作:山稜
構内アナウンスが、上りの電車の到着を告げている。
電車がホームに滑り込んできた。
息せき切ってかけ込んで、電車を待つ人の列に並ぶ。
「はー、もう間に合わないかと思ったっ」
「おまえが朝メシ、のんびり食ってるからだろっ」
今朝は未来も優も出張で、彷徨の家で朝食だった。
たまにそういうことはあるが、そんなときはあの頃を思い出して、ついのんびりと構えてしまう。
「だって、彷徨んちでご飯食べるほうが、何となく落ち着くんだもんっ」
はぐれないように、そっと彷徨の背中に手をやる。
ほんの少し、彷徨が未夢の背中を抱き寄せて、すぐ離す。
すし詰めとは言わないが、車内は結構混んでいる。
たった2駅の辛抱とはいえ、7月ももう半ばに差しかかろうともなると、暑い。
「落ち着きすぎだって」
発車のチャイムが鳴る。ドアが閉まる。
ドアの近くにいた人に押されて、未夢は彷徨に押し付けられた。
たまにそういうことはあるが、人前で抱きつく格好になってしまうのは、いまだに落ち着かない。
「そっそうだっ、」未夢は恥ずかしまぎれに彷徨に尋ねた。「彷徨、なにかよさそうなバイト、知らない?」
「バイト?」彷徨は両眉を吊り上げた。「おまえが?」
「なによ、またどうせ『おまえにできんのか〜』とかって、からかうつもりなんでしょ」
未夢は少しむくれて見せた。
「いや、おまえがそんなこと言い出すの、珍しいなぁと思って」
確かに、未夢がそういうことを言い出すのは珍しかった。
一般的に女の子が欲しがりそうなもの―服やアクセサリーや、その他諸々―は、日頃の罪ほろぼしというわけではないだろうが、未来と優がほいほいと買ってしまう。クリスのようなお嬢様ほどではないが、未夢が財布の中身を気にしている様子は、普段あまり見かけたことがない。
「だって、夏休みの合宿のお金がいるんだもん」
「合宿?」彷徨は眉間にしわを寄せた。「おまえ、合宿するような部活、やってたかっ?」
未夢の答えは意外なものだった。
「ヒーロー同好会っ」
「はぁっ!?」
彷徨は耳を疑った。
ひと月ほど前、確かに、そういうものに入るとは未夢は言っていた。三太が例のDVDを持ってきて以来、未夢は妙にヒーロー物に興味を持っているらしい。彷徨も入部するように未夢に勧められたが、子供だましと断っていた。
それにしても…
「なんでヒーロー同好会で合宿なんだよ」
「オリジナルのビデオ作るんだって、コンテストに出すらしいよ」
そういう未夢の目は、無邪気そのものだ。
「ふーん…」
彷徨は揺れるつり革を、じっと見つめた。
◇
「やっぱりヒロインは未夢ちゃんよね〜」
でき上がりつつあるシナリオを前に、女子部員ふたりが話をしている。
「そんなことないよ、あさみちゃんのほうが向いてるって」
あさみは取って返すように言った。
「未夢ちゃんのほうが映り栄えするって」
脇では男子部員が、やはり配役でモメている。
特に、主役を誰がやるかが一番の問題のようだ。
「あの中じゃ、だれがやっても、ねぇ…」
あさみは「誰もがそう思っているが言ってはいけないこと」を口に出すタイプらしい。
未夢は笑ってその場をごまかした。
だれがやっても、か―…。
やっぱり、こういう役が似合うんだったら、
不意に部室のドアが開いた。
「すいません、入部希望なんですけど」
未夢は呆然と声の主を見た。
いま、思い描いていた人物が、そこにいたからだ。
「かっ彷徨っ!?なんでここにっ!?図書委員会じゃなかったのっ!?」
彷徨は未夢のほうを向いて、おまえ聞くんならいっぺんにひとつづつにしろよ、と言いながら、片眉を吊り上げて少し首を傾けた。
「委員会ならぬけてきた、なんで、ってなら、おまえが朝、話してたのが面白そうだったからなっ」
あさみが声を上げた。
「そーよっ、西遠寺くんなら主役にぴったりだわっ!」
他の部員は静まり返っていた。
◇
構内アナウンスが、下りの電車の到着を告げている。
電車がホームに滑り込んできた。
息せき切ってかけ上がる。
発車のチャイムが鳴る。ドアが閉まる。
「あーん、せっかく走ったのにっ」
「っておまえ、足、おそいぞ…」
「しょーがないでしょ、彷徨みたいに何でもできるひとじゃないもんっ」
ただでさえ暑いのに、なおさら暑い。
ふと、目線の先に、自販機。
「のど渇いちゃった、ジュースでも飲もうよっ」
そういう未夢に、彷徨は面白そうに応える。
「いいのかっ、合宿のお金、貯めとかなくてっ」
言われてちょっと未夢は怒った。
「もうっ、取りやめになったんだから、いいでしょっ」
彷徨は横から、未夢が買ったのと同じのを押した。
取り出す頃には、もう未夢はジュースの半分ほどを飲んでしまっている。
「ホントにっ、あんなトコ、辞めちゃおうかなっ」
未夢は相変わらず、むくれ顔だ。
彷徨は開けないままの缶ジュースをくるくる回しながら言った。
「別にいーじゃないか、合宿がなくなったぐらい」
未夢は彷徨のほうに勢いよく向き直った。
「よくないよっ、せっかく彷徨と…」
そこに、目線があった。
すいこまれていきそうな、優しい瞳。
「おれと、なんだよっ」
なんだか気恥ずかしくて、その先が言えない。
「べっ、別にっ」
彷徨はあさっての方角に目線を移した。
「まっ、いいけどなっ」
そういうと、何かを見つけたのか、
「ほら未夢、あれっ」
「へっ?」
未夢が気がつくと、手に持っていたジュースがない。
なぜか、彷徨の両手に、ジュースの缶。
「ちょっ、彷徨っ、それわたしのっ」
もう遅い。飲み干してしまっている。
「なにすんのよっ」という未夢の言葉に、彷徨は開いていないほうの缶を差し出した。
「こっち、やるから許せよっ」
「なによっ、そっち飲めばよかったんじゃないっ」
「ほらもう電車、来るぞっ」
指差す彷徨は少し頬を赤くして、舌を出した。
「そんなにのんびり飲んでたら、また乗り遅れるじゃねーかっ」
そういうと、滑り込んできた電車に早足で向かっていく。
もらった缶の入れ場所に困っていた未夢は、
「あーん、待ってよっ、彷徨っ」
結局、缶を大事そうに手に持ったまま、彷徨の後を追った。
#1111Hitの楓華さんからのリクエスト、「夏休み」がお題だったんですが、これは夏休みのちょっと前の話ですね(^^; ちょっとだけ高校生活を書いてみました。
夏休み中のイベントを、ってことだったんですが、きっと海、ありきたりの話になりそうか、もしくはとんでもなく長くなりそうだったので。楓華さんほか期待した方、ごめんなさい(^^;
「ヒーローの〜」のちょっと後、やっぱり未夢はヒーロー物にハマりかけてたみたいですが、これでもうそんな気もなくすでしょうね。悪いコト言いません、やめといた方がいい…人生狂います(笑)
山稜としては初のオリジナルキャラ「あさみ」ですが、小西綾とキャラが若干かぶってますね(^^; 高校ではもう、未夢と彷徨以外はみんな別々に進学したということにしてますので、綾は出すわけには…。
あさみという名前は、四中で数多くの佳作を出されている栗田さんのペンネームからいただきました。未夢のクラスメートです。今後の登場は…まぁ、多分あるんじゃないでしょうか(^^;