作:流那
初夏吉日。空は雲一つ無い青空が広がっていた。
一台のバイクが海岸沿いの道路を勢い良く走っている。
魅録は紅い姿のそれを、まるで自分の手足のように操る。
その姿は、あの頃と何ら変わっていない。
「いやっほう。バイクに乗るのなんて久しぶりだぁ」
「やっぱ速度制限無しってのは爽快だぜ。普段はそうもいかないからな」
「お前・・・仕事でもバイクに乗ってんだもんなぁ」
背中越しに悠理の声が聞こえてくる。
こうして二人で出掛けるのも何ヶ月ぶりだろうか?
魅録は背中にぴったりと張り付いている彼女と
いつもの他愛ない会話を交わしながら、そう思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
魅録の脳裏には、これまでの
さまざまな出来事が蘇っていた。
あれから悠理は聖プレジデント大学を卒業後、
兄である、剣菱豊作の秘書として働いている。
彼女なりに自らが生まれ育った家のことを考えた結果だ。
一方魅録は同じく聖プレジデント大学を卒業後
警視庁の採用試験に一発合格。当初からの希望だった
交通課に配属され、白バイ隊として任務に就いている。
ふたりが付き合い始めて、4年が経とうという頃。
魅録は一大決心でプロポーズをした。
それは、大学を卒業して、まもなく1年になろうとしていた
今年の冬のこと。
悠理は最初こそ、照れ臭そうに下を向いていたが
瞳に大粒の涙を浮かべながら笑った。
それは、今まで見たどんな表情よりも綺麗だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから剣菱夫妻の計らいで、盛大な婚約発表会が
催された。その後も悠理の婚約者として、
さまざまな御披露目パーティーに出席した。
窮屈なパーティの連続に、疲れもしたが
悠理とこれからも一緒にいられるという幸せに比べれば
どうと言うことは無かった。パーティーの間中
彼の横にぴったりと張り付いていた
彼女の気持ちも、どうやら同じようだった。
実を言うと、今日のデートも昨日の夜に
剣菱財閥の重要な取引先である、
クィーンレコード主催のパーティーを
こっそり抜け出して来たのだった。
疲れた様子の悠理を気遣ってのことだが、
今頃、剣菱夫妻と主催者である副社長の神野氏は
豆鉄砲をくらったような顔をしているだろう。
血相を変えた父・時宗に、それをなだめる母・千秋。
そんなことを想像してしまう自分が可笑しくなる。
「おい、魅録。何1人で笑ってるんだ?」
そんな風にひとりで考え事をしていると、後から再び声が降ってきた。
気のせいだろうか?声にいつもの覇気が感じられない。
「いや・・・ちょっとな。そんなことよりもうすぐ着くぜ」
「うん」
「だから、もう少しの辛抱な」
「うん」
「悠理?」
やはり様子がおかしい。彼の声も上の空のようだった。
(もう少し、急いだ方がいいみたいだな)
魅録は内心そう思いながら、バイクのスピードを上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから1時間程して、目的地である湘南海岸に到着した。
目の前には青い海と眩しい太陽が広がっている。
ここに来るのは本当に久しぶりだった。
学生時代は幾度と無く訪れたものだが。
「やっぱりイイな」
「あぁ。お前、ずっと来たがってたもんな」
ふたりはバイクから降りると、防波堤の上に腰を下ろしていた。
悠理はやはり疲れていたのか、小さく欠伸をした。
「大丈夫か?眠いなら寄りかかれよ」
「うん。さんきゅ」
悠理は魅録の肩に身を寄せると静かに眼を閉じた。
ふたりは暫くの間、そうして肩を寄せ合いながら
穏やかな波の音に耳を傾けていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから、どのくらい時間が経ったのだろうか?
魅録は悠理の声に、いつのまにか閉じられていた瞼を開いた。
「魅録、起きてるか?」
「今起きたとこだ。眠っちまったみたいだな」
「魅録・・・あのさ」
「どうした?」
そう言ってふと横を見ると、やけに不安げな表情の悠理が
こちらをまっすぐに見つめていた。
「可憐の事。何だかもう見ていられなくてさ」
「・・・・・」
清四郎と可憐の付き合いを聞いたときは、
本当に驚いたものだった。
高校卒業後、清四郎はドイツに留学。
その後はドイツのシュバルツ大学に入学し
見事主席で卒業。向こうの研究室に残って
研究に没頭しているようだ。
可憐は聖プレジデントの経済学部を卒業し
ジュエリーAKIの若社長として、その手腕を振るっている。
しかし、ふたりは卒業以来一度も会っていないらしい。
悠理はそんなふたりの気持ちを計りかねていた。
「清四郎の事を振り切るように仕事に没頭する可憐見てたら
あたしまでつらくなっちまって。清四郎のやつもう5年だぜ。
いい加減帰って来てやってもいいじゃないか!あたし達の
婚約パーティーにも顔を出さなかったし。連絡手段が
たまの国際電話とメールって残酷すぎるよ」
魅録は悠理の言葉に、じっと押し黙って
何かを考え込んでいる様子だったが、
やがて静かに口を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「きっと清四郎は清四郎なりに何か考えるところがあるんだろ。
それは可憐も同じだと思うぜ。だからふたりとも
どんなに会いたくても会わずに自分の夢を追いかけてる」
しかし、悠理は納得出来ないという表情で続けた。
「清四郎なりに考えてることって何だよ?あたしには分かんないよ。
好きなヤツを5年もほっとくってことか?」
「俺はそうは思わない。お前だって清四郎が
そんなやつじゃないって分かってるはずだろ?」
「・・・お前も・・・あるのか?」
悠理は小さくそう呟くと、不安げな表情で魅録の方を見た。
その表情はやけに淋しげで、切なく感じられた。
「その・・・お前も清四郎みたいに考えてることあるのかなって
夢とか、これからしたい事とかさ」
「そりゃ・・・まぁな。俺の場合は
清四郎みたいにでっかい夢じゃねえけど」
「そうなんだ・・・」
悠理は淋しそうに下を向くと、少し拗ねたように
一差し指で、防波堤の上をなぞっている。
「・・・俺の場合は、お前を幸せにすることだよ」
「魅録・・・本当にどこにもいかないんだな?」
「俺はどこにもいかねえよ。ずっと・・・一緒だ」
魅録はそう一言呟くと、悠理の柔らかな桜色の唇に触れた。
彼女の頬からは、涙が伝っていた。
ふと先程まで聞こえていた波の音が途絶えた。
まるで自分達の周りだけ、時が止まったように。
◇◆◇◆◇◆◇◆
どのくらいそうしていただろうか?
しばらくして、波の音が耳に響いてきた。
ふたりは何だか気恥ずかしくなって、唇を離した。
「ごめんな・・・。あたしってば不安だったんだ。
魅録はあたしなんかと結婚してもいいのかなって。
野梨子や可憐みたいに女らしくないし、
それらしい事、何にもしてやれないって分かってるから
それに、お前も清四郎みたいに、いつかは
夢を追いかけて何処かにいっちまうのかなって」
悠理は目の前の青い海を見つめながら、
ゆっくりとそう呟いた。
「ばかだなぁ。そんなわけないだろ」
魅録はそう言ってニカッと笑うと、
淡い栗色の髪を優しく撫でた。
いつの頃からだろう。彼の少年のような笑顔に
こんなにも心が揺るがされてしまうなんて。
こんなにも・・・胸が温かくなるなんて。
「悠理は悠理だろ。そのまんまでいいんだよ」
「魅録・・・」
「それに結婚だって今までの延長線上って思えばいいんだ」
「うん。そうだな。さんきゅ」
「ほら。もう泣くな」
悠理は魅録の言葉にコクリと頷くと、
今日一番の笑顔を浮かべたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「可憐と清四郎は、幸せになるために別れたのかな?」
「そうだな・・・きっと。お互いの夢を叶えるために
自分らしく生きるために。きっとそれがあいつらの愛し方なんだ。
だから俺達はあいつらの親友として、それを見守ってやることが
一番だって思ってる」
「そっか・・・そうだよな」
悠理はようやく納得したのか、静かにそう呟いた。
「そして、俺達には俺達の幸せがある」
「うん。あたしも魅録と幸せになりたい」
「俺達、幸せになるぞ」
「うんっ」
もはや、悠理の心に不安は無かった。
この男となれば、幸せになれる。
自分らしく生きていける。
そう思ったから。
「そろそろ帰るか。みんな心配してるだろうしな」
「あたし、腹減った〜」
「そう来ると思ったよ。どこかで何か食って帰るか」
「やった〜魅録ちゃん愛してる」
「へいへい」
(もっとムードのいいときに言ってくれると尚いいんだけどな)
魅録は心の中でそう付け加えた。
「お〜い。魅録早く来いよ。あたし、もう腹ぺこぺこだよ」
いつのまにかバイクの横で、悠理が大きく手を振っている。
魅録は脱力して、思わずため息を突いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
-それから一ヶ月後。
ふたりはハワイの教会で盛大な結婚式を挙げた。
大勢の祝福に包まれながら。
幸せはここにある。
悠理の投げたブーケが青空に舞った。
今も、これからも、
すべての人が幸せでありますように。
心から そう願った。
Happy is in the blue sky!
THE END
一条ゆかり作・「有閑倶楽部」競作第二弾。
Blueシリーズの第二弾でもあります。
前回の清×可に続き、今回は魅×悠。
前作のサイドストーリーという形になっています。
合わせて読むと、より分かりやすいかも。
それでは読んで下さってありがとうございました。