時間

作:あかり





ここに初めて来たのは、いつのことだっただろうか?




はじめは道端で屋根しかなかった。たまに通る人々に供物をもらい、旅の無事を祈っていた。
人々が過ぎ去った後、しばらくして森の中の動物たちが、やってきたときに食べ物をすすめると皆喜んで食べてくれた。
あるときは、小さな子供が飢えから供物を持っていったこともあった。泣きそうな顔で。
いいのだよと風に乗せて伝えようとしたけれど、声は届かなかった。「ごめんなさい、ごめんなさい。」そう謝る声に、息災に生き延びて育ってほしいと願った。小さな子供には生きにくい時代であったから。
それから何年もたって屋根は朽ち果て、野ざらしになった頃「お地蔵様、あの時はほんにすまないことをしました。ですが、おかげさまでここまで生きながらえることが出来ました。これは倅と孫です。」そう言って白髪交じりの体格のよい男が一人とよく似た面差しの男が一人尋ねてきて、お堂を建て直していった。以前よりも一回り大きなものに作り変えて。一緒にいた小さな子供は、どことなく遠い日にごめんなさいと泣きながら立ち去った子供の面影が見えた。
良かったとそして、ありがとうと伝える。以前と同じに風に乗せて。「じさま、ととさん。地蔵様笑ってる。じさまと、ととさんが作る家が嬉しいんだな。」そう屈託なく笑う子供をびっくりしたように年配の男は子供をみてクシャリとおおきくなでて、「そりゃ良かった。お礼参りだからよ。」と朗らかに笑った。

しばらくして、朽ち果てていたお堂が急に大きくなったことで、道行く人は初めたいそう驚いていた。仏様の御技であるといい、またしばらくすると近くにお寺が経った。しばらくすると、住み込みで人が住むほどに。住まうものはみな丸坊主の男で「お坊様」と呼ばれていた。みな、出かけるとき、戻ってきたときには手を合わせていかれる。道行く人だけでなく、それからしばらくすると、そのお寺にみな出入りするために私の前を通るようになった。それでも、以前と変わらず、供物を置いて、息災を願って次の場所へと移っていった。戻ってくるものもいたし、僧でないものもいた。そうして、何年も経つと道として使われることはなくなり、いつしか寺にいくための参道と呼ばれるようになった。




もっと時間が経ち、戦乱の世はいったんは終わりを告げた。飢饉が訪れないわけではなかったけれど、争いはぐっと少なくなり血を流したものが逃げてくることはなくなった。
良い時代が来たのだなと思った。供物は動物たちの良い食べ物となったし、子供たちが読み書きを習いに寺にやってくることもあった。貧しくとも屈託なく笑いあう様子をみているとこれが続くようにと祈っていた。
しかし、再び戦乱の世は再びやってきた。以前よりも大きなものが。
寺を訪れるものは以前と比べて減り、やってくるものの身なりも変わっていった。そうしてしばらくした頃、空が赤く焼ける日が続いた。空も、そして、町も。寺には再び逃げてやってくる人々が増えた。頭には頭巾をかぶり、前に見た着ていた色鮮やかなものとは異なる白や黒に紺の服。そして、子供たちの顔から笑顔は消えていた。屈託なく笑うことなく、おびえていた。以前おそった飢饉の頃のようにほそい体。供物はなく、分け与えることも出来ず、出来ることはただ生き延びてくれと願うことだけだった。
戦乱の世は長く感じたが終わりを告げた。私の前で事切れてしまったものが今までもいなかったわけではない。それでも、その期間に亡くなったものはそれ以上に多かった。それでも、戦乱の世が終わりしばらく経ったころ小さな子供がやってきて「お地蔵様が守ってくれたって母ちゃんが言ってた。ありがとう。」そう言って、野に咲く小さな花を持って手を合わせてくれた。手を合わせた後、にこりと笑ってくれた顔は忘れることが出来ないくらいまぶしかった。息災でいてほしい。生きにくい世を生き延びたのだから。亡くなったあまた多くの命がちっていったけれど、それでも生き延びたのだから。健やかに、どうか健やかに。



そうして、幾年かたたぬころ一人の若い僧がやってきた。
その面影は花を添えていった小さな子供を思い出させた。そして、彼も「地蔵様、こちらに戻ってきました。覚えておいででないかもしれませんが、あなたに守っていただいた子供です。」そう言って丁寧に手を合わせてくれた。そうして彼にも子供ができ、宝生と名乗るその子供も大きくなり妻をめとり戻ってきた。瞳さんという彼の妻はやわらかく笑い、毎日手を合わせてくれた。彼らの子供が生まれる前にその父は亡くなってしまったが、彷徨と名づけられた彼の孫は小さな頃、手を合わせていった彼をどことなく思い出させた。
宝生のときにも見られた幸せな光景は長くは続かなかった。瞳さんの顔色が優れない日が続き、ある日、「お地蔵様、病院に入院することになってしまいました。・・・彷徨や宝生さんのことお願いしますね。」そう言って、いつも以上に丁寧に手を合わせて出て行った。お地蔵様が見守ってくださるから大丈夫ですねとそう言って笑う顔は病に蝕まれている体だというのに壮絶に美しかった。頼まれたからというわけではないけれど、彷徨が外で遊ぶときには元気かねと息災に育っておくれと声をかけた。彷徨には私の声が聞こえるようで、不思議そうにこちらを向いて「げんき。だぁれ?」と答えていた。宝生にお地蔵様だよとおしえられると「おじぞうさま、おじぞうさま。」とニコニコと手を合わせて「かーさん、いまいたいのとんでけーってしてるんだよ。おじぞうさまとってくだしゃい。」まだ、うまく回らないその口で出されたことは親子そろってお互いのことで、私は泣くことは出来ないけれどふと泣きたいとはこのような気持ちなのだろうかと思った。そんなことがあってしばらく経ったころ、瞳さんは息を引き取った。
寺の音はなくなってしまったかと思うくらい静かだったし、くったくなく笑っていた彷徨からは笑顔が消えた。宝生からも。それでも、出かける前帰ってくるときには「いってきます」「ただいま」と手を合わせてくれた。笑顔が見えなくなった二人に元気かとたずねることはもう出来なかったが、息災であれとはずっと、ずっと願っていた。

笑顔がいつか戻るようにと。

そうして幾年かたったころ少女と小さな赤ん坊がやってきた。そして、彷徨にも笑顔が戻ってきた。初めは不器用に笑っていたのに、しばらくすると屈託なく笑う声が聞こえてくるようになった。西園寺に音が戻ってきた。
よかったな、彷徨と久しぶりに風に乗せる。
幼い頃の面影を残したまま、にこりと笑ってコクリと首がたてに動く。そして、ルゥと呼ばれる小さな赤ん坊に「お地蔵様だよ、ルゥ。俺たちを見守ってくれてるんだ。」そう言って小さな手をつつんで手を合わせた動作は、宝生が小さな彷徨にして見せたのと重なって見えた。そして、隣に座る未夢と呼ばれる少女が「ルゥ君のことお願いしますね。」と手を合わせたのは以前みた瞳さんの様子とそっくり同じで、この風景がずっと続いていってほしいと願った。
私もやはり以前と同じように、息災であるように健やかでありますようにと祈りをこめた。








私にとっては遠くない未来、訪れる彷徨や未夢ルゥとの別れ。それでも、彼らがここを去るまでは健やかであるように祈り続けようと思う。それが私に出来るたった一つのことなのだから。















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