明日に向かって

作:中井真里



君と進む道は、いったいどんなものに満ちているのだろう?

肩に体をゆだねる彼女の姿を眺めながら
俺はふとそんなことを考えていた。






◇◆◇






「かなた、彷徨」


ふと、自分の名前を呼ばれているような気がして、
閉じられていた瞼を開いた。


目の前には、最近暮らし始めたばかりの彼女の姿。



「おはよう」
「あぁ、おはよう」

そう言って、彼女の唇に軽く触れる。



「彷徨、早く着替えないと遅刻するよ。今日練習あるんじゃない?」

彼女の声に促されてガバッと布団を起こす。


(そうだ、こんなことしている場合じゃなかった・・・)


夜中まで本を読んでいたのがまずかった。と内心呟きながら、
服を着替える。さすがにこの時期、下着一枚で寝るのはつらかった。
寒さの方は隣の存在もあり、そうでもなかったが、寝起きがつらい。
体が凍る程の寒さを感じる。


「テーブルの上に、パンとサラダと味噌汁が置いてあるから」
「お前はもう食ったのか?」
「うん。いろいろ準備もあったから」
「そっか。悪いな」


最近、友人に誘われて部活に入ったせいか、なんやかんやで
ふたりだけの時間がなかなか取れない。

しかも、2年生にも関わらず、レギュラーに選ばれてしまったのだ。
本当は何処かに出掛けたいはずなのに、
そんな自分に遠慮している彼女に申し訳なくて・・・。


「彷徨が頑張ってると、私も元気になるんだ。だから思いっきり頑張って。
私だって彷徨に負けないくらい、いろんなこと頑張るから」
「あぁ、そうだな。俺も頑張るよ」


彼女のその一言が、自分に元気を与えてくれる。
彷徨自身、気持ちが通じ合った今でも強くそう思っている。


そんな言葉を交わしつつ、テーブルの上のトーストを頬張る。
ブラックのコーヒーが、眠気の体にじわっと広がっていく。


「うん、うまい」
「ふふ。よかった」
「お前にしては珍しく・・・な」
「もうっ。一言余計」
「あはは。冗談だよ、冗談」



日常の何気ないやりとりが嬉しくて、幸せを噛みしめる。
もちろんこんなこと、不器用な彷徨には、口に出して言えそうもないが。



「お弁当、持っていくからね」
「さんきゅ。じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」


いつものように、笑顔で送り出す。

こうしてふたりの慌ただしい一日が始まった。






◇◆◇





「さてと、はじめますか」


彷徨を送り出した後、未夢は台所に立っていた。
弁当の準備に取りかかるためだ。


まず、あらかじめ炊いて置いたご飯をラップの上に乗せ、握っていく。
具は鮭、たらこなど、さまざまだ。

もう一つの炊飯器から取りだしたのは、混ぜご飯。
と言っても、スーパーに売っているような、いわゆる混ぜご飯の元を
使って作ったものなのだが。同じようにラップに包んで握る。

そうして、かなりの数のおにぎりが出来上がる。
我ながら、作業が早くなったなぁと未夢は思っていた。
これでも彷徨からすれば、まだまだと言われてしまうのだろうが。

おかずは出汁巻き玉子にカボチャの煮物。
今時の若者が作るおかずにしては、随分渋めのセレクトだが、
彷徨の好みを考えていたら、いつの間にかこうなっていた。


いずれも、彷徨と暮らすようになって覚えた料理ばかりだ。
自分でも、少しずつ上達していると思っている。
やはり、好きな人と暮らすということは大きいのかもしれない。
未夢は、改めてそう実感していた。



「うん、上出来」


数時間後、一通りの作業が終わって、味見をする。


(何とか思い通りに仕上がりましたな・・・)


内心、そう思いながら、ほっとため息を突く。
正直、心配だったのだ。これだけの量の弁当を作ること自体初めてだったから。
まぁ、おかず諸々のことに関しては、料理上手の友人の手を借りたのだが。

ふと気が付くと、時計は昼の12時を差そうとしていた。


「いけない。急がなきゃ」

大きな包みを両手に抱えてエレベーターを降りると、
外には黒いベンツが待っていた。






◇◆◇






「もう一本お願いします!」


体育館中に部員達の声が響き渡る。
大会が近いこともあってか、練習は激しさを増していた。
それは、体力には多少の自信があった彷徨にとってもかなりきついものであった。

が、レギュラーに選ばれてしまったからにはその責任を果たさなければならない。
それだけ、彷徨のレギュラー入りは重いものであった。


流れ出した汗が床に落ちて光る。
ボールが宙を舞って、ゴールをすり抜ける。
この瞬間が溜まらなく心地良い。


素直にそう思えるようになったのは、いつのことだろうか?




「よし、しばらく休憩!」




休憩を合図するキャプテンの声で、張りつめていた空気が和やかになる。
体育館の時計は、すでに12時30分を差していた。


「彷徨!」


気が付くと、体育館の入り口で、彼女がこちらを向いて大手を振っている。
彷徨は他の部員達のひやかしを背に走り出す。


「西遠寺のやつ、羨ましすぎる・・・あんな可愛い彼女とお弁当・・・」
部員のひとりが、その様子に思わずため息を付いている。


「あのひと、文学部の光月未夢さんですよね?先輩の彼女なんですか?」
「お前知らないのかよ。結構有名だぜ」
「そうなんですか・・・華奢で可愛い人ですね」
「あれで性格は結構お茶目なんだなこれが。
俺、居酒屋で偶然一緒になったことがあるんだけどさ。
"あの西遠寺"の彼女って知ったときには驚いたもんだけど」
「先輩、堅物で有名ですもんねえ」
「西遠寺のやつ・・・後輩のくせに良い思いしやがって(泣)」



そう口々に噂する部員達の会話を、低い声が遮った。



「誰が堅物だって?」
「さ・・・西遠寺」
「うわぁ・・・す・・・すみません」


突然の声に、部員達がたじろぐ。


「未夢が、弁当をみんなの分もつくったからって持ってきたんだけど、
その様子じゃいらないってことですかねえ?」
「もうっ。彷徨ったら。皆さん、遠慮しないて食べて下さいね。
彷徨がいつもお世話になっているお礼です」


未夢は、相変わらずの彷徨を窘めると、
ニッコリ笑って、手に抱えていた大きなバスケットを差し出した。
その瞬間、ざわめきが辺りを支配する。

バスケットの中には大量のおにぎりと、色とりどりのおかずが並ぶ。


「お・・・おいっ。あの光月さんの手料理だぜ・・・感激だなぁ」
「おい、押すなよ」
「先輩、ずるいですよぉ」
「こういうことは先輩優先に決まってるだろうが」
「それって年功序列です〜(泣)」



部員達が、我先にと未夢の弁当を争っている横では、
煮え切らない表情の彷徨が、その様子を見つめていた。
彼のことを良く知っているものが見れば、
明らかに「拗ねている」と分かるのだが。



「彷徨、こっちこっち」

気が付くと、向こうで未夢が手招きをしている。


「未夢?」


彷徨が訳の分からないと言った表情で声を上げると、
未夢は唇に人差し指を当てて、静かに歩き始めた。
彷徨はそんな未夢の様子に少し戸惑いながら、
弁当に必死で群がっている部員達の姿を背に歩き出したのだった。






◇◆◇






あれから未夢が向かった先は、体育館裏の小さな庭だった。

中央に、雪の模様をあしらった、白いビニールシートが敷かれている。
その上にはシートと同じ模様の弁当袋。横には水筒が2本。


「ささっ、彷徨さん、こちらへどうぞ」


未夢は、ニッコリ笑ってそう言うと、シートの上に座るよう促した。
一方の彷徨は、そんな未夢の様子を横目で見ながらドシンと腰を下ろすと、
少し不機嫌な表情で口を開く。


「・・・未夢、今日はいったいどうしたんだ?」
「えへへ。あのお弁当は皆さんへの感謝の気持ちってことで。
さすがに私ひとりじゃ重いから、クリスちゃんの車で送ってもらったの。
いろいろ驚かせてごめんね」


未夢は、彷徨の問い掛けに、申し訳無さそうな表情で弁解する。


(そんな顔で言われたら、怒れなくなるじゃないか・・・)


彷徨は内心そう思いながら、ふぅとため息を突いた。



「別に・・・怒ってないよ。俺は寛大だからな」
「よかったぁ」
「それより、食って良いか?さっきから腹が鳴りっぱなしなんだ」
「どうぞどうぞ。今日はねえ、温かい味噌汁もあるんだよ」
「珍しく気が利いてるな」
「珍しくは余計でしょ?」



いつもの他愛ないやりとりに、思わず笑みがこぼれる。
こうしてふたりでいられることの幸せを実感出来るから。



「では、さっそく自慢の味噌汁をどうぞ」

未夢はそう言って、ランチジャーの蓋に味噌汁を継ぐと、
彷徨の方に差し出した。水筒からは、温かそうな湯気と共に、
味噌のほのかないい香りが漂ってくる。中身はしめじとネギのようだ。


「うん、うまいよ」
「ホント?」
「あぁ」
「よかった。そう言ってもらえると、作った甲斐がありますなぁ」

それにしても、余程お腹が空いていたのか、
目の前のおかずをあっという間に平らげていく。

そんな彷徨の様子を見ることが、未夢にとっては一番の幸せであった。






◇◆◇






「ねえ。彷徨」

気が付くと、未夢が少し言いにくそうな表情でこちらを見つめていた。


「ん?」
「部活、楽しい?」
「まぁな」
「そっか。良かったよ。坂本先輩も気にしてたし」


そう、彷徨が助っ人として参加することが多かったバスケ部に、
正式入部したそもそものきっかけは、ふたりの高校時代の先輩で、
現キャプテン・坂本遼太郎の頼みによるものであった。

飛び抜けた才能はあっても、チームを引っ張れる頭脳的な人材がいない中で、
ある程度の経験もあり、頭の回転が良く、安定した運動神経を持つ彷徨の存在は、
とても大きかったようだ。


「確かに最初は少し戸惑ったかもしれない。が、誘いを受けた以上は、
精一杯やってみようと思うようになったんだ。
バイトとの両立がキツイってのも本音だけどな」
「うん、そうだね。私もできる限り力になるよ。彷徨が頑張れるように」
「・・・・・ごめんな」
「何が?」
「その・・・なんだ・・・なかなか一緒にいてやれねえし・・・」


そう言って、照れ臭そうに頬を掻く彷徨。
彼の秘めた優しさが伝わってきて、嬉しくなる。

思わず、笑みがこぼれる。


「・・・・・ありがとう。でもね。私、嬉しいんだ。こうして彷徨の力になれて」
「未夢は強いんだな」
「ううん。彷徨がいてくれるからだよ。私が強くなれるのは、彷徨がいるから」
「・・・・・俺もだよ。俺も、お前がいるから頑張れるんだ」
「ふふ。ありがと」


お互いの顔が近づいて・・・・・ふたつの唇が重なった。


「やべっ。そろそろ練習始まる。ごめん・・・俺、もう行かねえと」
「彷徨、頑張ってね。夕飯作って待ってる」
「あぁ、さんきゅ」


たった一言だけを残して体育館へ走り出す彷徨の背中がやけに逞しく見えた。

そんな彼の背中を見つめる未夢の表情は、幸せで満ち溢れていた。






◇◆◇






それから一週間後、彷徨が正式な部員となって
初めての練習試合の日を迎えていた。


未夢は助っ人マネージャーとして、
彷徨は選手として、会場にいた。





「じゃ、行ってくる」
「うん。頑張ってね」
「あぁ」
「彷徨の頑張ってる姿、ずっと見てるから」





あなたのこと、ずっと見てるから。


あなたの強さも、優しさも、すべてこの胸に焼き付けたい。


コートをかける汗が  ボールを追うリズムが
つらいことも、嬉しいことも、あなたとの想い出と共に
すべて包み込んでくれるから。



私はこれからもあなたと走り続けたい。



あなたとの明日(みらい)に向かって









THE END








(おまけ)


「あのふたりって、恋人って言うよりふ〜ふみたいだよなぁ」
「キャプテンどう思います?」
「・・・・・」
「きっと、梁川先輩のこと考えてるんですよ」


思わず、うなずく一同であった。








こんにちは、中井真里です。

というわけで、もう一つの企画小説をお送り致しました。
こちらも、OPENさんからのリクエスト「みゆかなの大学生活」と
企画のテーマである、「湯気」を引っかけています。

この「明日に向かって」は、どんなことがあっても揺るがない
ふたりの気持ちや、強い想いを書きたくて、プロットを起こしました。
ちなみに、2本とも未夢が料理をしているという共通点があります(笑)。
これは、プロット作成の段階で意図的に合わせてみました。

それでは最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
良い年末、そして新年を迎えて下さい♪


*坂本遼太郎

約20年ほど前の『りぼん』に連載されていた、
漫画「月の夜 星の朝」(本田恵子)のヒーロー。
超高校級のバスケットボールプレイヤーで、
物語の最後で、日本人初のNBAの選手としてアメリカに渡る。
今の田臥選手のような存在ですね。

*梁川先輩

本名、梁川りお。同じく「月の夜 星の朝」のヒロインで、遼太郎の恋人。
全国レベルのバスケットボールプレイヤーで、
インターハイに出場した経験もある。物語の最後で、
遼太郎の旅立ちを見送った彼女は、彼との未来を進んでいく決意をする。


#BGM 岡崎律子「明日に向かって」より。


'04 12.24 中井真里


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