいだ。けれど、昼間はまだまだ暑くて、その気温の変化に体が少しだるくなる。体育祭は来週で、体育祭実行委員に団の応援団・・・しなければならないことが目白押しで、正直なところ少しくたびれたと思ってしまう。
今日も、体育祭前の最後の休みだからと応援団の練習に学校に来ている。3年生は、中学最後の体育祭に指導に熱が入っていた。気持ちは分からなくもないけれど、少しだけ窮屈な思いになる。昼ごはんの休憩の後、2時間続きの練習。それこそ、滝のように流れ出した汗で、張り付いたシャツが気持ち悪い。「熱中症になる前に休みなさい。」そう言ってくれた様子を見に来た先生が、一瞬、菩薩様のように見えたのは多分俺だけじゃなかったはずだ。
「15分休憩な。」
先生が帰った後、告げられた言葉。隣から聞こえた小さなホッというため息、横を向くと、力を抜いてだらけた肩の三太と目があって苦笑してしまう。「彷徨、日陰行こうぜ。」そう言って指差されたのは、校庭端に並ぶように植えられている木の木陰。返事をするのも億劫で、うなずいて歩き出す。他の応援団の連中も、それぞれ思い思いの日陰になっている場所で休んでいる。
少しでも、涼をとりたくて足を伸ばしてペタリと座る。体操服が汚れることなんて、知ったこっちゃない。木陰に入って、射すように照らしていた太陽から逃れたけれど、体はまだ熱さを保っている。そして、のどの渇きが水分不足の赤信号を鳴らしている。かばんに手を入れると、外より少しひんやりした空気に触れる。
「凍らせてから持っていったらいいよー。」
そう言って、ニコニコしながら昨日未夢が準備してくれたペットボトル。かばんは密閉されていたとはいえ、氷はもう全部溶けてしまっていた。けれど、中身はほんのりまだ冷たさを保っていて、喉の奥を通り抜けて、熱くなった体を冷やしてくれる。
ホッと一息ついて気を抜いた背中越し。ここにいるはずのない、けど、よく知る声に名前を呼ばれた。
「彷徨、お疲れ様。」
聞きなれた少し高めの声。振り返ると、案の定フェンス越しにルゥを抱いた未夢がいた。
「どうしたんだ、急に?」
困ったように笑っている様子に、また、何かトラブルにでも巻き込まれたのかと心配になる。お人よしで、おせっかいで、困っている人がいるとつい首を突っ込んでしまう未夢。何かとトラブルに巻き込まれることが多い。それこそ、ご近所から宇宙まで幅広く。そして、トラブルに巻き込まれて進退窮まったとき、発せられる困ったように出される自分の名前。優越感と誇らしいような気持ちが湧き上がってくるから困ってしまう。『この気持ちがどこから来ているか』なんて、分かりきっているけれど、大事な家族だと言い聞かせて目をそらしている。
「それが、ルゥ君の機嫌が悪くて。ほら、最近なかなか彷徨と一緒に遊べてないじゃない。だからみたいで。今日も練習って言っていたから、散歩のついでにちょっと寄ってみたの。ほら、ルゥ君。彷徨いたよ、良かったねぇ。」
返された言葉は、何てことない内容で拍子抜けしてしまう。抱っこされているルゥは、「パンパ。」なんて俺を呼んでご機嫌だ。でも、しばらくすると、フェンスをはさんで向こうとこちら。抱っこをしてもらえないと気付くとフェンスを握って、目に涙を浮かべてしまった。甘えるようにもう一度呼ばれる「パパ」の言葉に未夢と顔を見合わせてしまう。
こちらを伺うように見ていた三太が、向こうの角からならは入れるぞと教えてくれたから、フェンス越しに並んで歩く。教えてくれた三太の顔が、いつもよりニヤけていたように見えたのは、多分見間違いじゃないはずだ。後からのからかいを考えると頭痛がしてきそうだったけれど、行って来いよの言葉に今はありがたく従うことにする。
「あっちから入ったら彷徨に抱っこしてもらえるからね。」そう言って、ルゥをなだめている未夢。包むような笑顔にほっとする。でも、ほっとするのと同時に、周りから寄せられる刺すような視線にため息をつきたくなる。
この表情を知っているのは、自分だけのはずだったのに。
フェンスの隙間を隠すように植えられている、大きな木の木陰。「やっぱり日陰は涼しいねぇ。」なんて言いながら顔を見合わせた後、「ルゥくん、お待ちかねの彷徨の抱っこだよ。」そう言ってこちらに手を伸ばすルゥを手渡された。
「ルゥ君、良かったねぇ。彷徨の抱っこと高い高い久しぶりだもんねぇ。」
「きゃあ。」
抱っこをすると、汗を吸った自分のシャツが気になった。そもそも、喜んで手を伸ばしてきたはずのルゥが、汗に濡れた服に触れたとたん「る?」と妙な顔をしたから、未夢と一緒にプハッと空気が漏れ出してしまうほど笑ってしまった。だからこその、ルゥのお気に入りの高い高い。何度か抱えた後にぐるぐる最後に回ると、とたんに笑顔になる。疲れていたはずなのに、一緒に遊んでいると不思議とそれを感じない。
「甘えん坊だな、ルゥ。どうしたんだ?」
ひとしきり遊んで、未夢に渡す。機嫌よく、パンパと名前を呼んでもう一度とねだるように伸ばされる小さな両手。落ち着かせるように、クシャリと未夢とよく似た金色の髪を撫でる。にっこりほころぶように笑う様子は、赤ちゃんだけが持つ天使の笑顔というやつだろう。こちらまで、頬が緩んでしまう。
「すごいね、彷徨。ルゥ君、あっという間にご機嫌になっちゃったよ。」
「未夢が遊びに行った日は、これの比じゃなかったぞ。」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。なぁ、ルゥ?」
「きゃーあ。」
分かっているのかいないのか、キャッキャと笑顔のルゥにつられて笑い声が漏れてしまう。そろそろ休憩時間も終了のはずで、もう少しここにいたい気持ちをルゥの柔らかな髪をクシャリとひと撫でして払う。
「そろそろ、もどらないとな。」
左右に首を振って、伸びをする。上を見上げると、重なり合っている葉っぱの隙間からもれる柔らかな光。グラウンドの太陽はあんなにも強く肌を射したのに、葉っぱの間をすり抜けるように照らす太陽の光は柔らかく、熱いというより暖かで。ちらりと舞う光が、あたりをきらめかせているかのように見える。
「綺麗だな。」
口をついて出たのは何てことない言葉。「ん?」なんて言って同じように上を見上げた未夢が「ほんと、綺麗。」そう言って、とけるように微笑む表情は、とても穏やかでそれでいてとても綺麗で、ずっとこうしていたいと思ってしまう。
「かなたー、休憩終わるぞー。」
さえぎるように響いたのは三太の大きな声。ふわりとした空気はどこかへいってしまい、残っているのは、残暑の蒸し暑さ。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。」
もう一度なだめるようにルゥをひとなでして未夢に告げる。「うん。彷徨も、頑張ってね。」笑顔で告げられる言葉に、これならまた頑張れるなと思う。我ながら、単純だと思うけど。
「あ、忘れてた。」
じゃあねと手を振ってフェンスへ向かっていた未夢のつぶやき。くるりと向きを変えて、「はい。」と渡された冷たい麦茶。
「差し入れも持ってきてたんだった。もう、飲みきっちゃったかもなぁと思って。それと、ワンニャーが、今日はカボチャのコロッケにしますねって言ってたからね。練習、終わったら早めに帰ってきてね。ルゥ君も待ってるからね。」
最後にルゥと顔を見合わせるように告げられる待ってるねの言葉。「も」ってことは、未夢も一緒に待ってくれているということなんだろうか?なんて思って頬が緩む。
「そりゃ、早く帰らないとな。」
「カボチャ効果絶大だ。」
クスッと笑って今度こそじゃあねと去っていく後姿。木陰からもれる光が舞って、白いワンピース姿の未夢をやわらかい光に包まれているように見せる。帰りたい理由はカボチャじゃなくて・・・。分かっていない未夢に苦笑がもれる。
「かなたー。」
痺れを切らしたようにもう一度名前を呼ばれて、今度こそ未夢とルゥに背中を向ける。
どこか満たされたような感覚に、頬が緩んでしまうのをどうしても止められなかった。