作:中井 真里
人は理想と現実の狭間で生きている。
最近特にそう思う。
□■□
「この間の依頼はどうなったかしら?」
「それでしたらすでに手配済みです。それから、先程日野香穂子さんの
マネージャーさんからお電話がありました。例の取材、OKだそうです」
「ありがと。すぐに連絡しなくっちゃ。最近注目の若手ソリストって記事が書けそうだわ」
「日野さんって、バイオリニストの日野香穂子さんですか?」
「そうそう。あなたよく知ってるわね。最近すっかり有名になっちゃって。
といっても高校時代の同級生だし、実感無いんだけどね」
未夢が青泉社という出版社の事務として働き始めてはや数ヶ月。
職場にこれといった不満は無い。
いい先輩にも恵まれているし、仕事にも慣れてきた。
職場環境は良好と言える。
だけど最近、これでいいのかとも思う。
自分の居場所は、自分の幸せはこれでいいのかと、
何度問いかけたか分からない。
彷徨はアシカコーポレーションという育児用品を扱う大手会社に就職し、
営業に、商品企画にと、自分以上に忙しい毎日を送っている。
(最近、一緒に過ごす時間がどんどん少なくなっているような気がする)
未夢は心の中でそう呟くと、目の前に溜まっている書類や資料の整理に
取りかかるのだった。
□■□
「お疲れ様です」
「あ、未夢ちゃんお疲れ。明日もよろしく〜」
PM:20:00
上司も帰ってしまった社内はとてもがらんとしていた。
未夢は、まだ仕事が残っているという先輩・天羽菜美に挨拶を済ませると、
足早に会社を後にした。
外はとてもひんやりとしていた。
この間まで秋だと思っていたが、
すでに冬至は過ぎている。
「今年もあっという間に冬だな・・・」
思わずそう呟いたとき、鞄の中の携帯が鳴った。
浦和レッズNumber1・・・(中井の着メロです・笑)じゃなくて、
ショパンの幻想即興曲の流れるようなメロディ。
未夢は久しぶりだと思いながら、通話ボタンを押した。
「クリスちゃん」
「未夢ちゃん、お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね」
彼女の声を聞くのは9ヶ月ぶりだ。
大学卒業と同時に元々師事していたデザイナーの元で、
デザインの修行をするために、フランスに留学をしていたのだ。
思わず懐かしさに胸が込み上げる。
「お忙しそうですわね」
「・・・・・うん」
「久しぶりにカンターループで呑みません?」
「いいかもね」
「ななみさんや綾さんも呼んでありますのよ」
「そっか。二人に会うのも久しぶりだな」
「じゃ、9時ごろカンターループでお待ちしてますわ」
「うん、分かった♪」
未夢は電話を切ると、懐かしい店と面々に期待を膨らませながら、
「カンターループ」に向かうのだった。
□■□
学生時代に通いつめたバー喫茶・カンターループでは、
久々の再会に、笑いの花が咲いていた。
「でもさ、未夢が”働きマン"になるとは思わなかったよね。
これも西遠寺くんの影響かしら?」
ななみは今日何杯目かのブランデーの残りを飲み干すと、
ニヤリと笑った。
「青泉社って言ったら、大手出版社だしねえ。まさか未夢ちゃんが、
エリート街道まっしぐらだなんてねえ」
相方の綾も、ウィスキーの水割りに顔を真っ赤にさせながら、
負けじとそれに便乗する。
「そ・・・そんなことないよ。ほら、たまたま星奏学院の先輩が勤めてて、
口を利いてくれたのが大きいし・・・。それに、彷徨の知り合いの先輩でも
あったから」
未夢は頬を赤くさせながら、一生懸命否定してみせる。
「未夢ちゃんが星奏学院に受かったのだって、凄いなって思いましたわ。
彷徨くんと同じ高校に受かってしまわれたんですもの」
「ク・・・クリスちゃんまで」
あははははと笑う三人。
「未夢は全然変わらないわね」
「反応が未夢ちゃんらしいよね」
「ふふふ・・・そうですわね」
「私のことより、みんなはどうなの?」
未夢はからかわれるのに耐え切れず、顔を上気させながら、
必死に話題を変えることに努めた。
ななみは、カメラマンという夢を叶えるために、
昼は師匠の下で働きながら、夜はアルバイトで生計を立てている。
綾は演劇の専門学校に進み、現在は劇団に所属しながら、
脚本の勉強をしている。
クリスは厳しいデザイナーの元で、日々修行の毎日だ。
それぞれ大変だけれど、夢に向かって着実に進んでいる。
それに比べて自分は、自分の夢がどこにあったのかさえ、
分からなくなっている。
恥ずかしくて、居たたまれなくなって、
思わず俯いた。
「ところで未夢ちゃん、西遠寺くんとはどうなってますの?」
「え?」
「未夢は西遠寺くんと結婚しないのかってことよ」
「未夢ちゃんと西遠寺くんじゃ、そろそろーってカンジよねえ。
プロボーズとか、もろもろ台本のネタに頂いちゃおうかな」
「け・・・・けっこん?」
未夢は予測もしなかった話の展開に、
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「未夢ったら、本当に"働きマン”になるつもりなの?」
「彷徨くんが可哀相ですわ」
「そうだよぉ。未夢ちゃん。考え直そう。私の台本に
そんな展開ないんだから」
「べ・・・べつにそんなつもりはないけど」
相変わらずの三人。
未夢は冷や汗をかきながらやっとのことで返事を返すのだった。
「だったら、今まで何か無かったの?
そうなりそうなきっかけとかさ」
「二人の間に何も無いなんてありえないわよぉ」
「そうですわ。彷徨くんだって、タイミングを狙っているところかもしれませんもの
何かありませんの?」
三人にすごすごと詰め寄られ、未夢は鞄から小さな箱を取り出した。
「少し前にデートしたとき、これ、貰ったんだけど・・・」
白い箱から取り出されたのは、プラチナの指輪だった。
三日月を象った台には、
プチダイヤが散りばめられている。
「すっごーい。これって、プラチナの指輪じゃない。
しかも、純プラチナ。西遠寺くんってば随分奮発したんじゃない?」
綾が目を輝かせながら、その指輪に見入っている。
「で、西遠寺くんは何か言ったの?」
「ううん。本物はもうちょっと待っててくれって言われただけで・・・」
3人の体がドスンとテーブルの上に落ちた。
それも同時に。
未夢はその様子を目をぱちくりさせながら見ていた。
「み・・・みんな、突然どうしたの?」