作:中井真里
あなたとの何気ない日々
それは今の私にとって何事にも変えがたいものだ。
だけど時々苦しくて切ない。
これが恋なんだと自分に言い聞かせても、胸の痛みは消えない。
あなたが他の誰かを好きという事実がある限り・・・。
□■□
今年もあと一ヶ月あまりという11月のある日。
私―小西綾は姉から思いがけない言葉を聞かされた。
目の前には先ほど出てきたばかりのコーヒーの湯気がゆらゆらと上を向いている。
「結婚式?」
「そう。入籍はしたものの、店が忙しくて伸び伸びになってたでしょ?」
姉は少し前に大学の先輩だった土浦梁太郎さんと学生結婚し、
彼の経営するイタリアンレストランを手伝っている。
元々バイトとして店にいたこともあり、彼の立派な右腕になっているようだ。
その反面、あまりの忙しさで結婚式をするタイミングを逃してしまった。
女としては少し気の毒な人だと思う。
「もうっ。突然、喫茶店に呼び出されたかと思ったら・・・。そんな大事な話を
なんで私にするのよ。梁太郎さんはなんて言ってるの?」
「彼はいまさらって思ってるかもしれないし」
「そんなわけないじゃないっ。きっと言い出すのが照れくさいんだよ」
「というわけだから、綾。何処かいい店知らない?元々内輪だけで
こじんまりとした式にしようと思っていたから、特に当ては付けてないのよ」
まったく。わが姉ながら、計画性のなさにはため息が出る。
いつもこうなのだ。
するならすると言ってくれればいいのに。
何のために家族がいるのか分からない。
そんなところも含めて”お姉ちゃん”なのだけれど。
「分かった。私の方の当てはあるから何とかしてみるわ。
喫茶店みたいなところでもいい?」
「ありがとう!!やっぱりアンタに話して良かったわ。
場所についてもアンタに任せるから気にしないで」
「それより、梁太郎さんにちゃんと話しなさいよ」
「わ・・・分かってるわよ」
お姉ちゃんはそう言って左手の時計を見た。
「やばっ。もうこんな時間。彼に叱られちゃう」
「どうして?今日はお店定休日じゃなかったの?」
「明日は特別なお客様の予約が入ってるから、今から準備しなくちゃいけないの」
「・・・仕事頑張ってね。”香穂”おねえちゃん」
「その呼び方止めてって言ってるのに」
「ほらっ。早くしないと遅れるよ。今日は私のおごりって言うことにしといたあげるから」
”香穂”お姉ちゃんは私の言葉に慌てて店を出て行った。
こっちを振り返る余裕がないほどに。
無理もないか。
”香穂”なんて、ダンナにいつも呼ばれている言葉で言われたら。
私は何だかお姉ちゃんが羨ましくなって、思わずため息をついた。
自分の恋がちっともうまくいっているように思えないから余計かもしれない。
そう。
私が今向き合っている恋は、前途多難なのだ。
まるで、この間観た舞台「OZ」のムトーとフィリシアみたいに。
□■□
「うーん」
それから数日後、私は演劇部の部室でひたすら悩む毎日を送っていた。
次の冬公演の脚本が仕上がっていないこともあるが、
姉の結婚式をどうするかという案が一向にまとまっていないのだ。
「・・・・・やさん、綾さん」
ふと気が付くと、目の前に紫色の綺麗な瞳。
どうやらまたいつものクセが出たらしい。
「く・・・栗太くん、どうしたの?」
私はそう言って思わず後ずさった。
こんな美少年の顔が目の前に来たら誰だってそうしたくなるだろう。
ましてや相手は自分が気になって仕方がない存在の男の子。
彼が純粋すぎるのは分かっていたが、ここまで来ると犯罪だと思う。
「どうしたのじゃないですよ。さっきからずっと呼んでるのに気が付かないんですから」
「何か用?」
「副部長が今度の冬公演のホンのことで話したいそうです。
もうすぐ部室に来られると言付かりました」
「そう。わざわざありがとう」
「い・・・いえ。オレもせっかく演劇部に入ったんですから何かお役に立たないと」
「ふふふ。何だか楽しそうだね」
「え・・・ええ、まぁ」
そう言って照れくさそうに頭を掻く栗太くんが可愛くて仕方がなかった。
可愛いという形容は本来男の子に用いるのはナンセンスなのかもしれないが、
彼にはカッコいいというよりも、可愛いという形容の方が合うように思える。
「それより何かあったんですか。ぼーっとしてたみたいですけど」
「分かる?」
「お・・・オレでよければ、その・・・話ききます・・・よ」
その一言で、私の心はふんわりと軽くなった。
恋ってつくづくゲンキンだと思う。
「ありがとう。ホンのこともそうだけど、お姉ちゃんの結婚式のことでちょっとね」
「少し前に入籍されたお姉さんのことですか?」
「うん。仕事でばたばたしてたせいか、式のタイミングを逃しちゃったみたいで。
だったら私が何とかしようって思ったんだけど」
「場所とかはリザーブされたんですか?」
「うん。カンターループってジャズ喫茶。お姉ちゃんもダンナさんもジャズが大好きだから。
まぁ、そこのオーナーと知り合いってこともあるけどさ」
「そ・・・そうですか」
「うん」
少し栗太くんの様子がおかしいとも思ったが、
このときの私には、その理由に気が付く余地などなかった。
冬公演のホンと結婚式のことで頭がいっぱいだったからかもしれない。
それに・・・栗太くんのことも・・・。
「で、あの・・・よかったら・・・ですけど」
「うん?」
「力になれたらと思って・・・」
「うん」
「・・・・・」
「で?」
「今日、このあと予定は空いてますか?」
「空いてるけど?」
「・・・・・副部長との話し合いが終わったら、
カンターループで待っていて下さい。
委員会で遅くなるかもしれませんが。
で・・・では」
彼はそういい残すと足早に部室を後にした。
なぜ栗太くんがカンターループを知っていたのかということはどうでもよくて。
こうして純粋に栗太くんと同じ時間を過ごせることが嬉しいのだと、
改めて自分の気持ちを実感していた。
□■□
副部長との話し合いもひと段落付いて、
私は喫茶カンターループに足を伸ばしていた。
店は昼間の混雑がひと段落したようだった。
まぁ、この店は夜が本番なのだが。
(何だか久々な気がするな。ななみちゃん達とこの間来たきりかも)
私はそう思いながら入り口の手前にあるカウンターの方を見ると、
ボーイさんがカップやグラスを一生懸命拭いているのが見えた。
それは、私が入ってきたことにも気付かない程だった。
(あんないかにも頼りなさそうなぼんやりしたボーイさんいたっけ?)
いつものようにまじまじと観察してみた。
悪い癖だとは思うが、すでに日課なのだ。
・・・・・背格好は普通だが、アップにした髪が綺麗な顔立ちを引き立てている。
よくよく見ると、顔は少し幼いようにも見える。
童顔のためか、白い上着と黒いズボンが似合っているようで似合っていない。
このミスマッチさが店にとっては面白いのかもしれない。
そんなデータを頭の中にインプットする。
メモ帳には簡単な顔のスケッチも書き加える。
(あれ?でもどこかで見たことがあるような・・・うーん)
そんなことをぼんやり考えていると、
カウンターの奥から聞き覚えのある声が降ってきた。
「よう、綾ちゃん。久しぶりだな」
「益田さん、こちらこそお久しぶり。ご無沙汰しちゃってごめんなさい」
「今日は誰かと待ち合わせ?」
「うん。学校の友達なんだけど・・・」
「それじゃあ、ななみちゃん、未夢ちゃん、クリスちゃんも来るのかい?」
「ななみちゃん達じゃないの。残念ながら」
「・・・・・男か」
「益田さんたら、からかわないで下さいよ〜」
久しぶりの、他愛無い会話を交わしていると、先ほど観察をしていたボーイさんが、
タイミングを見計らうかのように顔を上げた。
「・・・・・義人兄さんと知り合いだったんですね」
どこかで聴いた、心地よいテノール・・・。
ま・・・まさか。
「栗太くん?」
私は驚いて、思わず引っくり返りそうになった。
そう、例えるなら相方のななみちゃんと三太くんがくっついたときのように。
同時に先ほど感じたデジャヴに間違いはなかったのだと悟った。
「栗太くん、どうしてここに?」
「・・・・・綾さん、オレ・・・・」
そう呟いた栗太くんの表情はいつものような優しいものではない。
淋しいような切ないような、そんな表情だった。
「もしかして、綾ちゃんが待ち合わせしてたのって、栗太だったのか?」
私達のやりとりに何かを悟ったのか、益田さんが口を挟む。
その様子はいかにも面白そうなものを見つけたという印象だった。
「ふたりも知り合いだったの?」
「こいつの父親と俺の両親が友達でな。いわゆる幼馴染ってやつだ」
「じゃあ、益田さんもいいとこのお坊ちゃんだったんだ」
「お坊ちゃん・・・まぁ、そういうことになるのか。嫌なヒビキだけどな」
益田さんはそう言って照れくさそうに笑った。
何だか彼にまた親しみを感じるネタが増えてしまった。
(ひさびさにここ・・・通いつめようかな)
そう感じさせるくらいに。
「それより、栗太くんがなんでここでボーイやってるのかってことよ」
「・・・・・それはやつに聞いてやってくれ。
おい、栗太。もう上がってくれていいから。
奥の席にでも座れよ。コーヒーは俺のおごりだ」
「・・・・・分かりました。綾さん、奥に行きましょう」
「う・・・うん」
こうして、私達は予約専用に設けてある奥の禁煙席に、
向かい合って座ることとなった。
「で、いつからこんなことしてるの?なんのために?
どうしてすぐに益田さんと知り合いって言ってくれなかったの?」
「・・・・・」
質問攻めの私。いつまでも口を開こうとしない栗太くん。
しばらくそんなやりとりが続いた。
益田さんがコーヒーを運んできても気付かないくらいに。
「綾さんこそどうして・・・・・」
「栗太くん?」
「お・・・オレのことが好きだって言ってくれましたよね?
綾さん、もしかして義人兄さんのこと・・・す・・・す」
「あはははははははははは」
私は思わず机を叩いて笑ってしまった。
可笑しい。可笑しすぎる。世の中にこんな純粋な男の子がいるなんて。
いや、分かっていたことなんだけど。
(でも・・・まてよ・・・。これって・・・)
私の頭の中は、考えもしなかった答えに行き着いていた。
「そ・・・そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」
私の顔とは対象的な拗ねた表情が愛おしい。
「だってだって、私が益田さんを好きだなんてありえないわよぉ」
「綾ちゃん、その言い方けっこう傷つくなぁ・・・」
「本当のことだもん。そりゃあ、カッコいいなとは思うけど、
男の人って感じじゃないわね」
私の一言がクリティカルヒットだったのか、
益田さんは少し淋しそうな表情で奥に引っ込んでしまった。
(お詫びにあとでケーキを注文しよう)
私は見慣れた背中を見つめながらそう思っていた。
「で、誤解が解けたところで力になってくれるんでしょ?」
「何のことですか?」
「結婚式。お姉ちゃんの」
「・・・・・オレの出来る範囲でなら。綾さんに満足してもらえるか分からないですけど」
そう呟いた彼は、私の知っている”栗太くん”に戻っていた。
「じゃあ、さっそく。マスター、奥のテーブルに本日のケーキ二つ追加ね」
「綾さん・・・」
「誤解させちゃったお詫びに奢るよ。それとお礼・・・かな」
「ありがとうございます」
こうして私達はあーだこーだと言い合いながら、結婚式の計画を練っていった。
いつものように笑っていたら、栗太くんがなぜボーイをしていたのかなんてことは、
どうでも良くなってしまった。
□■□
それから数日後。私は友人達と、結婚式の打ち合わせのために、
駅前のドーナツ屋にいた。
「で、結局それ以上の進展はなしってこと?」
いつも絶妙なタイミングで突っ込みを入れてくる相方が、
ショートカットの黒い髪を掻き揚げながらそう呟いた。
左手には先程頬張ったオールドファッションの残りが握られている。
「栗太がなぜ”カンターループ”でボーイをしていたのかも聞けなかったのでしょう?」
赤い髪の友人も紫色の瞳をぱちくりさせながら、
少しあきれた様子でこちらを見る。
「・・・・・まぁ、そーゆーことだね」
私は二人の問いかけに、気の抜けたような答えを返した。
それ以外に返す言葉が見つからなかったとも言えるのだけど。
「そーゆーことってアンタ」
「そうですわよ。このままでいいわけありませんでしょ?ねえ、未夢ちゃん」
もうひとりの友人は、さっきから横でなにやら考え込んでいたが、
突然に話題を振られてふっと顔を上げた。
「もしかして栗太くん。綾ちゃんにヤキモチ妬いたのかな?」
未夢ちゃんの思いがけない言葉に、私は大きく目を見開いた。
ななみちゃんはニヤニヤと面白そうに笑っているし、
クリスちゃんは「栗太が綾さんを・・・」と呟きながら、
自分の世界に入り込んでいるようだった。
「もうっ。未夢ちゃんたら。そんなわけないじゃない」
私は動揺を懸命に隠しながら、そんなわけないと自分の胸に言い聞かせながら、
彼女の言葉をやんわりと否定してみせた。
それでもこのおとぼけな少女には納得がいかなかったみたいだ。
「そうかなぁ?」
「そうだよ。それに、栗太くんは未夢ちゃんのことが・・・」
私はそこまで言って思わず口を閉じた。
決して触れてはならないこと。心の中で言い聞かせていたはずなのに。
自分の心の弱さが憎くなる。
「・・・・・綾ちゃん。それはないよ」
未夢ちゃんはしばらく黙っていたけど、そう言って私の方をまっすぐに見た。
「私ね、栗太くんに言ったの。もしかしたら栗太くんの近くには、
私よりずっと素敵な人がいるかもしれないよって」
「未夢ちゃん・・・」
「でね。栗太くん言ったの。僕の近くには未夢さんと同じくらい素敵な人がいて、
今はその人が気になって仕方がないって」
未夢ちゃんは一通り言い終わると、ほっとしたような表情でふんわり笑った。
「私ね。このことをどうやって綾ちゃんに伝えようってずっと考えていたの。
だからちゃんと言えてよかったー」
(・・・・未夢ちゃんの今の言葉、メモしておこうかな)
私は未夢ちゃんの綺麗な笑顔に目を細めながら、そんなことを考えていた。
もう栗太くんが誰を好きだとかは関係なくて。
大切なのは、今自分が誰を好きなのかということだ。
自分の心にそう言い聞かせていた。
「未夢ちゃん。ありがとう。私、もう少し頑張ってみようかな。
押して押して押しまくっちゃうんだから♪」
「それでこそ綾だよ」
「その意気ですわよ」
私の言葉につられるように、ななみちゃんやクリスちゃんもそう言って笑った。
「・・・でさ。お姉ちゃんの結婚式のことなんだけど」
私が言いにくそうに話を切り出すと、三人はハッとしたような表情で目を見合わせた。
そして、ようやく本来の目的である話し合いが始まったのだった。
女のおしゃべりは本当に長いよな・・・。
結局、カンターループを貸切にしてもらって、ごく親しい人を呼んだ結婚式をすること、
益田さんの友人である氷室零一さんにピアノを弾いてもらうこと、
ケーキはクリスちゃんの手作りにすることなどが決まった。
□■□
「ふぅ」
暗く静かな店内で思わずため息がもれる。
そこへボーイ姿の栗太くんがコーヒーカップを持ってあらわれた。
「お疲れ様です」
彼はそう言って私の横に座った。
結婚式はあれから2週間ほどの準備期間を置いて行われた。
久々におめかししたお姉ちゃんは綺麗だったし、
梁太郎さんも横で嬉しそうに笑っていたし、氷室さんのピアノは素敵だったし、
我ながらいい結婚式に出来たと思う。
クリスちゃん手作りのケーキはちょっと大きすぎた気がしないでもないけど。
「素敵な結婚式でしたね」
「ありがとう。今回の演出は我ながらナカナカだったと思うわ♪」
そう言って横を見ると、栗太くんはお姉ちゃん達がお披露目をした舞台の方を見ながら、
なにやら考え込んでいるようだった。
「ねえ、聞いてもいい?」
「・・・何ですか?」
「どうして、ボーイなんて始めたの?中学生がバイト禁止なのは当たり前だけど、
栗太くんがそんなことしてまでお金かせぐ理由なんてないでしょ?」
「・・・・・」
「栗太くん?」
そう言ってふと彼の顔を見ると、真剣な眼差しが覗いていた。
「綾さん。全部あなたのためですよ。こうして以前の自分から変わろうとしているのも、
義人兄さんの店でボーイをしようって思ったのも・・・」
嬉しい言葉ではあるけれど、何だか背中がかゆくなった。
「そーいう言い方、何だか照れくさいな」
「芝居の台詞でたくさん書いてるんじゃないですか?」
「あはは。それもそうか」
栗太くんの言葉があまりに的を得ていたので思わず苦笑い。
「ねえ、栗太くん。私も芝居の台詞、言ってもいい?」
「何ですか?」
ごくりとつばを呑んで、心の準備。
「私ね。意地っ張りだし、見栄っ張りだし、すぐイライラしちゃうし。
だけどね、あなたを見ていて思ったんだ。時には素直になることも大切だって。
だから今は少し素直になってもいい?」
「・・・・・言いませんでしたっけ?オレはそんなあなたに惹かれてるって」
自分の台詞をさらりと言われて思わず唖然としてしまった。
何だか私の知っている栗太くんじゃないみたいで・・・。
「何だかずるいな」
「綾さん?」
「やっぱりずるい」
「あの・・・」
「私の台詞、取らないでよね。演出は私なんだから」
「綾さん、それって・・・」
栗太くんの言葉をさえぎるように、彼のおでこに軽く触れた唇が熱く感じられた。
別に自分から求めていたわけじゃない。
白馬の王子様を探していたわけでもない。
そうやっていつの間にか目の前に転がり込んできた恋。
・・・・・宝物ってそーいうものかもしれないな。
ゆでだこになった栗太くんの顔を見つめながら、私は強くそう思っていた。
THE END
お久しぶりの中井真里です。
栗田しゃんのサイト復帰記念として献上させていただきました、
「あや栗シリーズ」の続編です。
要所に山稜しゃんの「台本のある日」のネタを取り込んでます(笑)。
いやーどこまで続くんだろうという感じですが、心の向くまま突っ走ろうと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。