作:流那
僕はいままで自分が完璧だと疑わなかった。
だけど、「彼女への想い」に、
僕の心はガラスのように傷つきやすくなった。
親友への嫉妬心
恐ろしいほどの独占欲
自分が自分でなくなるこの想い。僕は自分が恐くなった。
恐くなって、自分の気持ちを封印した。
「彼女」を傷つけたくなくて
何より自分が傷つきたくなくて。
だけど、”その想い”は抑えきれないところまで来ていた。
ボクノココロハコンナニモコワレヤスカッタノカ
日曜の夕方。清四郎は珍しく一人で街をぶらぶらしていた。
たいていこのようなときは6人でつるむのだが、
珍しく5人ともスケジュールが埋まっていた。
野梨子は恒例のお茶会。美童はまたこちらも恒例のデート。
悠理は両親と何かのオークションに参加すると断られた。
魅録は仲間とバイクで一昨日から何処かに出かけているらしい。
最後に可憐にも連絡したが、彼女も珍しく用事があるようだ。
(たまには一人もいいかもしれないですね)
内心そう思いながら歩いていた。いつも6人で歩く町。
行き付けの喫茶店やバーがあちらこちらに見える。
変わらない風景なのに、一人で歩く街はほんのり寂しさを感じさせる。
6人でいることに慣れてしまったのだから。
清四郎は自分の心の脆さに少し驚いていた。
ここまで孤独になることが怖くなっていたなんて、
思いもしなかったから。
そういえばここ最近、妙に心臓が騒ぐ。
そう思いながら、ふと、ショーウインドーの
ウエディングドレスに眼が止まった。
派手過ぎず、地味過ぎず、上品なデザインのドレス。
上にかぶる白い帽子がこのドレスの上品さを一層引き出している。
細身でラインの綺麗な女性に似合いそうなドレスだった。
自分もいつか、このようなドレスの似合う女性とめぐり合い
結婚するのだろうか?
そう思った。
-ふと、「彼女」の微笑が浮かぶ。
こんな気持ち・・・皆に、「彼女」に出会うまで知らなかった。
自分さえ完璧でいれば、それでいいと思っていたから。
それで満足だったから。
増してや他人のことを考える余裕なんてなかったから。
完璧な自分を取り繕うのが精一杯だったから。
そして、いつか結婚する女性がいるとすれば、きっと野梨子なんだろう。
そう思い込んでいた。
「彼女」はそんな自分を真っ向から否定した。
それが悲しく、空しいことだと。
「彼女」に出会ったときの屈託のない笑顔が思い起こされる。
勝気で透き通った眼が印象的だった。
自信家で、厳しくて、僕にない世界を持っていて。
だけど時々涙もろくて、意地っ張りで。
そこが素直で可愛くて。その笑顔に時々救われた。
いつの日か、誰にも渡したくないと思うようになった。
こんなにも僕の心は君で占められているといったら
「彼女」は笑うだろうか・・・?
清四郎はふっと我に返ると、思わず自嘲した。
「何だか僕らしくありませんね。」
自分を見失ってしまうほどの狂おしい想い。
これが俗世間で言う、「恋」というものだろうか?
心の中で何度も自分に問い掛けていた。
-ふぅ
清四郎は深いため息をついた。
(もう帰りましょう。)
そう思ったときだった。
ふと眼を凝らすと、ブライダルショップの
ショーウィンドーの向こうに、見知った男女の影が見えた。
魅録と可憐だ。
2人は笑みを浮かべながら楽しそうにウエディングドレス、
ティアラ、ベールなどを選んでいた。
魅録がタキシードの試着をしていた。
鏡に映る自分が恥ずかしいのか、顔を少しあさっての方に向けている。
何を話しているかは遠くで分からなかったが、
端から見ればまるで結婚前の若いカップルのように思えた。
-知っているのに知らない2人。
そんな微笑ましい2人の姿は清四郎の心に影を落とすには十分だった。
(そういうことだったんですか・・・・)
自分の誘いを断ったのも、2人でウエディングドレスの見立てをするため。
そう考えればつじつまが合った。
胸がズキンと響く。
この瞬間、清四郎は自分の心の奥底にある答えを見つけられないまま
自分の想いに蓋をした。
そんな彼の瞳は闇に包まれながらも、儚さを帯びていた。
冷静に分析すれば、2人がどのような事情で
この店にいるのか分かったはずなのに、
今の清四郎の心にそんな余裕は残されていなかった。
一本の、自分だけのものだと思い込んでいた美しい薔薇は、
一人の男に摘み取られようとしているのか・・。
自分はもう、触れることも叶わないのか・・。
行き場の無い自分の想いに戸惑いながら、彼はその場を立ち去った。
−朝
いつものように仲良く並んで登校する二人。
「菊正宗様、白鹿様、おはようございます。」
「生徒会長、おはようございます。」
清四郎はどの生徒にもわけ隔てなく、にこやかに挨拶する。
いつものように野梨子と並んで歩く朝。
そんな2人を他の生徒達は眩しそうな羨望の眼でみつめる。
お互いが隣にいることが当たり前の心地よい空間。
しかし、今の清四郎の心は、隣の女性ではなく、
別の女性の心で占められていた。
そんな彼の様子に野梨子は顔を曇らせる。
いつも自分の隣を歩いている「彼」
それは、これから先も続くものだと思っていた。
いや、思い込んでいたのかもしれない。
そんな日々が音を立てて崩れてしまうことに、知るよしもなかった。
お互いの想いがあまりに純粋過ぎて・・・・。
もうお互い並んで歩くことは終わりなのかもしれない。
そんな”現実”に寂しさを感じつつ、瞳には悲しみを宿す。
そう、分かっている。自分達はずっとこのままではいられないと。
翼を付けて飛び立って行かなければならないから。
どんなに悲しくても。
-放課後の生徒会室
-パチ
-パチ
碁石の音が響いている。放課後の静かなひととき。
清四郎は野梨子と部屋の奥で囲碁の手合わせの続きをしていた。
悠理・魅録・美童・可憐の4人はまだ来ていないためか、
広い生徒会室はガランとしていた。
昨日の昼休みに始まった勝負だが、
いつものことながらずいぶん長引いている。
(お互い相手を知り尽くしていて、先が読めてしまう)
お互いが空気のような存在
それは長年培われてきた2人の絶対的な信頼感を表しているようだった。
−バタン
突然、生徒会室のドアが勢いよく開いた。
(この開け方は悠理?)
清四郎がそう思ったいなや、案の定、
悠理がドタドタと足音を立てて生徒会室に入って来る。
「大変だぁ〜大変だよぉ〜」
清四郎は悠理の尋常じゃない様子に少し眉を顰めた。
「可憐が・・可憐が・・」
悠理は気が動転しているせいか言葉に詰まった。
「・・・可憐がどうかなさいましたの?」
普通じゃない悠理の様子に野梨子も少し顔を曇らせる。
「可憐が・・・可憐が・・・結婚しちゃうんだよぉ〜」
清四郎は驚きのあまり、無言で立ち上がった。
野梨子もあまりに突然の出来事に声が出なかった。
思わず口を押さえて立ち上がっていた。
悠理は言い終わると、野梨子の胸に顔を埋め、声を上げて泣き出した。
眼から大粒の涙が流れ出している。
まるで、悲鳴のような泣き声だった。
それは親友を失ってしまう悲しみの涙だろうか?
それとも?
それは目の前の清四郎も、横にいる野梨子にも分からなかった。
内心、自分達の気持ちを整理するのに精一杯だったから。
(こんな悲しそうな悠理、初めて見ましたね。)
そう思いながら、自分の心が不安定であるということを隠し切れないでいた。
清四郎はとりあえず、悠理を落ち着かせようと椅子に座らせ、お茶を入れた。
悠理は声をしゃくりあげながら泣いていた。しばらく泣き止む様子はなかった
野梨子は悠理の横に座り、優しく背中を摩ってやる。
「で・・・相手は誰なんですか?」
清四郎は悠理が落ち着いて来たのを見計らうと、お茶を啜りながら聞く。
彼の顔は冷静を装いつつも、動揺は隠し切れなかった。
野梨子にはそんな清四郎が痛々しかった。
同時に清四郎の気持ちは手に取るように分かるのに、
何もしてあげることの出来ない自分がとても悲しくて、悔しかった。
「・・・それが・・さ・・・。」
悠理は清四郎の顔を伺いつつ、俯いている。
「もしかして・・・・それは魅録ではありませんか?」
ふっと”あの日”の2人の笑顔が蘇る。
清四郎の心にはすでに余裕が無くなっていた。
が、顔はあくまで冷静に装う。
「お前・・・。何言ってるんだよ。」
悠理は驚いて思わず顔を上げた。
「見たんですよ。偶然2人がブライダルショップで
ドレスを見立てているのを。」
清四郎は俯いて悠理の顔から眼を逸らす。
彼らしくもない純粋で、儚げな表情に悠理も野梨子も心を奪われた。
それはまぎれもなく、大切なものを想う心
自分が自分で無くなる心
ときには相手を傷つけてしまう程、強く、そして繊細な心
悠理と野梨子が見とれた目の前の男は、
紛れも無く、恋する男の眼をしていた。
自分では気づかずに。
野梨子は自分の横を歩いていた一番身近な男が
自分より先の道を踏み出してしまったかと思うと、少し寂しかった。
そして、相手が自分ではないということも。
同時に、自分の心が別の男性を求めているということに少し驚いた。
「バカ。相手が魅録だったら、あたいが
こんなにめちゃくちゃになるわけないじゃねーか。」
「そ・・・そうですよね。すみません。」
清四郎は、ふと心が少しほっとしているのに気づく。
だけど、心の奥底は疑惑と嫉妬で塗り固められているということに、
今の彼には気づくよしも無かった。
と同時に、ここまで取り乱している自分に驚く。
一方、目の前の悠理は、ぽかんとした表情で彼を見つめていた。
そんな彼の姿が何だか可愛くて。
彼に可愛いなんて言葉が当てはまるなんて思わなかったら余計に。
自分の言わなければならないことを一瞬忘れてしまう程。
ふっと我に返る。
一息つくと、事の次第を話し始めた。
瞳に悲しみと怒りを宿しながら。
−コトン
悠理は残っているお茶を飲み干すと、湯呑をテーブルの上に置いた。
「というわけだ」
珍しく真剣な悠理の顔に清四郎も野梨子も戸惑いを隠せなかった。
美しく、まっすぐな瞳に眼が離せなくなる。
悠理の話では、「ジュエリーAKI」で宝石を買った男が、しばらくした後、
それが偽者だと店に押し掛けてきたらしい。
告訴しない条件として、可憐との結婚を
突きつけてきたのだ。
その宝石は、青い隕石と呼ばれる美しいダイヤモンドだった。
清四郎は以前、可憐に「青い隕石」を見せてもらったことがある。
海のように深いブルーに心が奪われたのを覚えている。
それほど美しい宝石なら誰かが欲しがっていても不思議ではない。
中にはどんな手を使っても手に入れようとするものが
出てきてもおかしくはない。
(そんなこと分かっていたはずなのに・・)
清四郎は無償に悔しかった。同時に「青い隕石」を眩しそうな目で眺めていた
可憐の表情が思い出される。
清四郎はいてもたってもいられなくなって、勢いよく立ち上がると生徒会室を後にした。
野梨子と悠理はそんないつもとは違う彼の姿に眼をパチクリさせていた。
「あれは”恋”だね。」
「あら聞いてましたの。はしたない」
野梨子のそんな棘のある口調に少し嫉妬が含まれているのを彼は見逃さなかった。
美童がちょっと嬉しそうな顔をしながら生徒会室に入ってくる。
でもすぐに顔が曇る。
「でもこのままじゃ可憐・・・・清四郎のやつ、どうするんだろ?」
野梨子も、悠理も清四郎の態度の意味は分かっても、
その気持ちの行き場を自分達にはどうすることも出来ない、それが悲しくて俯いてしまった。
「ふふふ。これは悠理のお手並み拝見というところかな?僕も陰ながら応援させてもらうよ。」
2人に聞こえないように、小さくつぶやくと、静かに生徒会室を後にした。
悠理の床の方に落ちている目薬を確認しながら・・・。
清四郎は可憐の元に急いでいた。
こんなにも自分が他人のことで必死になるなんて思ってもみなかった。
これが”好き”という気持ちなのか−
そんな想いを巡らせているうちに、「ジュエリーAKI 」に到着した。
だが、待っていたのは可憐ではなく、魅録だった。
「魅録、何の真似ですか?」
突然現れた魅録に連れてこられたのは、同じビルの地下駐車場
幸いというべきか、この時間は止まっている車はほとんどないようだった。
魅録は黙ったまま清四郎に銃を向けている。
同時に、彼のまっすぐな瞳が自分の方に突き刺さってくるのが分かる。
痛いほど真剣で、ひたむきで、繊細な親友の瞳に、清四郎の心は強く揺らいだ。
(魅録は本気だ)
そう思った。
でもここで引くわけには行かなかった。
清四郎は少し間合いを取り、構えた。
そのとき、魅録がようやく口を開いた。
「必死だな」
「魅録もね」
お互いの鋭い視線がぶつかり合う。
「あくまで可憐の”友人”として聞く。お前、あいつが好きなのか?」
「そうですね。でも可憐が僕をどう思っているかどうかは別として」
「そうか」
魅録はゆっくりと銃を降ろす。
険しかった顔がしだいに穏やかになっていく。
その顔からはどこか、寂しげな表情も垣間見ることが出来た。
「お前が、そんなに素直に認めるなんて思わなかったな
そうでなかったら思いっきりコイツをぶっ放してたかもしれないぜ」
ふたりは顔を見合わせると軽く笑った。
「すみません」
清四郎はそんな魅録の笑顔が痛々しくなって、思わず頭を下げる。
「いいよ。んなことよりあいつのところへ行けよ。今頃は剣菱のおばさんの着せ替え人形になってるはずだから」
「分かりました。行って来ます」
清四郎はふぅと息を整えると、すぐに「ジュエリーAKI」のビルを後にした。
魅録がため息をついて前を見ると、目の前には涙を浮かべて彼を見つめる悠理の姿があった。
「魅録、ごめんな。こんなことさせて。どうしてもあいつの気持ちが知りたかったから」
「いいよ。俺もいい加減、自分の気持ちに決着を付けたかったからな」
瞬間、悠理は魅録の胸に飛び込んだ。
そんな彼女の涙が、彼の胸を濡らした。
失恋の涙。今は、それがたとえ傷のなめ合いであったとしても、
ふたりにとっては唯一の救いかもしれなかった。
「なあ、魅録、もしこれから先、あたいより強い男が現れなかったら責任とってくれるか?」
「う〜ん、そりゃお前次第だな」
お互い顔を見合わせて笑った。
空気のように当たり前の存在。異性ではない存在。
だけど、それがいつの日か異性に変わる日が来るのだろうか?
それは魅録にとっても、悠理にとってもそう遠くはないように感じられた。
いつか・・・・。
しばらくして、清四郎が剣菱邸に到着すると、少しにやけ顔の百合子が彼を迎えてくれた。
「清四郎ちゃん、来たわね。可憐ちゃん、綺麗よぉ〜ふふふ」
彼女は一通り、自分の妄想の世界に浸ると、清四郎の手を引き中央にあるパーティールームに向かった。
ドアを開けると、ウエディングドレス姿の可憐が目に映った。
清四郎の姿を確認すると、嬉しそうに手を振っている。
横の男は・・・・ご存じ剣菱万作であった。
清四郎はショックのあまり思いっきり肩を落とした。
まるで頭に大きな岩が乗っかったような、そんな衝撃だった。
思わず、いつも以上に鋭い顔で、万作を睨み付ける。
「あんた、いったい何やってんの?」
清四郎は、可憐の呼びかけに、ようやく我に返る。
その後、可憐の笑い声が会場中に響いていたの言うまでもない。
「青い隕石の偽物?何言ってるんだかこいつは。青い隕石を買った男というのが実は万作おじさんだったのよ。
で、狙われて困るからママにレプリカを作って貰えるよう、頼んでいたというわけ」
「・・・じゃ、あの・・・結婚させられるっていうのは」
「そんなの嘘にきまってんじゃない。そんな単純な悠理の嘘にだまされるなんて、あんたもやきが回った・・・」
清四郎はその言葉を遮るようにして、可憐を抱きしめる。
そんな彼の行動に驚きながら、可憐は彼の胸に頭を埋める。
「ごめん。少しからかいすぎたわ。あたしもいい加減素直にならないとね。
そんな冗談で、必死になってくれてありがと。それにしても、あんたがそれ程あたしに夢中とは知らなかったなあ」
可憐は少し上目遣いで清四郎をみる。さすがの彼も可憐の恋愛経験の前にはどうしても下でになってしまうらしい。
「好きよ、清四郎。あんたが」
「可憐・・・。でも僕はあなたの理想の玉の輿に載れるか分かりませんよ」
「ふふふ、そうね。期待してる」
そう言うと、可憐は自分の唇を清四郎の唇に軽くふれさせる。
「可憐、あなたにはかないませんね」
そう言って、清四郎はため息をつく。
(これから何度となくこんな悩みに遭遇するのだろうか?)
清四郎は心の中でそう思っていた。
気持ちはゴールに到着しても、彼の前には新たな迷路が
立ちふさがっているように見えた。
THE END