ドラマチックはここから

作:中井真里



初デートの日は雲が殆ど無い澄み切った青空だった。

ふとしたきっかけから約束を取り付けたときは、
電話を握り締めてしばらく動けなくなったのを覚えてる。

まるで、好きな相手とデートの約束をしたドラマの主人公のように・・・。


ドラマのように上手くはいかないって分かってるけど、
胸の中にちょっぴりドラマチックな期待を込める。


今思えば、初恋の幻想だったのかもしれない。







□■□







はじまりは、一本の電話から。
電話口の彼の声が上ずっていたのを今でも思い出す。




『も・・・もしもし。そ・・・その・・・電・・・話でははじめて・・・ですね。
ぼ・・・僕は・・・く・・・栗太です。こ・・・この間はどうもすみませんでした。
こ・・・小西さん・・・あの・・・今大丈夫ですか?』




たどたどしい口調だけれど、何だか微笑ましくなる。
これが惚れた弱みってやつなのかな?

私は彼の声に耳を傾けながら、そんなことをぼんやり考えていた。




『あ・・・あの、小西さん?』



電話口の彼の声にはっとして、思わず頬が赤くなっていくのが分かる。
今の自分の姿が見えるわけではないのに、何だか恥ずかしくなる。


そう。
こうして自分の世界に入り込んでしまうことがあるのは、私の癖。
癖といっても、直すつもりもないし、直らないとは思ってるけどね。
だけど、彼の前では恥ずかしいと思ってしまう。


これも、惚れた弱みなのかもしれない。




『こ・・・ごめんね。大丈夫だよ。で、今日は何か用事?』
『あ・・・あの・・・。この間、お・・・お誘いした件について・・・なのですが』
『う・・・うん』
『こ・・・小西さんが好きそうな舞台のち・・・チケットが取れたので、
来週の日曜日に、ご・・・ご一緒にいかがかと思いまして・・・』




クリスちゃんの話だと、栗太くんはこの間の舞台出演をきっかけに、
演劇自体に強く興味を持つようになったらしい。

元々興味が無いわけでもなかったし、何度か行ったことはあるらしいのだが、
たしなみ程度で、これ程興味を持ったことはないとのことだった。
演劇部の私としては、嬉しいことこの上なかった。
共通の話題も持てるしね♪




『で、何の舞台なの?』
『げ・・・劇団キャラメルボックス上演のOZ(オズ)です。クリスの話では、
い・・・今、凄く評判とのことなので』
『うわぁ。その劇団、私大ファンなの。でもなかなかチケットが取れなくて。本当に嬉しいな』




最近評判の劇団「キャラメルボックス」は女性が主という、
まるで宝塚のような劇団で、男役も女性が男装して演じる。

これが凛々しくて評判なのだ。
もちろん、若いけど経験豊富な役者さん達ばかりだから、
演出も、演技力も抜群なんだけど。

そんな劇団だから、毎回なかなかチケットが取れないのよね。
今上演中のOZだって、まだ一度も見に行ったことが無いし。

だから、今回の栗太くんの誘いは嬉しくて仕方が無かったの。
今にも顔が綻びそうになるくらい。


・・・彼の誘いを喜ぶ理由が、それだけではないってことくらい自覚しているけどね。




『そ・・・そうだったんですか?そ・・・それは良かったです』
『しかもあのOZ(オズ)だしね♪』
『原作は僕も知ってます。クリスに借りて読みました』
『そうなんだ?ふふ。主人公のムトーがいい男なのよねえ。
ヒロインのフィリシアも可愛いし。最近読み返していて思ったんだけど、
この二人って彷徨くんと未夢ちゃんに似てない?』
『・・・・・い・・・言われてみれば、そう・・・かもしれないですね・・・』




何だろう?電話口の向こうが深く沈んだように見えたのは気のせいだろうかと、
このときの私は考えていた。


落ち込んだ原因は分からなかったけど、
先程の一言を最後に彼は押し黙ってしまった。
何だか気まずい空気だ。どうにかして、この状況を打開しなければ。
私はそう思っていた。





『栗太くん、私、何かまずいこと言っちゃった?』
『・・・す・・・すみません。ちょ・・・ちょっと考え事を・・・』
『大丈夫?』
『は・・・はい』




たどたどしい口調でそう答える彼が少し心配になった。
その理由までは気付かなかったけれど・・・。




『でも本当に嬉しい。楽しみにしてるね』
『か・・・開場が午後4時ですから、少し前にお宅まで迎えに行きます』
『あ・・・あのさ。せっかくだから、午前中から出かけない?ゆっくり話もしたいし。』
『あ・・・綾さんがよろしければ、それでも構わないですが』
『それなら決まりね。10時に駅で待ち合わせ』
『あ・・・あの?何で駅なんですか?』
『ふふっ。女の子は駅で待ち合わせるのが好きなんだよ』




私はそう言って笑う。電話の向こうの顔は見えないけれど、
栗太くんも嬉しそうに笑っているように感じた。

そう思うだけで、胸のドキドキが止まらなくなる。
そんな心臓の音が、彼に聞こえてしまいそうになる。
もちろん、電話越しだからそんなわけないんだけど。




『そ・・・それでは日曜日の10時に駅で』
『うん。楽しみにしてるからね』
『は・・・はい。それでは』
『じゃあね』
『お・・・おやすみなさい』




そんな彼の一言を最後に電話が切れる。
彼の低く通る声と、ツーツーという電話の発信音が、いつまでも耳に響いていた。







□■□







次の日の放課後。


地域の教師が集まって行われる大規模な職員会議のため、
学校が早く終わった私達四人組は、デパートを訪れていた。
ななみちゃんとクリスちゃんに「勝負服」を買うよう、強く勧められたからだ。


正直、「勝負服」って訳が分からないんだけど。
その前に私に「勝負服」なんて必要ないと思うしね。



嫌な予感がした通り、ななみちゃん、クリスちゃん、未夢ちゃんに
あれやこれやとさまざまな服を勧められた。
どれも私には派手すぎると言ったけれど、
「勝負服」は、少しカジュアルなくらいが良いらしい。



結局買ったのは、未夢ちゃんが選んでくれた白いワンピース。
全体的に見て、派手さは無いけど、おしゃれなボタンと、
涼しげな水玉模様が気に入った。
さすが未夢のセンスとななみちゃんもクリスちゃんも納得していた。


その後、私達は屋上のパーラーで休むことにした。



「というわけで、初デートに行くことになったわけね」
「ふふ・・・。わたくしが栗太に打診した甲斐がありましたわ」



四人がけの向かい側の席に座っているななみちゃんとクリスちゃんが、
話の経緯を聞いて、楽しそうに笑っている。



「初デートか・・・私もドキドキしたかな?」



未夢ちゃんたら、西遠寺くんとの初デートを思い出したのか、
頬がほんのり赤くなっている。本当に羨ましいな。



「でも初デートで舞台ってなかなかいい選択じゃない?」



ななみちゃんがパフェをほおばりながら、感心したように呟いている。



「初めての女の子と出かけるときは、映画館か舞台が良いって
アドバイスしたのはわたくしですのよ」
「なるほどね。栗太くんのセンスじゃなさそうだもん」



クリスちゃんの言葉に、ななみちゃんが納得したように頷いている。
そうか、初デートはたいてい映画館か舞台なのか。
心のメモにそう書き加える。




「私も初デートは映画館だったな」
「み・・・未夢ちゃんも?参考までにちょっと聞かせてくれない?」
「う・・・うん」




未夢ちゃんの言葉に、私は救いを求めるように、白く細い手を握ってそう言った。
私に突然手を握られて、少し戸惑った表情で話し始めた。



未夢ちゃんの話は、男の子とのデートが初めての私にとって、
参考になるものばかりだった。

暗い場所でさり気無く寄り添った方が、雰囲気が良いとか、
男の子は黙る傾向があるから、とにかく積極的にしゃべるようにしたほうが良いとか、
彼氏のいない私には未知の世界に感じられた。




「私の場合、やつの話を聞く方が多いけどね」




ななみちゃんはそう言って笑っていたけど。

黒須くんなら当然そうだよね。
そんな彼の話をうんざりしながらも、
楽しそうに耳を傾けるななみちゃんの表情が浮かんできて、何だかおかしくなった。




「さて、みんなの話も聞けたし、頑張るか」



私はコップに少しだけ残っていたアイスコーヒーを飲み干すと、
思わずこぶしを握り締めてそう言った。




「綾、その息よ」
「綾さん、頑張ってください」
「綾ちゃん、応援してるからね」




私は三人の言葉に、胸が熱くなるのを感じていた。




「・・・・・くれぐれも、付いてこないでね。絶対」
「な・・・なにいってるのよ。ねえ、クリスちゃん」
「そ・・・そうですわ」
「そ・・・そんなこと無いわよ」




カマをかけただけなんだけど、釘を刺しておいて正解だったわね・・・。
私は考えを読まれたという態度の三人を見ながらそう思っていた。







□■□







それからあっという間に数日が過ぎ、約束の当日がやって来た。




家を出る直前も、鏡の前で何度も髪型や服を確認する。
未夢ちゃんの勧めでトレードマークとなっているお下げを解き、
髪を下ろした。仕上げにドライヤーでウェーブをかける。
日焼け止めクリームも忘れずに塗った。



いつもと違う格好が、自分じゃないように感じられた。
こんな自分を見たら、栗太はどう思うだろうとか、
そんな思いばかりが先に立ってしまう。





「さてと。出掛けるか」




行ってきますとだけ告げて家を出る。
お姉ちゃんには「彼氏とデート?」と冷やかされたけど。



照りつける夏の太陽が、やけに眩しく感じた。
まるで、今日の一日の出来事を予感させるほどに・・・。



家から歩いて約15分程。
駅近くの目つきの悪い天使型のオブジェの前で、
見覚えのある人を見つけて右手を上げる。
だけど、向こうはカバーの掛かった本に眼を通しているようで、
私の様子に気付いていないようだった。



彼ほどの美少年となると、休日の午前中に誰を待っているのか、
偶然街に繰り出していた少女達は注目しているようだった。
何だかちょっとした優越感に駆られる。



今の自分に気付いていないと分かると、ちょっとだけイタズラ心が湧いて、
背後からそっと忍び寄る。そして、トンと肩を叩く。
すると彼は、心底驚いた様子でこちらを振り向いた。




「こんにちは」
「こ・・・こんにちは。あの・・・どなたでしょう?」
「私よ。小西綾」
「し・・・失礼ですが、本当に小西さんですか?」
「ふふっ。栗太くんたら。正真正銘、小西綾ですよ」
「す・・・すみません」
「謝らなくていいって」




そんな会話を一通り交わした後、栗太くんは私をじっと見つめて呟いた。




「あの・・・い・・・いつもと違うんですね?」
「ふふ。どうかな?」
「す・・・すごくいいと思いますよ。上手くいえないのですが」
「ありがとう」




思わず笑顔になる。

いつもと違う自分が恥ずかしかったけれど、
ほめてもらえると、やっぱり凄く嬉しい。

私ってこんなに現金だったっけ?
ふとそう思う。




「ところで、待ち合わせ時間って10時じゃなかったっけ?まだ9時半だよ」



私はふと腕時計を確認してそう呟いた。
栗太くんも同じことが言いたかったみたい。




「小西さんこそ」
「綾でいいよ」
「あ・・・綾さんこそ」
「栗太くんを待たせたくなくて、早めに来ちゃった」
「僕も、なぜだか早めに足が向いてしまって」
「そうなんだ。おんなじだね」
「は・・・はい」




そう言って頬を染めて微笑む彼の姿に胸の鼓動が高鳴った。
やっぱり私はこの人に強く惹かれている。
そう思わずにはいられないほどに・・・。






□■□






それから私達は、駅前のファーストフード店で落ち着くことにした。
休日ということも手伝って、早い時間帯にもかかわらず、店は混んでいた。

人混みの中でようやく注文を終えると、二階の席に向かい合って座った。
間近でみる彼は、やっぱり素敵だ・・・。そう思う。
そのきっかけを作ったのが自分であることに特別な意味を感じる。




「ぼ・・・僕、昨日原作を改めて読み返してきました」
「私も私も。やっぱりいいよねえ。いっぺん私も劇でやってみたいんだけど、
予算が大変よね。特に大道具が。演出も相当練らないとダメだし」
「やっぱりそうなんですか。僕も考えちゃいましたよ。
これを舞台にしたらどうなるんだろうって。舞台って奥が深いんですね」
「栗太くんってば話が分かるんだ。やっぱり舞台は役者の演技もだけど、
演出も命よね。どんなに素敵なお話でも、どんなに素敵なシナリオでも、
演出がダメだったらすべてが台無しだもの。
もちろん役者の演技でカバー出来る部分もあるけどね」




私はそう言って思わず笑顔になる。
彼とこうして同じ時間を、同じ話題を共有出来ることが何より嬉しい。
例え、想いが叶わなくても・・・。

今は特にそう思える。




「やっぱりクライマックスのフィリシアを置いてたった一人で敵に立ち向かっていく
ムトーが素敵よね。読み返すたびにうっとりしちゃうの。ムトーのフィリシアへの
強い想いも感じられるし」
「僕はそのシーンもそうですが、想いを自覚したフィリシアが、
ムトーを必死に止めるシーンも好きです」
「うんうん。フィリシアって回を重ねるにつれて本当に強くなっていくんだよね。
凄く理想的なヒロインだなと思うのよ。私もいつか、フィリシアみたいな理想的なヒロインを
舞台の上で実現させてみたい」
「綾さんならきっと出来ますよ」
「ふふ・・・ありがとう」




私達はそんな会話を交わしながら、他愛もない時間を過ごす。
演劇関係の専門的な話も、嫌な顔ひとつせずに耳を傾けてくれた。
私の話を引かずに聞いてくれる人なんて、初めてかもしれない。


自分のすべてを受け入れてくれそうな程の、
彼の内面から溢れ出る優しさが愛おしい。


心の中は、そんな想いでいっぱいになっていた。




「それで、話って何?」
「あ・・・そ・・・そのことなんですが・・・」
「うん」



「ずっとお聞きしたいと思っていたのですが、女性はみんなムトーのような男が
好きなのでしょうか?」
「う〜ん。どうなのかな。現実にあんな人いないって分かってるけど、
一般的にはムトーのようなタイプは女としては理想的かもしれないわね」
「・・・そう・・・ですよね」




しょんぼりした様子で下を向いてしまう彼が気になった。
もしかして、昨日の電話のことが関係しているのだろうか?
私は頭の中で、ひとつの予感を巡らせていた。





「・・・どうしてそんなことを聞くの?」
「ぼ・・・僕、少し前から光月さんのことがす・・・好きで。
で・・・でも、西遠寺くんと付き合ってるって聞いたんです。
西遠寺くんは同じ男の目から見ても、ムトーのように、
頼もしくてカッコいいですから」
「・・・そうなんだ」
「・・・というわけで僕は、失恋してしまいました」





・・・・・やっぱり。私の胸はズキリと痛んだ。
けど、不思議と動揺はしていなかった。





だって、未夢ちゃんは女の私から見ても本当に素敵だもの。
クラスの男子を釘付けにする程、いつだってキラキラ輝いていて、
笑顔がまぶしくて・・・。


普段はふわふわしているけど、本当は誰よりも強くて、誰よりも優しい。
西遠寺くんは、そんな彼女だから、好きになったんだと確信出来る。


そんな未夢ちゃんだから、栗太くんが好きになっても仕方がないのよ。
心からそう思える。


未夢ちゃんは、私の自慢の友達だもの・・・。





「・・・・・未夢ちゃんって、素敵だよね」
「は・・・はいっ。最初はクリスの友達だったはずなのに、
少しずつ、彼女に惹かれていく自分に気がついたんです。
そのときにはもう・・・」
「・・・そっか」





そう言って俯く彼の表情に、どんな言葉をかけていいのか分からなくなる。
分かるのは、彼の痛みは私自身の痛みなのだということだけだった。





「でも、栗太くんはそれでいいの?」
「え?」
「想いを伝えないままで」
「・・・・・僕、彼女を困らせたくないんです。いつも笑顔の彼女が好きだから。
僕の言葉なんかで曇らせてしまうのはもったいないから」
「・・・・・」




真剣な彼の表情を見たら、これ以上何も言えなくなってしまった。
繊細で、頼りなげに見えるけど、本当は、私が思った以上に強い人なのかもしれない。
私は彼の表情を見つめながらそう思っていた。




「栗太くん・・・もういいよ。ごめんね。へんな事聞いたりして。
それに、私・・・何気ない言葉で傷つけちゃったね。
ムトーとフィリシアを彷徨くんと未夢ちゃんに似てるなんて
言っちゃったりして・・・」
「いえ・・・いいんです。だって、本当のことですから。
綾さんが気になさることありませんよ」





栗太くんはそう言って穏やかに微笑んだ。
その微笑みは、彼らしくてとても優しかったけれど、
どこか儚げで、切なく感じられた。





「でも・・・」
「そ・・・それより、お昼をどこかで食べましょう。
確かこの辺に知り合いの店があるんです」
「う・・・うん」




私はそう頷いて、目配せをして立ち上がった栗太くんの少し頼りなげな背中に続いた。
彼のために自分が何か出来ないかを考えながら・・・。






□■□






約3時間の舞台は、想像以上に素晴らしかった。



ムトー、フィリシア、19(ナインティーン)ネイト、リオンという、
難しい人物を見事に演じ切った役者の演技もさることながら、
何より演出が素晴らしかった。



原作の良さを生かしつつ、独自の演出に溢れていたからだ。
心からプロの仕事と思える演出だった。



あまりに素晴らしかったので、カーテンコールが終わった後も、
栗太くんに声を掛けられるまで、しばらくその場を動けずにいた。





(やっぱり愛よねえ・・・)





私は心の中でそう呟きながら、ひとつの答えに行き着いていた。
愛は、何にも勝る力を持っていると思うから。
例え、その想いが成就しなくても・・・。





「ねえ、栗太くん。まだ時間大丈夫?」
「ええ。大丈夫ですけど」
「なら一緒にご飯食べに行かない?この劇場の近くに、
おいしいイタリアンのお店があるの知ってるんだ。今度は私に奢らせてよ」
「は・・・はい」
「じゃあ、行こう」





それから数分後にたどり着いたのは、お姉ちゃんの大学の先輩が経営している店。
何でも親から継いだ店を、たった一年で自分の形にしてしまったらしい。
先輩自身も調理師の資格を持っていて、さまざまな料理を出しては評判となっている。


確か、雑誌に載ったこともあると思う。
前に未夢ちゃん達を連れてきたことがあるのだけれど、とても評判が良かったのよね。





「とても雰囲気が良い店ですね。家では特別な理由もない限り、
あまり外食というものはしないので、知りませんでした」




席に腰を落ち着けると、栗太くんは店の周りを見回しながらそう言った。
彼にとっても落ち着く店だったようで、少しほっとする。





「ありがと。ここってお姉ちゃんの知り合いの店なんだ」
「入り口で挨拶して下さった男性がそうですか?」
「うん。来月、お姉ちゃんと結婚するんだ。最初は両親も、
学生結婚だって反対してたけど」
「そうなんですか。男から見ても素敵な人でしたね」
「お姉ちゃんいわく、夢に向かってまっすぐな人だって」
「・・・なるほど・・・胸に留めておきます」




それから適当に料理を注文し、食事を終えた私達は、
この店特製のカフェオレを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。



そろそろ話を切り出す頃かもしれない。
私はそう思っていた。





「綾さん、僕に何か話があるのではないんですか?」
「・・・ふふ。お見通しだったか」
「で、話というのは?」
「・・・・・未夢ちゃんに想いを伝えてみないかってこと」





栗太くんは驚いたような表情で私の方を見た。





「綾さん・・・僕は・・・」
「私だって、未夢ちゃんを困らせるのは嫌だけど、
栗太くんがそうやって落ち込んだ顔してるの見るのも嫌だから」
「綾さん・・・」
「未夢ちゃんは彷徨くんが好き。これは揺ぎ無い事実よ。でもね。
未夢ちゃんは未夢ちゃんなりに、栗太くんの想いを真摯に受け止めて、
未夢ちゃんらしい答えを出してくれると思うの。未夢ちゃんはそういう人だからこそ、
栗太くんも好きになったんじゃないの?」





私は舞台の前からずっと考えていたことを、目の前の彼に懸命にぶつけた。


栗太くんの落ち込んだ顔はもう見たくない。
いつも笑顔で優しい栗太くんが好きだから。


そんな想いが強かったのかもしれない。





「・・・・・私、栗太くんは栗太くんの良さがあって、栗太くんにしか出来ないことがあるのを
忘れないで欲しいんだ。未夢ちゃんだってきっとそれを分かってるよ。
未夢ちゃんが男の子として意識した相手が栗太くんじゃなくてもね」
「綾さん・・・」
「私、どんなに叶わない恋でも、想いを伝えることって大事だと思うんだ。
確かに思いを伝えられない恋もあるのかもしれない。
だけどね。それって悲しいことだと思わない?自分にとって大切な恋が、
自分自身と向き合うことが出来ないまま終わってしまうなんて。
だから、栗太くんにはそんな悲しい想いをして欲しくないの」





頬から冷たいものが伝っているのが分かる。
これは、栗太くんへの叱咤と同時に、今の自分に対しての言葉でもある。


自分の好きな人が、自分を好きになって貰えない悲しみ。
それは私自身も同じだから。


その痛みを少しでも分け合いたい。
その痛みが癒えるのなら、自分はどんなことでもしてあげたい。


そう思うから。





「・・・あ・・・綾さん、僕のためにどうしてそこまで・・・」
「・・・・・」
「綾さん?」
「・・・・・栗太くんのことが好きだから。栗太くんが未夢ちゃんを好きなのと同じように、
栗太くんのことが好きだから。最初はね、演劇の素材で、大切な友達だったはずなのに、
あなたに対する独占欲が、いつの間にか強くなっていることに気付いたわ。
それで、分かったの。私はあなたが好きなんだって」





伝えるつもりは無かったのに、あふれ出してしまった言葉。
あふれ出して止まらなくなってしまった言葉。


栗太くんは私の突然の告白に、唖然とした表情のまま口を開いた。






「・・・・・綾さん。それで僕の背中を押して下さったんですね。
僕はいつも肝心なところで、ほんのちょっとの勇気が足りませんでした。
伝えられずに終わった恋は、これまでに何度もあるんです。
だけど、今度こそ、自分自身の恋と向き合ってみようと思います」
「栗太くん・・・」
「綾さん、本当にありがとう。僕・・・いえ、オレは変わりたい。
こんな中途半端なオレを、好きだといってくれたあなたのために、
あなたに好きになってもらう資格のある男になりたい。
だから、もう少しだけ待っていてください」






そう言ってこちらを向いた彼のいつに無く真剣な表情の瞳から、視線が外せなくなる。
そんな瞳から、彼のひたむきで強い想いが伝わってくるようだった。



彼は、私の思っていた以上に強い人だったのだ。



改めてそう確信する。






「・・・オレは、未夢さんに告白してきっぱり振られてきます。
これは、自分のためでもあり、あなたのためでもあります。
あなたに相応しい男に変わるための第一歩なのかもしれません」
「栗太くん・・・」
「は・・・はい」
「私は、どんな栗太くんでも変わらずに好きでいるから。だから、いつまでも待ってる」
「・・・・・ありがとうございます」




私は伝っていた涙をハンカチで拭うと、にっこり笑って見せた。



(もう大丈夫だよ)



そう感じさせるくらいに。




「さてと、もう帰らなきゃ。明日への体力を残しておかなくちゃいけないしね」
「い・・・家まで送ります」
「ふふ。栗太くん、声が上ずってるよ」
「す・・・すみません」





私達はそう言って立ち上がると、店を後にする。
背中越しに、店員のありがとうございましたという声だけが響いていた。






□■□






-その翌日





放課後、ひとりで部室に向かっていた私は、
後ろに視線を感じて振り返った。




「綾さん、僕・・・じゃない・・・オ・・・オレは、約束どおり、
未夢さんに告白して振られてきました。
綾さんのおっしゃるとおり、真剣に受け止めてくださって、
ありがとう・・・と」
「栗太くん・・・」
「と・・・ところで、綾さんにお聞きしたいことがあります」





そう言って、昨日と同じくらい真剣な瞳がこちらを向いた。
私は真剣な彼の表情に、綺麗な瞳だな・・・そう思いながら見つめ返す。
胸の奥にちょっぴり期待を込めて。





「なあに?」




私は何気ない表情で言葉を返しながらも、頭に浮かぶのは、
心臓の音が、彼に聴こえやしないかということばかり。




「い・・・今のオレ、どうですか?」
「あのね・・・」
「は・・・はい」
「言ってもいい?」
「ど・・・どうぞ」






(すごくカッコいいよ)






私は彼の耳元でそう小さく囁くと、唇を彼の頬に軽く押し付けた。




真っ赤な表情で硬直している彼を尻目に、
私はしてやったりといった表情で、思わず舌を出して見せた。






思わぬきっかけではじまった恋。
思わぬきっかけで動き出した恋。




私の本当のドラマは、
私が彼を振り向かせるためのドラマは、
ここからはじまるんだ。





そう。私のドラマチックはここからなんだ。





私は彼の真っ赤になった頬を見つめながら、強くそう思っていた。








THE END








□■□




*'05年の夏企画参加作品。



こんにちは。中井真里です。初めての方は、はじめまして。今後ともどうぞお見知りおきを。
'05年、夏企画参加作品をお送りいたしました。テーマは水。何処が水かというと、綾と栗太が飲んでいたカフェオレと、綾の涙です(笑)。

最大のポイントは、綾の涙と、栗太が自分のことを「オレ」と言うシーンかしら?彷徨が「俺」(ヒーローは「俺」でなくちゃね)で、三太が「おれ」で、望が「ボクか僕」という形になっているので、区別は出来るかと思います(笑)。栗太が「オレ」というシーンに違和感がないかどうか、いささか心配ではありましたが、以前から考えていたシーンということもあり、このままにさせていただきました。ちなみにこのシリーズ、懲りずにまだまだ続きます。次回の「〜ここから」シリーズをお楽しみに。それでは最後まで読んでくださってありがとうございました。

余談ですが、これを書いている途中、BGMにYUKIの新曲「ドラマチック」がほぼエンドレスでかかっていました。タイトルを「ドラマチック〜」にしたのも、この曲の影響だったりします。このお話のイメージソングという感じになっているので、持っている方はお試しあれ(笑)。


'05 7.30   中井真里


*用語解説


・「OZ(オズ)」(完全版・全5巻)

「オズの魔法使い」をベースに描かれている、樹なつみ作のSF漫画。舞台は第三次世界大戦で壊滅的なダメージを受けた近未来の地球。少年時から傭兵として育った軍曹のムトーは、ふとしたことから、天才少女・フィリシアのボディーガードを勤めることになる。

彼女の弟・リオンのメッセージから、彼女を守るサイバノイド(人造人間)である19(ナインティーン)と共に、謎の都市・OZを目指して旅を続けるムトー、フィリシア一行であったが、そこまでには幾多の困難が待ち受けていた…。次第に芽生え始めるムトーとフィリシアの愛、ムトーと部下ネイトの友情など、SF漫画でありながら、秀逸な人間描写で満ちている傑作。


・演劇集団キャラメルボックス

「OZ」の舞台を上演した実在する劇団である。実際は宝塚のような集団ではないが、「OZ」の舞台では、女性が男性を演じた。公式サイトはhttp://www.caramelbox.com/


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