-西遠寺百貨店・社長室
一応、これでも三代続いた
老舗百貨店の若社長である
西遠寺彷徨はここ最近
悩みを抱えていた。
最近、”彼女”と過ごす時間が
格段に減ってしまっているのだ。
確かに、ひとつの会社を背負っているのだから
多少の犠牲はあってしかるべきだが
自分にだって、彼女と過ごす時間くらい
欲しいものだ。そう思ってしまう。
「はぁ〜」
何だか憂鬱になって
今日幾度目かのため息をついた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
-トントン
「社長、光月です。入りますよ」
「ああ」
暫くして、秘書が部屋の中に入ってくる。
今日一日の予定を確認するためだ。
若社長・専属秘書、光月未夢が
透き通った緑色の瞳に
豊かな金髪を靡かせて入ってくる。
彷徨が少々眼を細めているのに
気づいているのかいないのか
手帳を開くと、今日一日の予定を説明し始める。
「今日は10:00から会議室で、
今後の商品販売戦略についての
企画発表があります。
その後、12:00にクィーンレコード副社長
神野正氏と今後のCD販売戦略と
提携について食事会を兼ねて会談。
15:00に帰社。
15:30から東京の池袋新宿・渋谷の
三店を視察。18:30帰社。
19:00から、役員会議。
20:00終了予定です。」
光月未夢は一通り言い終わると、
手帳をパタンと閉めた。
彷徨が、ぽーっと彼女のことを
見つめようものなら
ギロリと睨み付け、
「復唱しましょうか?」
と冷ややかに言い放つ。
「いや、予定はすべて確認した。
問題ないぞ」
彷徨がそう言うまで
その場から動こうとはしない。
「分かりました。すぐに
企画会議の準備に入りますので
私はこれで。くれぐれも
遅れることの無いように」
未夢はそんな彼の心中も知らずに
淡々と言い放ち部屋を出ていく。
「はぁ〜」
そして、再び深くため息をついたのだった。
こうして一日は足早に過ぎていく。
同じような出来事が繰り返される毎日。
それを思うと、果てしなく
憂鬱な気分になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
20:00
未夢は今日一日の仕事を一通り終えると
会社を足早に出ていった。
そんな彼女の片手には買い物袋。
中にはワイン
おつまみ一式。
何やら材料まで入っている。
後ろから大男ふたりが、
彼女に気づかれないように颯爽と
後を付ける。
鼻歌を歌いながら歩く様は
社長の片腕として秘書を務めている彼女とは
違う一面が見え隠れしていた。
やがて、都内でも指折りな高級マンションに到着する。
未夢は、何かに気づいたように後ろを振り向く。
「ったく、ボディーガードはいらないって
いつも言ってるのに」
そして、後ろの大男をきっと睨み付ける。
「いえ〜これは命令ですから、そう言うわけにも」
「未夢様〜」
彼らの強ばっている表情が、
少し頼りない物に変わる。
よっぽど未夢が恐いのだろうか?
「様付けもやめて」
「は・・はぁ」
「じゃあ、私急ぐから」
そう冷たく言い放つと
少しいらいらした様子で
マンションの中に入っていく。
可愛いテディ・ベアの付いている鍵で
ドアを開けると靴を揃え、中に入る。
電気をつけ、ソファーの上に荷物を置くと
台所に溜まっている皿を洗い、
買い物袋から材料を取り出す。
冷蔵庫のマグネットに留められている
落書きのようなメモを確認すると
仕事で疲れた顔が緩められる。
メモには”9時には帰る。待ってろ”
という文字に、可愛い似顔絵。
「ったく、似顔絵なんか書いちゃって。
子供じゃあるまいし」
そう言いながら、顔は笑っている。
しばらくして、一通りの準備が整う。
テーブルの上にはカマンベールチーズを
初め、おつまみ一式。
と同時に玄関のチャイムが鳴った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ただいま〜」
一日の仕事を終えた彷徨が
疲れた顔でマンションに帰ってくる。
そんな彼を白いエプロンの未夢が出迎える。
「おかえり」
そう言って短めのキスを交わす。
彷徨は思わず苦笑い・・・。
「ったく。会社にいるときと
全く違うんだからな。
これじゃ、まるで詐欺だよ」
ネクタイを外し、ソファに座ると
ちょっと拗ねたように愚痴を漏らす。
「人聞きの悪いこと言わないでよね。
仕事とプライベートをわきまえよう
っていったの彷徨でしょ?私だって
彷徨のためにそうしてるんだけどな?」
そう言ってふんわり笑う。
何だかどっちが怒っているんだか
拗ねているんだか、分からなくなって来た。
やっぱり自分はそんな彼女に弱いって思う。
ポーカーフェイスが崩されてしまうくらいに。
「まぁ、いいさ。とりあえず
ワインでも呑まないか?」
「うん。そうだね」
彷徨はソファから立ち上がると
棚からワインとグラスを二つ取り出す。
「とりあえず、乾杯かな。一日の終わりと
クイーン・レコードとの提携を祝して」
「ああ。乾杯」
グラスとグラスが重なり
心地よい音を奏でる。
ふたりは仕事を終えて過ごす
こんな音が好きだった。
こんな瞬間が好きだった。
”まじめな仕事人間”という
仮面が外せる唯一の時間。
お互いの存在を確かめ合いなら
微笑み合いながら過ごす時間。
ふたりにとっては決して
無くてはならないものだった。
その後もカマンベールチーズ、ワインを片手に
他愛ない談笑が続いていたが
ふと、未夢が思い出したように話題を変える。
「ところで彷徨。また私に黙って
ボディ・ガード付けたでしょ?
大丈夫だって言ってるのに」
少し不機嫌な、強い口調。
しかし、表情をよく見ると
単に拗ねているだけだと分かる。
こんな表情の変化は社内でも
彷徨しか知らないだろう。
「ね・・・念のためだよ。
最近物騒だからな」
そう言って最もな理由を付ける。
本当は彼の子供じみた
独占欲でしか無かった。
社内で、ふたりの関係は
未だ明るみになっていない。
それは未夢が公表を拒んだからだ。
ただでさえ、彼女を狙っている男は多いのに。
散々試行錯誤した結果、ボディ・ガードを
付けるという結論に至った。
しかも有能で探偵の資格を持つ人間を
選び、外出の際は常に尾行をさせた。
社内に置いても、秘書室にひとり配備。
他にもうひとり極秘に動いているものもいる。
これには未夢自身も気が付いていないようだが。
「全く。いっつも子供扱いして。
学生時代から変わらないんだから
私だってあの頃よりは成長してますよ」
顔を膨らませ、拗ねる。
彷徨はふぅとため息。
(だから、そう言うところが無防備なんだって
ったく。分かってないな。周りの男はお前の
そう言うところに弱いんだよ。)
心の中でそう呟いてみたが
未夢だから仕方ない。
そんな彼女だから好きになったのだ。
学生時代、”社長の息子”という肩書きや
”優等生の西遠寺彷徨”を抜きにして
自分を愛してくれた彼女。
出会いは最悪。
何せ平手打ちから始まったのだ。
それから終始ペースを乱されてばかり。
何度衝突したかしれない。
しかし、それがいつの間にか
当たり前になっていた。
そして、彼女のいろいろな面を知るうち
彼女への想いが募っていくのが分かった。
ありのままの彼女が好きだった。
彼女もそんな自分を好きだといってくれた。
そして・・・今がある。
彷徨は目の前にある幸せを
強く実感していた。
-夜
お互いの肌を重ね合わる。
まるでお互いの存在を
確かめ合うかのように。
軽くシャワーを浴びてベットに入る。
未夢は余程疲れていたのだろうか?
横で心地よい寝息を立てている。
彷徨は右手で金色の髪を指で鋤く。
雪のような白い肌に見とれながら
指で触れていく。
「おやすみ」
そう小さく呟いて唇を重ねると
体中に温もりが伝わってきた。
そうして夜が更けていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
-朝
毎日戦争のように慌ただしくなる。
しかもその日は朝から
重要な会議があるため
一層、慌ただしさが増す。
クイーン・レコードの重役と会うのだ。
しかも彼らは時間に極めて厳しい。
そのためには少なくとも開始1時間前から
担当の部下と打ち合わせを
して置かなければならない。
その日は、パンを一切れ、コーヒーを一杯
サラダを一皿食べただけだった。
外に出ると、黒い高級車が待っていた。
運転手がドアを開けると、後ろの席に乗り込む。
隣の未夢はすでに秘書の顔をしている。
手帳を睨みながら何やら考え事。
一方、彷徨はというと
未夢から手渡された資料を眺めながら
頭の中で、午前中に行われる
会議の要項を整理していた。
そうこうしていると
車は会社の前に到着する。
「社長、おはようございます」
入り口で数人の重役達が、
自分に向けて同時に頭を下げる。
最初は少々戸惑ったものだが
今ではすっかり慣れてしまった。
そして、秘書である未夢が
その後ろを淡々と歩く。
そうして今日も
いつものような一日が
過ぎるはずだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
AM9:00
社長室内にある、応接室では
西遠寺グループ・クイーンレコード
両社の重役がすでに向かい合っていた。
ちなみにクイーンレコード副社長、
実質上は社長と言われている、神野正氏は欠席。
彷徨は、代理で来ているという部下と握手を交わす。
都市は30代前半と言ったところだろうか?
話によると、かなり優秀らしい。
年下である、神野の部下として
嫌な顔ひとつせず仕事をしつつ
確実に業績を上げている切れ者という噂。
細長の顔に、するどい瞳が
印象的な男だった。
名前は、折原薫と言うらしい。
名刺の交換や簡単な会社説明が終了し、
会議は本題に入っていく。
彷徨は先程から神野の代わりだという
男・折原の様子が気になって仕方がなかった。
資料を配っている未夢の方を
ちらりちらりと見ているのだ。
そうして部屋の端にいる
ふたりのボディガードに
眼で支持をし、彼をマークするよう促した。
彼らも薄々気が付いていたようだ。
納得したような表情で頷いた。
しかし、同時にパシンという音が
部屋中に響いた。
「何するんですか」
音の主は案の定、未夢。
相手である折原の頬を一喝した後だった。
そして声を上げつつ、折原を真っ直ぐに
見つめている。新緑色の美しい瞳が
怒りに染まっていた。
女としてのプライドを傷付けられた
怒りだろうか?
「な・・何って私は別に何もしていない。
この会社は秘書にどういう教育をしているんだい?」
「失礼ですが副社長代理。あなたは先程私の手に
触れましたよね。その後なんておっしゃっいました?」
彼の反論にも未夢は至って強気だ。
透き通った瞳が相手を真っ直ぐに射抜く。
「ふ〜ん。そうですか」
「ち・・ちょっと話し掛けただけだろうが」
「会議中にずいぶんと不謹慎じゃありませんか?」
「こ・・・このアマ・・・」
男はそう言って手を振り上げる。
未夢はそれを受け止めようと身構えたが
その前に少し大きな影が立ちはだかった。
彷徨だ。男の腕を片手で受け止めつつ
ダークブラウンの瞳がするどく光っている。
同時に、彼の放った拳が
折原の顔面を直撃した。
「な・・・何をするんだ」
「うちは貴方のような社員のいる会社と
一切契約するつもりはない。
どうか、お帰り下さい」
彷徨の強い一言が、男の胸に突き刺さる。
この勝負は明らかに先が見えていた。
「く・・・くそっ」
折原はそう悪態を突くと
社長室を逃げるように出ていった。
彼の部下はこちらに頭を深々と下げると
慌てて後を追った。
未夢はホッとしたのか、
床にへたへたと座り込む。
「えへへ、腰が抜けちゃった」
そう言って、いつものように
ふんわり笑う。その表情からは
”社長秘書”の光月未夢は
微塵も感じられなかった。
周りにいる役員も唖然とした顔で
その様子を見つめている。
彷徨は未夢を立たせると
顔を強ばらせて声を上げる。
「バカ未夢。無茶するなっていつもいってるだろうが。
お前はいつだって、俺の気持ちなんてお構いなしで」
そう言い終わらないうちに
未夢を胸に閉じこめる。
そして、震えが止まるまで
背中をさすってやった。
「ごめん、彷徨ごめん。ちょっと怖かったかな?」
「だからバカなんだよ」
「むぅ〜そんなにバカバカっていうことないでしょ?」
「バカバカバカ」
「もうっ、知らない」
頬を膨らまし、そっぽを向く。
その姿に彼女自身を覆っていた
”バリバリのキャリアウーマン”
という仮面が、一気に剥がされた。
一方の彷徨も同様だった。クールで硬派な若社長が
女のことでこんなにも熱くなっているのだから。
しかも相手はまじめ一直線と言われていた
社長秘書の光月未夢。
「あの・・・若社長。お取り込み中
大変失礼なのですが・・・。」
「えっ・・・あっ、す・・・すまん」
「ご・・・ごめんなさい」
彷徨は部下の言葉に状況を察して
密着状態から未夢を開放する。
ふたりの顔は、これまでには無いと言えるほど
真っ赤に染まっていた。
彷徨は何とか誤魔化そうと言葉を探したが
二人が男と女の仲だということは
誰の目から見ても、一目瞭然で、
もはや手の尽くしようが無かった。
すでに、クイーンレコードとの契約やら
取引やらということに頭が回らなくなっていた。
目の前の出来事に異様とも取れる空気が
社長室内を支配していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
-ふぅ
聞こえてくるのは
ふたつの大きなため息ばかり。
未夢と彷徨は誰もいなくなった社長室で
ようやく落ち着いていた。
応接室のソファに向かい合って座っている。
テーブルの上には、先程淹れたばかりのコーヒーが
口を付けられずに湯気を立てている。
あれから社内は大騒ぎだった。
クイーンレコードとの契約は打ち切りになるし
何より、切れ者かつ硬派で通っていた若社長の
変貌ぶりに衝撃を受けた部下達が多かった。
ちなみに会長の宝晶は彷徨に相手がいたと知って
大いに喜ぶやら、羨ましがるやらだったとか。
「もうっ。彷徨がいきなり声を上げたりするから
ばれちゃったじゃない。どうするのよ〜
私、恥ずかしくて会社に来られないかも。
それに、クイーンレコードとの契約だって」
未夢は先程の出来事を思い出しているのか
顔が再び真っ赤に染まっている。
「しょーがねーだろ。あんな状況で
お前をほっとけるわけないしさ。
それに、契約のことについては
心配すんなって。大丈夫、俺が何とかするから」
「それに・・・」
「それに?」
(俺がこうなるのはお前だけなんだからな)
彷徨は心の中でそう呟いて、ふっと笑う。
そして、金色の髪をくしゃっと撫でた。
今の未夢にとって、目の前の彷徨が
いつもより一層頼もしく見えた。
「ねえ、彷徨。さっきさ・・・」
「なんだ?」
「すごく嬉しかったよ」
「素直でよろしい」
彷徨は未夢の頭をポンポンと叩いた。
彼のこんな仕草は、子供扱いされているみたいで
嫌だった筈なのに未夢の心の中にある不安が
少しずつ解けていくような気がした。
(私って現金なのかなぁ・・・)
ふとそう思った。
「さてと帰るか。たまには
何処かで食事でもしようぜ」
「いいの?」
「ああ」
ふたりは残りのコーヒーを飲み干し
一通り片づけを済ますと
エレベーターを下りていく。
仲睦まじそうに腕を組みながら・・・。
『ねえ、若社長と光月さんて・・・』
『あぁ、そうらしいな。だけど
意外な組み合わせだよ』
社員同士のそんな噂話も、
二人の耳には入らなかった。
「なぁ、未夢」
「なあに?」
「・・・・」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
「???変な彷徨」
彷徨の背広では、四角い小箱が
次の機会を待っているようだった。
そんなきみがすきなんだ。
君しかいらない・・・。
心の中でそう刻み込むように。
THE END
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
こんばんは〜流那です。
ようやく柚羽しゃんのキリリク小説を
アップ出来ました。
お題は”落書き”だったのですが
随分外れています・・・すみません(汗)。
何だか冷蔵庫のメモ(落書き)
という妄想からどんどん別の方向に
広がってきてしまいました・・・。
落書きというお題を頂いて、
未夢が彷徨くんの顔に落書きをする
というお話も考えてはいたのですが
あまりにお定まりなので、
こちらに軌道修正させて頂きました。
にしても、表現力不足ですね・・・
もっといろいろ書きたいことがあったのに。
次はもっと精進します♪
ちなみにこの作品、最初は
”社長しゃんの事情”という
ある意味同盟らしいタイトルでした(爆)。
しかし、キリリク小説でさすがにそれは
不味いだろうと思い、急遽変更しました。
「君しかいらない」はとある漫画作品から
取らせて頂いています。分かるかなぁ?
って何聞いてるんだろ。私。
というわけで、この作品をリクして下さった
柚羽しゃんに捧げます(ぺこり)。
次の新作でまたお会いしましょう〜
'03 10.25 流那
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