守人

作:ささめ






― 大好きな人の傍にずっといられますように。


チャリン!チャリン!
人のいない境内に、小銭の転がる音が軽く響く。
その音が止むのを待って、私は両手を静かに合わせた。
「ねぇ、瞳は何をお願いしたの?」
隣で一生懸命お願い事を呟いていた親友の問いに、私は少しだけ答えるのを躊躇った。
お賽銭10円にしては少しスケールの大きいお願いをしてしまったから。
ご利益のよくあるお寺だからって、ちょっと欲張ってしまったから、少しだけ気恥ずかしい。
それでも、親友のきらきらした目に抗えなくて、私は口を開く。
「んー、好きな人の傍にいれますように・・・って。」
「瞳、好きな人いたっけ?」
「それも含めてお願いだもん。未来は?」
「私は、宇宙飛行士になることと、宇宙人に会うことと、それから好きな人の赤ちゃんを生むこと!女の子だったらお揃いのお洋服着るんだー。」
神さま、欲張りだったのはどうやら私の親友のようです。
「未来、お賽銭いくら投げたっけ?」
「え?10円だけど?」
その答えに、私はお財布のなかから50円玉を引っ張り出してもう一度お賽銭箱に投げ込んだ。
神さま、お賽銭、上乗せするのでどうか未来の願いも叶いますように。
ついでに私の願いも叶ったらうれし・・・
「あ、瞳!あの人に写真撮ってもらおう!すいませーん!」
「ちょっ・・・!未来!?」
まだお願いの途中の私の腕を、未来はぐっと引っ張った。
石段を、未来につられて転がるように駆け下りる。
私たちと同じような、制服姿の修学旅行生が、すれ違いざまに目を丸くする。
写真、この子達に頼めばよかったんじゃ・・・?


未来が声を掛けたのは、私たちより少し年上くらいの、お坊さまだった。
厳しい修行を積んでいるだろう精悍な顔立ちが、すごく頼もしそうだ。
「何か、御用ですか?」
落ち着いた雰囲気の声に、思わずぼうっとなってしまいそう。
「写真いいですか?」
「ああ!もちろん構いませんよ!・・・さ、どうぞ!」
声の雰囲気とは真逆に、お坊さまは不思議なポーズをしてくれた。
「え?あの・・・?」
あまり物怖じしない未来が、カメラを持ったまま戸惑っている。
「当寺の半跏思惟像のポーズはお気に召されませんか?では・・・」
ああ、この人は自分が写真を撮られると思ったんだ。
声と容姿と、教科書でみた仏像とは似ても似つかない彼のポーズに、思わず口元が緩んだ。
「ぷっ・・・くすくす・・・」
「え?瞳?」
「な、何か?」
いきなり笑い出した私に、目の前の二人が戸惑う。
「ごめんなさい。お坊さま、ご一緒に写真、お願いしてもいいですか?」
「あ!ええ、私でよろしければ。」
お坊さまはやっと自分の間違いに気付いたみたいで、照れくさそうに片手を頭の上に置いた。
「いきますよー。」
何かを察した未来が、私たちから数歩下がって、カメラを構えた。

カシャッ!

時間を切り取るようなカメラのシャッター音。
「ありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ。」
精悍な顔つきが緩んで、優しい目が私を見下ろしていた。
その目に引き込まれるように、私は自分でもびっくりするようなことを口走っていた。
「お坊さま、写真を送ってもいいですか?」
「はい、もちろん。楽しみにしています。」
お坊さまの優しい目が、嬉しそうに細くなった。
とくん、と心臓が音をたてた。
私はもう一度頭を下げると、私の言動に同じくびっくりしているらしい未来の腕をとって足早にその場を立ち去った。
頬が熱くて、とてもこの場にいられなかったから。


この日の願いが叶うことを私が知るのは、これからもう少し先の話だ。
ただの修学旅行生が、記念に旅行先のお寺のお坊さまと写真を撮っただけ。
観光地のお寺なら毎日、毎時間繰り返されているかもしれない、そんな些細な出来事。
それでも、本当にお坊さまが写真を楽しみにしてくれているような気がして。
私は勇気を出して写真を郵送した。
未来に励まされて、一生懸命綴った手紙に、しばらくして返事が返ってきた。
お坊さまの名前が宝晶ということを知った。

これが、はじまり。

それから、何度も何度も手紙を送った。
何度も何度も返事が来た。
息を詰めてポストの中身を確認して、手紙が来ると鼓動が速くなるのを抑えて部屋に戻った。
手紙を読み終わると、力を使い果たしたみたいに、ベッドに身体を投げた。
羽毛の布団に少し埋もれながら、大きく息を吐いた。
ふわふわした、幸せな気持ち。
心臓だけが、まだ力を持て余しているみたいに、いつまでも跳ねていた。
宝晶さまも、私の手紙を読んで、少しでも幸せな気持ちになってくれたら。
私の手紙を読んで、優しく目を細めてくれたら。
そう考えるだけで、私はとても幸せだった。
神さま、もしあの時の願いを叶えてくださるなら、私はこの人の傍にいたいです。
そんな風に願った。



◇◇◇



時間が経った。
信じられないことに願いは本当になって、私は真っ白な着物に袖を通した。
白無垢。
しあわせの白。
宝晶さまのための、白。
着物と同じくらい白く塗られた私の顔に、ひと筋の線を引くように、細い指が紅を付けてくれた。
角隠しをそっと押し上げると、目にいっぱい涙を浮かべた未来が見えた。
「瞳、おめでとう!」
「ありがとう。」
「幸せに、なってね。瞳は、いい子だから、幸せに、ならなきゃ、だめ。」
震える声に、頷く。
私も、言葉が出てこない。
言葉に詰まった私たちは、どちらからともなく抱き合った。
ふわりと暖かい彼女の体温が、着物越しに私に伝わる。
まるで、お日様みたい。
いつもにこにこ笑っていて、周りまで温かくしてくれる。
あなたは、私の憧れ。
そして、かけがえのない、私の親友。
「ありがとう。」
大事な大事な親友に、私はもう一度そう言った。
「・・・ああ、きれいだ。」
そっと部屋に入ってきた宝晶さまが、未来に抱きしめられたままの私を見て、優しく声をかけた。
出会った頃と変わらない、優しい声。
変わるのは、私たちの関係。
それがくすぐったい。
これから二人で、もしかしたらもっと大人数で、ずっと一緒にいられることがこんなにも幸せで。
これからずっと、私は宝晶さまの傍にいる。
あの日お願いしたとおり、大好きな人の傍に、ずっと。
この人の隣で笑える未来が、とても幸せ。
「ありがとう。」
この日一日中私はお礼を言ってばかりだった。
幸せで、幸せすぎて、世界中にお礼を言いたいくらいだった。


彷徨が生まれた。
生まれたときからあまり泣かない子で、言葉も人より遅くて心配したけれど、どうやらこの子は話さないことを選んでいるらしい。
無口なところは宝晶さんに似たのかな?
宝晶さんは周囲にはひょうきんぶっているけれど、本当は自分のことはあまり話さない、実は無口な人だから。
二人で彷徨に新しい言葉を教えると、彷徨は目をきらきらさせて真似しようとする。
もうこんなに賢そうな目をしてるから、きっとこの子はすごく賢い子に育つに違いない。
・・・なんて言ったら、宝晶さんは窒息してしまうんじゃないかって心配になるくらい笑った。
それから、
「瞳、それは親ばかってやつだ。」
って言って、また笑った。
膝の上の彷徨も、つられて笑った。
そしたら私もおかしくなって、一緒に笑った。
宝晶さんが彷徨を抱き上げる。
青い空を背に、小さな彷徨が少しだけ誇らしげに手を真っ直ぐに伸ばす。
最近お気に入りの飛行機のポーズ。
それを見て、宝晶さんが目を細める。
「彷徨は瞳とそっくりだな。そのうち間違うかもしれん。」
「まさか。」
また笑う。
宝生さんも笑う。
ああ、幸せ。
あなたがいるから、笑うのも、息をするのも、私はこんなに幸せ。


また、時間が経った。
私はまた、真っ白な着物に袖を通した。
さいごの白。
さようならの、白。
入院期間は長かったけれど、お別れを言うには短かった。
浅くなってきた呼吸のなかで、宝晶さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
入院前より少しやつれてしまったみたいだ。
彷徨はぎゅっと私の手を握っていた。
もう握り返せない。
― 身体がなくなっても、傍にいるよ。
そう言いたいのに、もう声が出ない。
ぜいぜいと息が通る音がするだけ。
― いつも、いつも傍にいるから。だから、悲しまないで。寂しがらないで。ね?
お腹に精一杯の力を込める。
この身体に力を残しても、使い道がないから、全部。
「・・・なた・・・ほ・・・しょ・・・さん」
ほら、言えた。
私の、大切な、大好きな人たち。
私の呼吸は、そこで止まった。



◇◇◇



あれからまた、時間が経った。
宝晶さんと手紙のやり取りをしていた時間よりも、宝晶さんと彷徨と過ごした時間よりも、もっと長い時間。
私の身体がこの世界からなくなっても、月は上り続けて、空は相変わらず青くて。
そして、私は今も、大好きな人たちの傍にいる。
あの日から、ずっと。
多分、神さまが私のお願いを聞いてくれたんだと思う。
ただ、みんなには私が見えない。
それだけの違い。

宝晶さんが泣いてるとき、私はそっと震える背中を抱きしめた。
私がずっと宝晶さんの傍にいるのを、ささやかに主張したつもり。


彷徨が小学校に上がったとき、私は彷徨のランドセルを優しく押した。
新しい世界に彷徨が飛び込むのを、ほんの少しお手伝いしたつもり。


未来が宇宙飛行士に選ばれたとき、私は未来の震える手をそっと握った。
やっと叶った彼女の願いを、私なりに祝福したつもり。


未来の娘の未夢ちゃんが西遠寺に来たとき、私は一緒に重いスーツケースを持った。
慣れない環境でうちの無口な男の人たちと暮す未夢ちゃんを、励ましたつもり。


その後、宝晶さんが修行に行ってしまったのは呆れたけど、宝晶さんと一緒に私も頭を下げた。
きっと私が生きていたって、宝晶さんは止められなかったに違いないから。
大丈夫かな?なんて、思っていたら、UFOに乗った赤ちゃんが飛び込んできた。
神さまはあの日のお願いをごちゃまぜに叶えてしまったのかな?
宇宙人に会いたがっているのは未来で、未来の娘じゃなかったんだけど・・・
やっぱりお賽銭、少なかったかしら?
でも、これはこれで幸せになる予感がした。
赤ちゃんには、私が見えたみたいだ。
夜中に目を覚まして不安そうだった宇宙人の赤ちゃんは、私を見て嬉しそうに手を叩いた。
"私が見える?"
「あーいっ!」
"しーっ。"
私はそっと口元に指を添える。
赤ちゃんの両脇では、未夢ちゃんと彷徨が寝息を立てていた。
まるで、大切なものを守っているみたい。
"きっと、この子達と一緒なら大丈夫だからね?"
赤ちゃんは大人しくこくりと頷くとぱたりと眠ってしまった。
うん、いい子ね。



それからまた何年も経った。
相変わらず、私は大好きな人たちの傍にいる。
西遠寺はまた無口なうちの男の人二人きりになったけれど、前よりずっと賑やかだ。
「彷徨ー、こっちとこっちどれがいい?」
「んー、これ?」
「もー!熱意がこもってない!」
「仕方ねーだろ、引き出物なんて選んだことないんだから。」
「・・・あ、ドレス、っていうか、着物?本当に借りちゃっていいのかな?」
「・・・お前がいいなら、母さんだっていいって言うと思うぞ。」
「そうじゃそうじゃ、瞳だって喜んどる。」
「じゃあ、お借りします。」
未夢ちゃんがお仏壇の前でぺこりと頭を下げる。
未来に娘が生まれたとき、少しだけ夢見たこと。
宝晶さんに言ったら、気が早いって笑われたこと。
もうすぐ、未夢ちゃんは宝晶さんと私の娘になって、彷徨は未来と優さんの息子になる。
大好きな人たちが、どんどん繋がっていく。
なんて幸せ。
そう、今でも私はこんなに幸せ。
あなた達がいるから、身体がなくても、息ができなくても、笑い声がみんなに届かなくても、私は幸せ。
どうぞ、お使いください。
なんて、未夢ちゃんに向かって微笑んでみる。


そろそろ、いいかな、宝晶さん?
二人のお式を見たら、一足先に天国に行ってみても?
今度は空の上からみんなのこと、見てるから。
ときどき、降りてくるから。
宝晶さんがしわしわのよぼよぼのおじいさんになって、こっちの世界に来るの待ってるから。
そのときには、私が見たことも聞いたことも全部聞いてくれる?
あなたとは違う目線で見た、私たちの娘と息子と、その家族のお話。
あの優しい目で私を見て、そして優しい声で相槌を打ってね。
きっと時間は沢山あるから、ずっと、ずっと一緒よ。
ねぇ、宝晶さん、大好き。
一瞬だけ、宝晶さんと目があったから、その優しい瞳に笑いかけた。






山稜しゃんへの感謝と敬意と、いつか山稜しゃんみたいな優しい小説が書きたいという私自身の決意と込めて。
こんな感じで見守られている・・・というのは決してご都合主義ではないと信じています。



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