作:中井 真里
それは忘れられない高校生活最後のクリスマス。
私の言葉をあなたに届けたあの日。
金色に光るピアノの美しい音色と共に・・・。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1999 12.7
未夢は街に出て、ショーウインドーを見て回っていた。
街は華やかなクリスマスムードに包まれ、間もなくやってくる
1年に一度の聖夜をいまかいまかと待ち構えているようだった。
ふと、楽器店のショーウィンドの前で足が止まった。
目の前にある、金色に美しく輝くグランドピアノに未夢は心を奪われたのだ。
中古らしく、これ一品限りと書かれていた。
(でも、あんな綺麗なピアノなら、きっと音色も美しいんだろうなぁ〜)
(うちじゃ、狭くて置けないだろうなぁ・・・。
まさか西遠寺の本堂に置くわけにもいかないし。)
(その前に私たちの貯金じゃ、高くて買えないか、はは)
などといろいろなことを考えていた。
すると、美しく、繊細な音色が耳に響いてきた。
それは、同じショーウィンドに飾られている、
さっきと全く同じ型のピアノを象ったオルゴールの音だった。
(これくらいなら私にも買える。
今年のクリスマスプレゼントはこれで決まりね)
そう思ったが、値段が表示されていなかったので
売り物ではないのだと察知し、
がっくりと肩を落とした。
(せっかく気に入ったのにな・・・)
そのとき、肩をポンと叩く音がした。
どうやらこの楽器店の店主らしきおじさんだった。
眼鏡をかけて、少し髭を生やしている
「お嬢さん、このオルゴールが欲しいのですか?」
「でもこれ、売り物じゃないんでしょ」
「そういうわけじゃないんですが、何だか値段が付けられなくてねえ」
それほど思い入れのある品物らしく、店主は自分の世界に入り込み、
ひとしきり想い出にふけると、未夢の手を取り、店の中に招き入れた。
アンティーク風の美しい椅子に座らせられると、紅茶が運ばれてきた。
未夢は紅茶をひとくち飲み、カップを置くと店主に尋ねた。
「あの、私・・・その、ただ見てただけなのに、どうしてですか?」
「あのオルゴールをあんなに欲しそうに
眺めていたのはあなたが初めてなんですよ。
これはそういう方にお売りしたいと思いまして。
私の大切な、大切な想い出がたくさん詰まった品物ですから」
「そういうことだったんですか・・・」
未夢はこのオルゴールにはどんな想い出が詰まっているのだろう?
想像するたびにうっとりした気持ちに駆られていた。
そして、この美しい音色。そういえば、この曲って何て言うんだろう?
そう考えていたが、思い出すことが出来なかった。
店主は、箱に詰めるとプレゼント用の包装にして渡してくれた。
そして、背を向ける未夢を満面の笑顔で見送った。
自分の想いが彼女に、そして彼女の恋人に伝わりますように・・・
そう願いながら。
◇◆◇
未夢は店を出ると、プレゼントの箱を抱えながら
帰り道を弾んだ気持ちであるいていた。
まるで何かが詰まっているおもちゃ箱みたい。
そんな気持ちに駆られ、とてもわくわくした。
そのとき、再びポンと肩を叩かれた。
「未夢」
「未夢ちゃん」
「ふたりとも久しぶりだね。元気してた?・・・
ってしょっちゅう電話してるんだから元気だよね」
3人はとりあえず、行きつけの喫茶店に入った。
隣に綾、迎えに綾が座っている。
あとからクリスも来る予定になっているらしい。
ふたりに会うのも久しぶりだった。何せ高校は別々になってしまったし、
お互い自分のことで忙しいということもあって
会える機会がめっきり減ってしまったのだ。
まあ、携帯でしょっちゅう話をしているので同じことなのだが。
「まあ、とりあえず元気だよね、綾」
「うん、そうだね」
ふたりはニッコリ微笑んで見せる。
すでに4人とも進路は決まっていた。
綾は演劇・演出関係の専門学校
ななみは服飾関係の専門学校。
そして、未夢とクリスは同じ大学の文学部への推薦入学
が決まっている。受験生のはずなのに、
この時期こんなところでのんびりしているのはそのためだ。
「ところで何でふたりとも集まってんの?」
「それがさぁ、クリスちゃんが重大発表があるっていうから」
「なにそれ」
「さぁ」
3人は訳が分からず、お互いに顔を見合わせる。
まあ、クリスの突発的な行動はいつものことなので、
それほど気にもとめていなかったのだが。
−カランカラン
しばらくして、クリスが扉を開けて入ってきた。少し息が切れている。
せっかちなところもちっとも変わってないな・・3人はそう思っていた。
「すみません、遅れてしまって。あら、未夢ちゃん見つかったんですのね」
「そうだよ、未夢ったら携帯にも気づかないし、大変だったんだから」
「ごめん、ごめん」
ななみの愚痴に未夢は申し訳なさそうに頭をかく。
「ところで、クリスちゃん、重大発表って何?」
綾が興味深そうに訪ねる。
「ふふふ・・・これをご覧下さいな」
そう言うと、クリスは鞄から紙切れを取り出した。
そして、カードのようにパラッと広げると、
それが4枚あることがわかる。
どうやらコンサートか何かのチケットのようだ。
そして、その紙には大きく、「SPIRAL」と描かれている。
3人はそれを確認した途端、眼の色を変えた。
「こ・・これ、スパイラルのライブチケットじゃない!
しかも最前列、東京公演・・」
「な・・ななみちゃん、これ本物よ。
私も取ろうとしたけどダメだったのに」
「私も行きたかったんだよぉ〜」
「SPIRAL」とは、今をときめく超が付くほどの人気バンドである。
ボーカルの芹香、キーボードの友香、
ギターのタケちゃんこと椋巳、ベースの保、
そしてリーダでドラムの新の5人で構成されていて
数あるバンドの中でもトップの人気と実力を誇っている。
特にボーカル&キーボードである芹香と友香は、”天才”と評されているほどだ。
そのため、ライブチケットはものすごい競争率になる。
ただでさえ、すごい競争率なのに、彼らは庶民派なのか、
ポリシーなのか分からないが,あまり大きい会場でライブを行うことがない。
たいていライブハウスか、少し小さめの公共施設くらいだ。
そのため、チケットはプレミア化し、
かなりの高額で売買されていることもしばしばなのだ。
そのチケットが自分たちの目の前にあるのだから、
3人が興奮するのは半ば当然のことだった。
「で、クリスこのチケットどうしたの?」
未だ興奮から抜け切れていない、
ななみと綾を背に、未夢はクリスに事の次第を尋ねた。
「実は、今行われているスパイラルの全国ツアーのスポンサーが
”うち”でして。その関係でチケットを頂いたので、
皆さんで楽しもうと思いまして。
しかも時期はクリスマスイブ。これは運命だと思いません?」
クリスは顎の下で両手を組んで、何か妄想に浸っている。
未夢はさすが花小町財閥だ・・・と思った。と同時に
彼女が花小町財閥令嬢であることに少々違和感を覚えていた。
「あっ、でも未夢ちゃん、24日は大丈夫ですの?」
「「うんうん」」
いつの間に正気に戻ったのか、ななみと綾が同調する。
「え?」
「「「でえと(ですわ)」」」
3人が少しからかうような眼で未夢を見つめる。
「大丈夫、今年は25日に入れてあるから」
未夢は少し顔を赤くしながらも、ウィンクをしながらそれに答えた。
「ならいいですけど。」
ななみがにやにやしながら未夢の方を見ている。
綾は興味津々と言った表情をしている。
「ところでさぁ、未夢ちゃんて、スパイラルのメンバーの中で誰が好みなんですの?スパイラル自体好きなのは知ってましたけど聞いたことありませんでしたわ」
クリスはそんなふたりに少し呆れつつ
いつものことだと思いながら話題を変える。
「私はやっぱり保・・くん・・・かな・・・」
未夢は少し恥ずかしくなって俯いてしまった。
「へ〜」
「ふ〜ん」
「そうだったんですの」
3人は納得して頷いている。
「「「未夢(ちゃん)ってその手の顔とタイプが好みだったんだね(ですのね。)」」」
「え・・」
未夢の顔が先程よりさらに真っ赤になる。
「保ってホント誰かさんそっくりだよね」
ななみの指摘に、クリスも綾も頷くばかり。
「そんなこといって、クリス、ななみ、綾はどーなのよ」
未夢はいよいよ耐えられないほど恥ずかしくなって
必死に話題を自分の方から逸らそうとする。
そんな必死の彼女に気が付いているのかいないのか
ようやく未夢から話題が外れる。
「あたしはねえ、やっぱり芹香かな・・何てったって天才だし、
知的でクールそうだしね。顔も並の女よりよっぽど綺麗だし」
ななみが拳を握って力説する。
「わたしは新かな。何てったってリーダーだし。
他のメンバーに比べて地味な印象があるけど、
いざってときに頼りがいがありそうって感じがする。
とっても優しそうだし」
つられて綾も答える。少し顔の色が染まっているのが分かる。
そうか、綾は地味だけど頼もしいタイプが好みなんだ・・。
未夢は内心そんなことを考えていた。
一同がクリスの方に顔を向ける。
クリスは少し恥ずかしそうにしていたが、ゆっくりと答えた。
「わたくしは友香さんですね。キーボード裁きは天才的ですし、
何より頑張っているという気持ちが強く伝わってきますわ。」
少し意外だった。クリスのことだから、
芹香さんか、タケちゃん辺りだと思っていたのに。
まあ、それも彼女らしいんだけど。
そんな他愛もないことを話しているうちに、時間があっという間にすぎた。
未夢達はコンサートへの期待を膨らませながら、それぞれの家路についた。
数週間後、未夢達が思いがけない出来事に遭遇するということを知る由もなく、
波乱の聖夜は刻一刻と近づいていた。
◇◆◇
「かなたさんやぁ〜ただいまぁ〜」
「おかえり、遅かったな、夕飯出来てるぞ」
彷徨が玄関で迎えると、未夢はこれでもかという程
顔をにこにこさせていた。
今日の夕食は肉じゃがと挽肉ピーマン。
そして、ご飯とみそ汁がテーブルの上に乗っている。
未夢は夕食の間中も終始にこにこ顔だった。
ちょっとからかってやってもいつものように怒らない。
ネットオークションで、ちょっとばかし高いものを落札してしまって、
こっそり未夢のへそくりを拝借したと打ち明けても
怒るどころか、「あとで返せばいいよ」と逆に笑顔を返されてしまった。
「おい、未夢、今日何かあったのか?ずいぶんと機嫌がいいみたいだし」
食後のコーヒーを口にしながら、彷徨はさすがに不気味になって、
ご機嫌の理由を未夢に問い質す。
未夢はよくぞ聞いてくれましたとばかりに身を乗り出して答える。
「クリスマスイブにあのスパイラルのコンサートがあるのを知ってるでしょ?」
「いや、知らなかった。スパイラルって、あのスパイラルか?」
「ったく。若者らしくないんだから。それでね、そのチケットをクリスが
偶然持っててさぁ。まさに棚からぼた餅ってな感じなの。
ああ、プラチナチケットが目の前に・・・しかも最前列だよ、最前列」
未夢はクリスがいつもするように
目を光らせながら顎の下で手を組んでいる。
彷徨は少し気にしていることを言われてムッとしながらも、
今は特に未夢が機嫌を損ねられても困ると思い、
話を黙って聞くことにする。
「それに、保くんに会えるし」
未夢はもう顔が綻んでとまらないと言った様子だ。
彷徨は頬杖を突きながら、
保の前でにこやかに笑っている未夢を想像して少しムッとする。
「保って、あのベースのやつか。あんな目つきの奴のどこがいいんだか」
「彷徨さんにはあの魅力は分からないのかねえ〜、
あの真剣で、ひたむきで、一途な表情がいいんじゃないっ」
言い終わると未夢はふうとため息を付いている。
そしてちらっと彷徨の方を見る。
突然見つめられて少し彷徨は戸惑った。
「みんなが言ってたけど、彷徨って保に似てるよね」
未夢は少し顔を赤くしながら呟く。
(はあ?誰が誰に似てるって?)
彷徨は内心そう感じながら、未夢の思わぬ発言に喜んでいいのか
そうでないのか分からなくなってしまった。
わざとらしくそっぽを向いてみせる。
「彷徨ったら何怒ってんの?」
未夢は首を傾げながら彷徨の顔をじーっと見つめる。
「怒ってねーよ」
そう言って、コンポのスイッチを入れる。流れてくるのは、優しくて切ない曲
さっきまで拗ねていた彷徨の顔が自然と綻んでいく。
が、サビのところで未夢は思わず顔を上げた。
(こ・・・この曲って、さっき買ったオルゴールの・・でも未だに曲名が
思い出せないんだよね。)
「いい曲だね」
未夢はうっとりしながら聴き入る。
「ああ。昔、母さんが好きだった曲なんだ。作曲者は不詳らしいけど。
曲名は楽譜を発見した人が付けたらしい。10年くらい前にあるアーティストが
アレンジしてセルフカバーしたらしいけど」
(この曲をつくった人にいつか会ってみたいわね)
彷徨は目を粒って母親との思い出の日々を回想する。
もうじき、18。母親がどうのこうのという年でもないのに。
それだけ、瞳の存在は彼にとって大きいものだということが分かる。
「ね、なんて曲?」
未夢はそんな彷徨の気持ちを察しながらも
曲名が聴きたくてうずうずしていた。
「・・・strawberry field」
「ストロベリーフィールドかぁ・・・ロマンティックだね。」
「そうだな」
甘酸っぱい恋の味が心の中いっぱいに広がっている。
未夢はそんなイメージを感じていた。
胸がドキドキわくわくして、切なくて、悲しい。
相手の一挙一動が気になってしまう。
そして、恋が実ったときの嬉しさと不安。
そんな気持ちを、3年くらい前の自分と重ね合わせて
ちょっぴり切なくなった。
「未夢?」
彷徨は、少しぼーっとしている未夢の顔に手をかざす。
「あっ何でもない何でもない」
未夢は自分の心を見透かされたようで、少し恥ずかしくなった。
何だか言葉が出てこない。しばしの沈黙が部屋を支配した。
「私、シャワー浴びて来るね」
「あ・・・ああ。俺、先に寝てるな。
お前も明日東京なんだから早く寝ろよ」
「うん」
未夢は立ち上がって、奥にある自分の部屋で
準備を整えると浴室に向かった。
彷徨は床についても未夢のシャワーの音が耳に響いていた。
(彷徨って保に似てるね)
さっきの未夢の何気ない言葉が彼の胸にズキンと響く。
何だか、胸騒ぎがしてならなかった。
(俺もなんとかしてコンサートに行かなきゃな)
内心そんなことを考えながら。
眠れない夜がゆっくりと過ぎていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、東京、CKプロダクションにて。
「百合子さん、新しい仕事が入ったって言ってましたけど
いったい何なんですか?」
ここは未夢が所属している事務所。
今はマネージャーの百合子と仕事の打ち合わせをしているところだ。
百合子は目を輝かせて未夢の手を握る。
「今度の仕事は凄いのよ。初めてモデル意外の仕事が来たと思ったら
あの”SPIRAL”のライブにゲスト出演だなんて。」
「へ?今、なんて言いました?」
未夢は先程の言葉が信じられずにもう一度聞き返す。
「スパイラルのライブにゲスト」
「ス・・スパイラルのライブにわ・・私が・・・」
未夢の精神は、失神寸前に陥っている。
「とにかく、うちのプロダクションから萩原未央以来の
大スターが誕生するかもしれないんだから、
頑張ってちょうだいね。」
「は・・はい」
(未央さんと比べられても・・)
未夢は内心そう思いながら返事をする。
萩原未央は、私の事務所の先輩で、さまざまな映画やドラマを経て
今や月9の常連、若者を中心に人気の女優に成長。一応、未夢の目標でもある。
今は映画監督である今の夫と新しい事務所を設立して独立。
たまに未夢の心配をして
月のうちの何度か顔を出すことが多い。
「それにしても、何で私なんですか?」
未夢はどんなに考えても疑問の答えに行き着かない。
自分の何がそんなに魅力なのか分からない・・
自分の武器はこの笑顔と大切な人の前で素直になれる気持ちなんだと
今まで自分に言い聞かせながら仕事をしてきた。
「何でも向こう直々の指名らしいわよ。もしかして
未夢のことが気に入ったのかもしれないわね。」
業界でも結構話題になってるわよ。
まだ秘密の企画なんで、公にはされてないけど。
これを機にバンバン売り出すわよ。
未夢はなんてったってうちの事務所の期待の星なんだから」
百合子の目が再び輝いているのが分かる。
「は・・はあ、頑張ります」
「あっ、さっそく明日から打ち合わせね。
そこでスパイラルのメンバーと顔合わせよ。」
というわけで、今日からコンサートまで私のマンションで生活してもらうわ。
そうそう、学校の方にはすでに連絡入れてあるから心配しないで。
それから、彷徨くんにもね」
百合子は軽くウィンクをする。
普通、タレントに恋人がいたりしたら反対するのだろうが、
この事務所は昔からタレントのプライベートには放任主義だったらしい。
萩原未央のときもそうだったという噂を耳にしたことがある。
そんなこんなで、「SPIRAL」と直接会うことになってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
放課後
三太と望に呼び出された彷徨は、中央広場にある公園のベンチで、
昨日の未夢の言葉を繰り返していた。
ちなみに三太と望とは学校が別々になっていたが、
ふたりは、お笑いコンビを結成し、勝ち抜き番組、
いわゆる決められた週だけ勝ち抜いたらデビューという番組に出演するようになっていた。そして、事あるごとに、この場所に呼び出すようになった。
たいてい大した用事ではないのだが。
「俺って”保”と似てんのかなぁ・・」
「誰と誰が似てるって?」
気が付くと、三太が顔を覗き込んでいた。
「おまっ、聴いてたな」
「だって、お前さっきから呼んでるのに気が付かないんだもん。
なぁ、望〜あれ?」
−パン
という音とともに、拍手喝采の音が響いてくる。
望はその美貌と器用な手付きで、
公園広場を立派なマジックショーの会場にしてしまっていた。
主な客である主婦層は、華麗なマジックと
彼の顔立ちのとりこになってしまっている。
長年友人(一応)やってるけど
こいつほど謎な人物は珍しいと今でも彷徨は思っている。
そして、一通り芸が終わるとベンチに近づいてきた。
「西遠寺くん、確かにキミとスパイラルの”保”は似てるね
それは未夢っちが言ったのかい?さすがだね」
望は金色のさらっとした綺麗な髪をなびかせ、気取ったような言い方をする。
「そうだな、俺もそう思うよ。さすがは未夢ちゃん、いい眼してるね」
三太も同意する。少しからかうような眼をしているのも分かる。
「どう言う意味だよ」
彷徨は、ふたりをギロっと睨み付ける。
「お前、気づかなかったのか?」
三太は少し驚いた顔をしている。
「キミは見かけによらず、本当に鈍感だね」
望も少し呆れている。
「未夢ちゃん=保のファン=彷徨ということは、お前が
彼女の好みの男という意味だろうが」
三太が熱弁を振るっている横で、望も頷いている。
「そ・・・そうなのか?」
彷徨の顔が赤面していくのが分かる。こういうときっていつも思うけど、
本当に照れくさい・・。穴があったら入りたいくらい。
目の前では三太と望がにやにやしながら彷徨の方を見ている。
「///と・・ところでお前ら何しに来たんだよ」
彷徨は顔を赤くしながら、ふたりに食ってかかる。
「聴きたいかい? それではワン、ツー、スリー」
望の右手から3枚のチケットが取り出される。
「!? それは・・・」
彷徨はそれを見て、思わず叫んだ。
彼の胸騒ぎは収まりそうもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
西遠寺・夕方
♪♪♪〜
彷徨の携帯の着信音が鳴った。
スパイラルのヒット曲のメロディーが流れてくる。
この音は未夢だ・・と思った。以前、着信音を設定せずにしておいたら
未夢がいじってそれぞれに専用の着信音を設定してしまったのだ。
そのときの様子を思い出すと、今でも笑ってしまう。
「あっ、彷徨?私。今何処?」
「今、家。さっき帰ってきて、今は夕食の準備中」
今は台所の前。青いエプロンを付けて夕食の準備をしている。
今日はトマトと茄子のパスタにサラダ。
「そうなんだ。あ、私もおなか空いたかな。
で、百合子さんから連絡あったでしょう?」
「ああ。さっき」
「それでさぁ、私・・・」
未夢はいいかけてやめた。打ち合わせが終わってからでも
遅くないと思ったから。
「なんだ?」
「ううん、何でもない」
少し未夢の様子がおかしいとも思ったが
気のせいだろうと深く追求しないことにした。
「それとさ、俺も東京行くから」
「東京? どういうこと?」
「スパイラルのライブだよ、24日、あるんだろ
当日の午前中までにはそっちに向かう予定だから」
「うん。待ってる」
一方、未夢は思いもよらない彷徨の言葉に驚いていた。
それだけで、先程まで抱えていた不安が消えていくのが分かる。
やっぱり恋のチカラって凄いなと思う。
たったこれだけのことで、こんなにも元気を
そして勇気を与えてくれる。
それが私のチカラの源なんだ・・・。
そして、この仕事は前向きが一番なんだ。
そう思い直す。
「でもチケット・・・」
「三太からもらった」
未夢はなるほど・・・と思いながら
相変わらずの彼の行動力に感心していた。
24日まで約2週間。
彷徨に会えないということもあるが、
何より彼をひとりにしてしまうということが悲しい。
「ごめんね、彷徨それまでひとりになっちゃうね」
「何言ってんだよ、24日には会えるんだから。
その・・・どっか行こうぜ」
何だか照れくさくなって強がりを言ってみる。
「うん」
「じゃ、切るぞ。夜更かししないで早く寝ろよ」
「わかってる、じゃあね、お休み」
「お休み」
電話が切れる。パスタのぐつぐつという音だけがやけに大きく聞こえてくる
急に寂しくなる。誰しもいて当たり前の存在が突然いなくなったら
寂しいものだが。
(う〜ん、こりゃ参ったな。あいつらでも呼ぶか。)
騒がしくても、誰かいないよりはまし。
彷徨はそんな自分に驚いていた。
昨日と同じ、眠れない夜が続いていく・・・・
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、未夢は百合子に連れられ
スパイラルがライブのリハーサルをするというスタジオに到着したはいいものの、こう広いところは初めてなのでトイレに行くのも一苦労という状態だった。
案の定、迷ってしまい、キョロキョロしていたら、誰かと衝突してしまった。
あまりの勢いに尻餅をついてしまった。
「ごめん、大丈夫か? 俺、ちょっと急いでたから」
そう言って手を貸してくれたのは20代前半くらいの男の人。
短髪で、少しつりあがった一途で真剣な瞳が印象的だった。
「あの、私、このスタジオ初めてで迷っちゃいまして。」
未夢は申し訳なさそうに頭をかいてみせる。
「俺、今日うっかり寝坊しちまってさぁ。悪かったな」
未夢は彼の顔をじーっと覗き込む。
何処かで見たことがあるような・・と思っていたら。
「あの・・・もしかして・・・その・・た・・保さんですか? スパイラルの」
「ま・・まあな」
(うわ〜本物だぁ)
一方、保は冷静な態度を装いながら、そう答えるのが精一杯だった。
そして、よくよく見ると、その少女に見覚えがあるような気がしていた。
少し考えて、その答えに行き着いた。
最近、雑誌などでよく見る子だ・・と思った。
読者モデルからここまで成長した少女ということで
業界内でも話題になっていた。
最初はタケにつられてちらっと見る程度だったが、
いつのまにか、友香に頼んで彼女が出ている雑誌を集めている自分に気づく。
カメラに向けられる表裏のない、純粋な笑顔が印象的だった。
そんな彼女と仕事が出来ることが正式に決定して、彼の胸は躍っていた。
たが、その仕事の打ち合わせ1日目から不幸にも寝坊してしまったのだ。
まあ、最近、彼女と別れて落ち込んでいるということもあるが・・。
「あの、どうかなさったんですか?」
「あ・・・いや」
未夢の声に保はようやく正気に戻った。
「じゃ、行こうか。未夢ちゃん」
保はそう言って歩き始めた。
「は、はい。あの・・」
「保でいいよ」
「保さん、よろしくお願い致します。」
未夢はそう言って頭を下げる。
芸能界で、挨拶は鉄則ということを
百合子に散々教え込まれていたからだ。
ふたりは横を並んで歩く。
未夢にとって、スターと出会うというだけでもほとんど初めてなのに、
並んで歩くという経験は彼女の心臓をドキドキさせるには十分の状況だった。
そうこうしているうちに、打ち合わせ場所に到着した。
「おせーぞ、保。何してたんや」
新の大きな声が響く。
「そーよ。打ち合わせには時間通り来るってのが礼儀でしょうが」
友香も相当お冠状態だ。
「悪ぃ」
保は申し訳なさそうに右手を挙げる。
「おまけに未夢ちゃんは行方不明やし・・って一緒やったんか」
「あ・・あの・・初めまして、光月未夢です」
そう言って、頭を下げるのが精一杯で
スパイラルのメンバー全員の顔を
生で拝見出来るという喜びに浸りきっていて
マネージャーである百合子さんの
お小言も耳に入らない状態だった。
「俺は小椋武巳。よろしく、未夢ちゃん」
新が自己紹介するよりも速く、タケこと武巳が
未夢の手を握りながら自己紹介をしている。
「この女の敵が・・」
友香のそんな声が聞こえたかと思うと
芹香が彼の手をギュッと強く抓った。さらに後ろからは
友香の蹴りが咬まされている。そして、右手にはハサミ。
これ以上彼女に手を出せば、綺麗に伸びたさらさらの髪を
ばっさり切るということが、暗黙のうちに警告されていた。
突然、自分の目の前で繰り広げられる攻防に、
未夢はスターという存在を初めて身近に感じた。
「おもろいやろ? うちのバンド」
「はい。ますますファンになっちゃいました。」
新がにっこり笑って未夢の方を見ている。
横で、保がクククと笑いを堪えている。
未夢も笑顔で答える。
「俺、リーダーの宮沢新。改めてよろしくな、未夢ちゃん」
と最上の笑顔を浮かべて握手を交わす。
「あたし、友香。よろしくね。一応、新とは夫婦なんだけど。
あ〜やっぱり女の子はいいわよねえ。今度私の服でも着てみない?」
と少々妄想をしつつ、笑顔で握手を交わす。
また、いつものことかとメンバーも呆れ返っている。
「”あたし”、結城芹香。おかまさんって言われるのが
嫌だから打ち明けると、あたし、”女”なんだよ」
メンバー達が必死で笑いを堪えているのをギロっと睨み付けながら、
女ごろしスマイルで挨拶をする。
ダミ声は相変わらずだが。
「俺は、タケこと小椋武巳。
芹香がなかなか素直になってくれなくて困りもんなんだけど」
「お前なぁ〜いい加減しつこいぞ」
芹香はぷんすか怒りつつも、満更でもないと言った様子に、
友香は不機嫌な顔をして、武巳を強い眼で睨み付けている。
タケの癖も相変わらずと言った様子だ。
「改めて、俺は・・・・」
「未夢ちゃんファンの保で〜すってか?」
タケが、からかって保の肩をポンと叩く。
「///ば・・・ばか」
保が顔を少し赤くしながらそれに反応する。
未夢がその意味が分からず、しばらくポカンとした表情で見つめていた。
まさに、和気藹々と言った様子で未夢はメンバー達と握手を交わした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自己紹介もほどほどに、SPIRAL 全国ツアー1999
クリスマス公演の打ち合わせがスタートした。
打ち合わせは、全体的な曲の構成から
未夢がどのタイミングで登場するのかなど順調に進んだ。
そして、メンバーの提案で、未夢に曲をリクエストしてもらい
スパイラルがアレンジを加えたものを彼女に歌ってもらうというものだった。
未夢はさっそく、”あの曲”を提案した。
が、曲名は分かっても、原曲は誰がつくったのか分からないし
彷徨の話では、10年くらい前に他のアーティストが
セルフカバーをしたということだが、それも定かではないのだから。
スタッフもメンバーも自分の記憶をたどりつつ、その場で考え込んでしまった。
未夢も困ったような表情でそれらの様子を見つめている。
が、百合子のひとことが状況を打開させた。
「"strawberry field”って言ったら10年程前の沢木彩のデビュー曲じゃない?
あとでSOMYレコードに楽譜と当時のマスターテープが残っていないかどうか
確認してみるわ。私、当時の部長さんとお知り合いなんだ。
今は社長に就任しているけど」
「そうか、沢木彩・・・思い出したわ。
うちのパパ、確か昔から彼女のファンのはずだから
うちの実家にLPかCDが残っているかもしれないわ」
友香もようやく自分の記憶にたどり着いたらしい。
結局、百合子・友香の尽力により、沢木彩によってセルフカバーされた原曲と
当時のマスターテープ・楽譜を手に入れることが出来た。
あとはメンバーがアレンジを加えて
その曲に詞を付けるという作業が待っている。
当初は、詞もメンバーが担当する予定だったが
強い要望により、未夢が詞を書くことに決定した。
聖夜の夜に向けて、企画は着実に動き出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1999年 12月22日
「お疲れさまでした。」
「おつかれ〜」
今日の分のリハーサルが終了し、未夢とメンバー・スタッフが挨拶を交わす。あれから、未夢とスパイラルの尽力により、曲は完成した。今は厳しいリハーサルが続いている。
と言っても、スパイラルはすでにデビュー8年。
まるで素人の未夢に対するリードも手慣れたものだった。
明日から2日間は、本番を想定した本格的なリハーサルがスタートする。
未夢の出番、タイミング、すべてが失敗してしまうと、
ステージ全体が白けたものになってしまう。
それだけゲストの未夢の登場は責任状態だ。
例え、ほとんどお遊びの出演であっても。
未夢はメンバーに追い付こうと必死だった。自分が失敗したら、メンバーの顔に泥を塗ってしまうばかりか、彷徨に自分のメッセージを届けられなくなってしまうから。それでも沢山の壁を存在していた。が、この 約2週間、それをなんとか越えてきた。あとは、本番形式で確認し、本番に備えるだけ・・。そんな状況だった。
未夢はあれから、百合子のマンションではなく、
新・友香のマンションに寝泊まりさせてもらっていた。
これに関しては友香の強い要望に百合子および、
メンバーも未夢も押し切られたということもあるのだが。
ふたりの家と言っても、すでに2才の子供はいるし、
メンバーの溜まり場でもあった。
この日の夜も、保が曲の打ち合わせがてら、押し掛けていた。
「あ・・・ミルクと醤油が切れてたんだ。誰か頼める? 今、手が放せないのよ」
台所の向こうから、友香の声が聞こえてくる。
保も、新も打ち合わせに没頭していた。
未夢も新・友香の娘、せりかを抱きつつ、それをじっと見つめながら友香の声に反応している状態だった。
「あ・・・・、私行って来ます。向かいのコンビニですよね」
未夢が立ち上がって、上着を羽織る。
「あんたたち〜、女を夜にひとりで遠出させるつもり?」
友香の怒号に反応した、保と新。新の進言により、保が未夢に付き添うことになった。
マンションの向かいのコンビニ。
幸い夜で、サングラスをしているためか、周りの人間は
いまや国民的スターが目の前に歩いているとは夢にも思わない。
が、さすがに明るい店内は警戒しないわけにもいかず
周りの様子を伺いながら慎重に歩いていく。
若者のグループが夜食の物色に来ているのか、
店内は割と賑やかだった。
ふたりはミルクと醤油など友香に頼まれたものを
念入りに確認しながらカゴに入れていく。
たまに触れあう手にドキっとしながらも、
それが保にとってはとても心地よい時間だった。
ふわっとした金色の髪と、不思議な笑顔−
彼の心をざわつかせるのに十分だった。
未夢の声も耳に入らない程、保の眼は自然と彼女に向いていた。
気が付かない内に、こんなにも彼女に惹かれていってしまう自分に驚いた。
7つも年下の少女に。
いつもは人使いの荒い友香に文句を言いつつも、
今日は心の何処かで感謝している自分がいる。
「・・つ・・さん、たもつさん」
「あ・・ああ」
「保さん、これでいいんですよね。友香さんに頼まれたもの」
「そうだな」
そう言って、何気なく交わされる笑顔
思わず顔が綻ぶ。
何気ない仕草が気になって仕方が無くなる。
今までこういったことに無関心というか無頓着というか・・
自分の一番は、ベース、いやバンドしかなかったから。
付き合っていた彼女に振られたのもそのせいかもしれない。
そんなことを内心思いながら、自分の中の新たな感情に戸惑った。
「保さん?どうしたんですか、さっきからボケーっとして」
未夢はさっきから保の様子がおかしいので、思わず顔を覗き込んだ
「あ・・・ごめん。いこっか」
「はい」
「ありがとうございました〜」
女性店員の明るい声を背に店を出る。ここまでは何も無かった。順調に事が進む筈だった。
が、どこからともなく、フラッシュが光る音にふたりは気が付かなかった。
12月23日 西遠寺にて
午後の昼下がり。終業式も滞りなく終わり、自宅でのほっとしたひととき。
彷徨は居間のテーブルの横に腹這いになって本をめくっていた。
それはいつもと殆ど変わらない。
ただ、当たり前とも言える存在がいないだけ。
未夢が電話して頼んだのか、昼食はクリスに誘われて、彼女の家で済ませた。
ひとりで食べると断ったが、校門の前に待ち伏せしていた、
”やつら”に引っ張られて結局世話になるはめになってしまった。
どうやらクリスがコレクトコールをしたらしい。
和気藹々とした食事。
普段はうるさいと思うが、前向きに考えるとひとりで食べるよりはましだった。
「ふぅ〜」
彷徨はため息を付きながら、読んでいた本をパタンと閉じて
ふと時計を見る。
時計は午後2時30分を指していた。
そろそろ夕食の買い物にいかなきゃな。
そう思って立ち上がりながら、ふと想いを巡らせる。
そう言えば、あいつ、ちゃんと飯食ってるかな?
まあ、大丈夫か、百合子さんも付いてるんだし。
ケータイに電話することも出来るのだが、
リハーサルの途中かもしれないし、
いざ電話しても出られない状態だったり、
電源が切られていたりと、すっかりタイミングを
失ってしまった。
「未夢、大丈夫だよな」
そう小さく呟いて、自分を納得させながら、支度をして家を出ようとしたときだった。
突然、ポケットの中の携帯が鳴った。
(もしかして未夢?)
そんな期待を巡らせながら、携帯の画面に出た
”黒須三太”という文字を見て落胆する。
「何か用か?」
いつも以上に不機嫌な声で電話に出る。
別に彼のせいでも何でも無いのだが、思わず八つ当たりをしたくなる。
電話の向こうの三太もさすがに驚いたらしく、少したじたじになって返事をする。
「か・・かなたぁ〜、俺に当たるのは止めろよな。」
「すまん」
そう言いながらも舌をペロッと出している。
もちろん、そんな様子が電話の向こうの三太に分かるはずもなく・・・。
「って、それどころじゃないんだよぉ〜早く、テレビ付けてみろよ!」
「テレビ?何があるんだ?」
「いいから」
三太もいつも以上に慌てて、いや取り乱した様子で、彷徨にテレビを付けることを促す。
今の時間、たいていの局ではワイドショー番組が放送されている。
しかし、彷徨はあまり見ることが無い。
未夢はたまにかじり付いて見ていたりするのだが。
芸能人の結婚やら離婚やら・・・さまざまな騒動。
彼にとって興味深い内容はこれっぽっちもない。
そんなものを自分に見せて、三太はどうするつもりなんだ。
そう思いながら、ふとテレビを付けると、
目の前に写っているものに自分の眼を疑いつつ、呆然と立ちつくした。
「お〜い、かなたぁ〜生きてるかぁ〜」
三太の声で正気に戻る。
そしてー
「あのバカ」
そう小さく呟きながら、いつのまにか足はひとつの方向に向かっていた。
バイクのエンジン音が彷徨の不安な気持ちと共に、
いつも以上に大きく響き渡った。
12月24日 クリスマスイブ:コンサート当日 東京 AM9:00
「はぁ〜」
未夢はソファーの上でため息を突きながら、
マンションの窓の外を呆然とした顔で見つめていた。
幸いマジックミラーになっているので、外から未夢達の様子は見えないのが救いだった。
CKプロダクションとスパイラルの所属事務所の前は
昨日発売の週刊誌出た記事が発端となって人でごった返していた。
記者・スパイラルのおっかけ・ファン・近所の野次馬・・いろいろだった。
中にはCKプロダクションの窓に物を投げつける程の熱狂的ファンもいた。
最後の打ち合わせをするはずが、それどころではなくなってしまった。
未夢はというと、新と友香のマンションから出られない状態だった。
事務所に行こうにも当の事務所はマスコミ・やじうま・ファンで完全に包囲されているし、
それはふたりのマンションも同じだった。
未夢はテレビの報道や雑誌の記事を見た彷徨の気持ちを思うと、
いてもたってもいられなかった。ケータイに電話をしても留守電になっていたし、
直接、西遠寺にも電話をしてみたが誰も出なかった。
そんな小さなすれ違いが未夢の心を一層不安にさせていた。
それにしても、彼女にとって、昨日は散々な一日だった。
保とのスキャンダルに巻き込まれるは、
百合子のケータイに電話した途端、おかんむり状態で説教をまくし立てられるわ、
友香と新と保の3人もマネージャーと芹香にすっかり説教状態。
ましてや彷徨とも連絡が取れない状態だったのだから。
そんな昨日のことを思い出しながら、自分の軽率な行動に改めて後悔していた。
ファンである保と一緒にいられるのが嬉しいあまり、
彼に迷惑が掛かるということをちっとも考えていなかったのだから。
突然、肩に誰かの手が触れた。
保だった。
保は軽率な行動で未夢に迷惑を掛けてしまった自分が許せずにいた。
自分の心の傷よりも、未夢の心の傷の方が何よりも深いのだから・・
「ごめんな、迷惑掛けて」
保は未夢の横に腰掛けながら、
どのようにして声を掛けていいのか分からず、このひとことが精一杯だった。
「そんな・・・私が悪いんです。私は大丈夫ですから。」
そう言ってニッコリ笑った。思わず、抱き締めてやりたいくらいの笑顔だった。
その笑顔に秘められた一点だけを見つめる緑の透き通った瞳が彼の心を支配していた。
強さと弱さ・・・さまざまな想いを抱えたその瞳
この17年間、そんな想いを抱えながら過ごしてきたのだろうか?
保の心の中は、無意識に沸いてくる好奇心をうち消すので精一杯だった。
自分の知らない彼女の時間に嫉妬する自分
また、そんな気持ちを一生懸命抑えようとする自分がいる。
「強いんだな」
思わず出てきたのはそんなひとこと。
「そんな・・・強いだなんて。私はただ、自分の気持ちに素直でいたいだけなんです
でもそれがうまく言葉に出来なくて、彼を不安にさせちゃうんですよね」
”彼”という言葉に胸がズキっと痛くなる。
彼女の目の前にいるのは自分なのに、彼女の瞳に写っているのは自分ではない。
何気ない会話を交わしつつも、そんな現実に胸が張り裂けそうだった。
突然、未夢の携帯の着信音が鳴り響いた。
百合子の携帯の着信音とも、事務所の社長の着信音とも、自分達の着信音とも違う、
保にとって未夢に出会って初めて聞く音だった。
その音を聞いた途端、未夢の顔色が大きく変わった。
嬉しさの中に、とまどい・不安・・複雑な感情が未夢の心の中を支配しているようだった。
彼女の眼に何か光ものが見える。
−涙
人の心はこんなにも一途で強いモノなのだろうか?保はそう考えずにはいられなかった。
どんなときでも、どんな場所にいても、心の中に浮かんでくるのは同じ相手である。
そんな保証、少なくとも保の心の中にはあるはずもなかった。
同時に、未夢の心の中に浮かぶ相手が自分でないということが無性に哀しかった。
『未夢』
「彷徨?」
『2週間ぶりだな・・・』
未夢は待ち焦がれた恋人からの電話に手が震えているのが分かる。
電話の向こうの聞き慣れた低い声に心の中にあった不安が少しずつ溶けていく・・・。
そして、ひとつの感情が込み上げてくる。
(会いたい)
そんな気持ちでいっぱいになって、思わず携帯をギュッと握りしめる。
「彷徨、今何処にいるの?」
『今、東京。お前のいるマンションの近く』
「今すぐ行くから待ってて」
『今すぐって・・・おまっ』
未夢はその言葉を聞いた途端、いても立ってもいられず、マンションを飛び出した。
止めようとする保達の声も耳に入らなかった。
聞こえるのは電話の向こうの声だけ。
眼に写っているのはたったひとりの男だけ。
相変わらず、無口で素っ気ない口調。
だけど、そのひとつひとつから深い想いが伝わってくる。すぐに心があったかくなる。
飾らない言葉・・・・そんな彼だから好きになったのかもしれない。
何気ない言葉に、こんなにもドキドキするようになるなんて、
出会ったときは思いもしなかった。
初恋はレモンの味っていうけど、私にとっては甘酸っぱい苺の味。
私が夢中になったのは苦いんだか、甘いんだか未だに分からない果実。
口にするだけで胸がドキドキして、想うだけで心に広がるストロベリーフィールド
紛れもなくそれが、私の初恋。
マンションの外は記者やらスパイラルのファンで埋め尽くされていた。
飛び出したはいいものの、いざとなるとどう抜け出していいものか
分からなくなってしまった。
だけど、そんなことに構っている暇はなかった。
なりふり構わず群衆を掻き分けていく。
(早く会いたいのに、思うようにならない・・・)
あともう少しで手が届く、そんな距離にいるのに
そんな状況がもどかしい。
自分に向けられる視線が痛かった。
嫉妬、怒り、悲しみ、好奇心、さまざまな感情に満ちている。
記者のカメラが向けられる。
あちらこちらから聞こえてくるはずの記者の視線も未夢の耳には届かなかった。
そんな状況を一生懸命交わしながら周りを見回す。
群衆に揉まれても、どんなに非難の声を浴びせられても
未夢の心が揺らぐことはなかった。
どんなに傷つけられても、傷ついても、自分の居場所はひとつしかないから。
(私が欲しいのはたったひとつの腕だけ。
当たり前に自分を掴んでくれる優しい腕・・)
そのとき、ふと群衆の動きが自分とは別方向に動いていく。
その先には金髪の女の子と横には保らしき男性
「ちっ・・・こっちはおとりか」
記者の囁きが聞こえてくる。
(まさか・・・・友香さんと保さん)
推測が確信に変わる。
そしてー
(ありがとうございました)
小さく呟く。
そしてー
(ごめんなさい)
もうひとこと。
保の笑顔が痛い。その気持ちに答えられない自分の心が痛い。
そう思っていながら、彼女の瞳は相変わらず一点に向けられている。
不安、悲しみ、寂しさといった感情が心の中を黒く染める。
心は光を求めている。
どんなに強がっても心の痛みは消えないー
そしてついに闇が光に変わる。
どんなときでも自分をまっすぐに見つめてくれる
優しい瞳が未夢の心の闇を優しく照らす。
「未夢」
「彷徨・・・どうして?」
「テレビ見たから。事情は全部百合子さんに聴いた。」
「どうやって来たの?」
「バイク」
「いつ着いたの?」
「今日の深夜」
「何処泊まったの?」
「百合子さんとこ」
「みんなは?」
「CKプロの事務所。揃ってお前のこと心配してたよ」
「そっか・・・」
低い、安心する声。10日ぶりに聴く声。
その言葉のひとつひとつが未夢の心に響いていた。
そして、迷わず彷徨の胸に飛び込んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
−サザン
波の音が静かに響いている。ふたりはバイクを走らせ、
海岸に到着していた。目の前には東京湾
未夢は到着するまで黙ったままだった。
何かをじっと考えている様子だった。
彷徨は自分の胸に顔を埋める未夢を強く抱き留めた。
いままでよりずっと強くー
今の自分に出来るのはこれしかないから。
中途半端な自分
未夢に置いて行かれてしまうという焦り
ちょっとした心のすれ違い
そんな自分の心の弱さが未夢を不安にしてしまう。
そんなこと、ずっと前から分かっているのに。
ひとりじゃいられないのは自分だ。
そう確信する。
「充電終了」
未夢がそう言って顔を上げる。
久しぶりに見る未夢の笑顔。
だけどその奥底にある気持ちが感じ取れて心が痛い。
そしてー
「ごめんね」
小さくそう呟いたかと思うと、ぽつりぽつりと語り出す。
「私・・・ね、彷徨を何週間もひとりにさせるだけでもつらかったのに、コンサートのことを話して、彷徨をこれ以上、不安にさせることだけはしたくなかったの。でもそれが逆に彷徨の心を傷つけることになってしまったね。
ホントごめん、ごめんなさい」
「バカ」
彷徨はそうひとこと呟くと、未夢のおでこに人差し指で軽く触れる。
「彷徨・・・・」
「あのな、さすがにコンサートやスキャンダルのことは驚いた。何で話してくれねーんだとも思った。それよりお前が俺の側からいなくなる方がずっと怖いんだからな。それに、お前がそんな顔してると、俺まで暗くなる」
そう言うのが精一杯でそっぽを向いてしまう。そして、そのタイミングを見計らってあるものを取り出す。
「メリークリスマス」
そう呟くと、未夢の顔にひとつの包みを押しつける。
「ありがと」
未夢は彷徨の態度に照れを確信したのか、くすっと笑って包みを開ける。
そして
「これって・・・・」
「三太に頼んであちこちを探し回っちまった。ホントは夜渡すつもりだったけど」
彷徨はそう言って、ニカっと笑う。
包みから顔を出したのは、ストロベリーフィールドの原曲のレコード
時代からしてかなり前のはずだ。
カバーした沢木彩の曲でさえ、10年も前なのだから
「えへっ・・・嬉しい。でも彷徨がそんなことするなんてちょっと可笑しい。
三太君じゃあるまいし」
未夢は笑顔を浮かべながら、少しからかうような口調で言う。
「悪かったな」
「悪くないよ」
「だったらいいだろ」
「うん」
未夢はそう言って、笑顔を浮かべと、思い出したように
持っていた包みを取り出す。
いつでも渡せるように持ち歩いていたしい。
「これ。私から。メリークリスマス」
「さんきゅ」
彷徨は笑顔で受け取ると、包みを開ける。
中から出てきたのはグランドピアノ型のオルゴール。
金色が美しく光りを反射している。
後ろのねじを巻くと、音が鳴り出した。
そのメロディを聴いて思わずはっとする。
「これって・・・」
彷徨は驚いた様子で目の前の未夢を見つめる。
「同じだね」
「ああ」
言葉少なく振る舞ったものの、何だか無償に嬉しくなって心が踊り出す。
思わず笑顔が零れる。
そして、未夢の唇に、自分の唇を軽く落とす。
(メリークリスマス)
お互い心の中で叫びながら
(がんばれよ)
(うん)
お互い心の中で会話をしながら。
波の音が静かに響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私の胸に広がるストロベリィーフィールド
あなたと私の想い出を照らし出す
12月24日 PM6:30 コンサート開始
「未夢ちゃん、突然仕事なんて・・・残念でしたわね」
「その分あたし達だけで楽しもう」
「おう!」
会場は大盛り上がりだった。ライブハウスということで、
場所が狭いということもあったが、
最前列のクリス・綾・ななみ・三太・望は揃ってノリノリだった。
彷徨は未夢のことを聞いていたので、いつ出番が来るのか?
とちったりしないか気が気じゃなかったのだが。
突然、ステージ用の照明が少し穏やかなものに変わった。
あのメロディが流れてくる。
スパイラルの曲ではないと分かると、会場が騒然となる。
薄いピンクのドレスに身を包んだ、未夢が姿を現す。頭にはサンタの帽子。
最前列の5人はあまりの驚きに開いた口が塞がらなくなっている。
しかし、曲が突然止まる。
会場がさらに騒然となる。
ステージに未夢めがけて物が投げつけられたのだ。幸い未夢には当たらなかった。
そして、叫び声が聞こえてくる
「保を返してよ!」
「のこのこライブに出てくんじゃねえよ! モデルの癖して」
しかし、未夢は終始笑顔を絶やさなかった。
スパイラルの5人もその姿に触発され、
演奏を再開する。
今振り返れば止められない想いがそうさせていたと確信出来る。
(もう、ここまで来ちゃったんだもの・・・)
会場にいる客はその姿を静かに見守るしかなかった。
中には自分の言動を恥じる人達、
その姿をうっとり見つめるものもいた。
彷徨もそのひとりだった。
詞に、未夢の想いが込められる。
あの日出会った私達
同じ瞬間(とき)を過ごしながら、
あなたへの想いを少しずつ育てていったあの頃
優しいけどそっけないあなた
伝わらない想いがもどかしくて、切なくて、不安で
だけど、胸がドキドキ・わくわくする。
まるで甘酸っぱい苺のようー
私の心はstrawberry field
あなたへの想いが胸いっぱいに広がっていく。
あなたの瞳はtwinkle eyes
いつも私を照らし出す。
どんなにときが経っても、忘れる事は出来ない。
言葉に出来ない想いを
今こそあなたに伝えたい。
−strawberry field -
曲が終わった途端、会場が歓声に包まれる。
未夢は会場の客に笑顔を向けつつ、ひとつの視線とぶつかる。
自分を見つめるすき通った瞳にいてもたってもいられなくなる。
迷わず、ステージ下の彷徨の胸に飛び込んだ。
そして、お互いの唇を重ね合わせる。
周りなんて眼に入らなかった。
私が見ているのは、私が欲しいのはそのまっすぐな瞳だから
そして、小さく呟く。
(改めて、メリークリスマス。これからもよろしく)
と。
12月25日 東京
今日は彷徨の誕生日。
未夢と彷徨はお台場に繰り出していた。
ふたりだけで出掛けるのって、本当に久しぶり。
繋ぐ手がいつも以上にあったかい
未夢は、さっきからその人数の多さに眼を回している彷徨の姿が
あまりに可笑しくて、笑いをこらえていた。
(ったくこいつは人の気もしらねーで)
彷徨はそんな未夢の様子に拗ねてそっぽを向きながら、さりげなく手を組む。
コンサートのときの未夢の姿が今でも鮮明に蘇る。
自分に向けられた曲と詞をどう受け止めていいのか分からなくて、
思わずボーっと突っ立ってしまった。
さらにその後の出来事をリフレインすると、
顔が真っ赤になりそうだったので止めることにした。
(こいつには本当にかなわねーな)
そう小さく呟きながら、歩き出す。
もうすぐお目当ての観覧車の前というところで、彷徨は突然足を止める。
「あのさ、未夢」
「なあに」
突然凝視されて驚くが、構わず続ける。
「あの曲・・・コンサートの・・・どうして」
未夢は頬を指でかきながら照れくさそうに答える。
「その・・私も大好きになった曲だし、えっと・・それから・・
私から彷徨への誕生日プレゼント・・・かな?」
そう言って、ニッコリ微笑む。
「そっか」
嬉しくて、幸せで顔が綻ぶ。
再び、手を繋いで歩き出す。
これからの未来へ
−未夢、あのさ・・・
−え?
−ずっと一緒にいろよ。そして、いつか・・・
−うん
(こいつ、分かってんのか?)
そんないつもと変わらない会話を交わしながら
ふたりの姿は夜の光の中に消えていった。
ふたりだけの未来に向かって
永久に・・・・。
THE END
-後日談
ちなみにこのコンサートでの出来事が
でかでかと写真週刊誌に載った。
そのおかげで未夢と彷徨のふたりは、学校どころか
外を歩くことさえままならなかった。
その雑誌には”新人モデル熱愛発覚”という活字が踊っていた。
それを目にした途端、二人の顔は、これ以上無いと言うほど
真っ赤になった。
一方、保は二度目の失恋の痛手をメンバーと共に飲み明かして
クリスマスを終えた。
また、友香がすっかり未夢のことを気に入って、
未夢が出演しているCMのBGMを手掛けることになる。
未来は確実に動き出していた・・・。
こんにちは。
最後まで読んで下さって
ありがとうございました(ぺこり)。
こちらはかなり前に書いたものです。
ホント懐かしい・・・。
今以上に甘甘を好んでいたんだなぁ
ということが伺え知れるというか。
実はこれ、私の実体験を元に書いてます。
昔の話なので、記憶がおぼろげなのですが。
そして、ご存じの方は気付いたかも知れませんが
「あなたとスキャンダル」・「ハンサムな彼女」
という古い作品の創作も混ざっています。
当時からかなり遊んでいました・・・。
これを読み返すたびに、もっと精進しなきゃ・・・
という教訓になってます。
BGM strawberry fields okui,masami
'03 12.13 中井真里
('06 2.24 加筆修正)