作:山稜
このひとにだけは、あいたくない。
そんな相手に、あってしまう苦しみ。
そういうのは、人間の苦しみの中でもかなり苦しいほう。
そんなことを、おっしゃっていたのは、西遠寺くんのお父さまだったかしら。
そして、いまがまさに、そんな状況だった。
「あらクリスちゃん、ごきげんよう」
とつぜん、声をかけられた。
あくまで彼女は、にこやかだ。
一瞬ひるんだ、自分がくやしい。
「ご…ごきげんよう」
つまってしまって、なおくやしい。
どうしても、平気な顔はできない。
「お友だちかい?」
自分のとなりも、にこやかだ。
このひとにあまり、いやな思いをさせたくない。
「ええ…小学校の、同級生ですわ」
「そうかぁ〜、クリスのお友だちは美しいレディが多いんだねぇ」
望はバラを一輪、差し出した。
どこからともなく、気づく間もなく。
「お近づきのしるしに…」
この場面を見るのが、正直な気持ちでは、いちばん…いやだ。
彼に悪気がないのは、わかってる。
でも…もうひとつ、わかってることがある。
バラをもらった女の子がどんな顔をするか。
そしてそのあと、自分をどんな目で見るか…。
いつだって、
「あなたさえいなければ」
そう、声がきこえる。
そう、いつだって。
そのうえ、こんどは、彼女が相手。
一瞬のあいだ…にらまれて、
すぐ、くちもとを引き上げて。
7年の月日なんて、何にもわすれさせてはくれない。
あのときから、なにも変わってなんか、ない。
学芸会の出し物の、主役に自分が決まったときも―
「クリス?」
望の声。
それがなければ、きっとまた暴走してる。
いつも彼は、ちゃんと止めてくれる…。
「ご…ごめんなさい、ちょっと考えごとを」
せいいっぱいに、そう返す。
望はにっこり、わらった。
「ならいいんだ、でも全然しらなかったよ、クリスの友だちがぼくと同じ学校にいたなんて」
同じ…学校…。
それじゃ、きっと彼女は望くんを…。
ことばの全てを、うばわれた。
ごきげんようとかバァイとか、そんな音のなか、
ただ、ぼう然と、立っていた。
きっと毎日、望のそばに彼女は行く。
あたりまえのように、彼のそばにいるようになる。
彼女は言うだろう。
≪望くんって、すてきな方ね≫
彼は言うだろう。
≪いやぁ、きみの美しさには、かなわないよ≫
≪わたくしなんて、ごく普通ですわ≫
≪そんなことなんてないよ、きみは特別だよ≫
≪わたくし、残念ですわ≫
≪なにがだい?≫
≪クリスちゃんさえいなければ、おつきあいしてってお願いするのに≫
≪放っておくさ≫
≪よろしいんですの?≫
≪ぼくはクリスを、女の子だなんて思ってないからね≫
そしてふたりは手に手を取って―
「で、きょうはどこへ行く?」
また、望の声。
ちゃんと、止めてくれる…。
でも…。
「ごめんなさい、帰ります…なんだか、気分がすぐれないんで」
「それは大変だ、送っていくよ」
「だいじょうぶ、ひとりで帰れますわ…だいじょうぶ」
そっと、背を向けた。
オカメちゃんが望の肩で、鳴いた。
その鳴き声が、背中につきささっていた。
◇
忘れることができないから、忘れようとするのかもしれない。
あのときのことが、すべてを変えてしまったのかもしれない。
人魚姫。
10歳のころの女の子なら、あこがれにはまだ残ってて。
クラスの出し物に、それが決まって。
誰がヒロインか…ということで。
そのころは、あかい髪のことを、さんざん言われて悲しくて。
だから、ぜったい目立ちたくなくて。
あこがれはしても、自分がそんな役に…なんて思いもしなくて。
そんなクラス会の中、彼女は言った。
一瞬こちらのほうを見て、
すぐ、くちもとを引き上げて。
「クリスちゃんがぴったりだと思います」
まさか、と思った。
驚きの声を、みんなはあげた。
でもすぐみんな、賛成をした。
そして自分は、ヒロインになった。
うれしかった。
いっしょうけんめい、やった。
両親は見に来てはくれなかったけど、見てくれた人はよろこんでくれた。
―あのときまでは。
舞台を降りたら、きこえてきた。
「でもどうしてですの、あんな子をヒロインに推薦するなんて」
「あら、チャンスをしっかり手にして王子様の心をつかんだ姫こそ、りっぱなヒロインですわよ…人魚姫なんて、人間でもないのに、王子様のそばにいようなんて、ずうずうしい」
「でもお話のヒロインは人魚姫でしょ…ヒロインをあんな子にやらせなくても」
「だってぴったりじゃありませんこと、あかい髪が人間らしくなくって」
笑い声が、耳に、頭に、ひびいた。
1週間、学校を休んだ。
執事に連れられて、病院に行った。
医者は言った。
「負けてないで、やられっぱなしでなくて、やり返しなさい」
翌朝言った…「もう、やめて」と。
聞いてはもらえなかった。
頭の中と、胸の奥とがぐちゃぐちゃに引っかき回された。
気がついたら、クラスの何人かは倒れていた。
みんなが自分を、おびえた目で見ていた。
しばらくして、公立の小学校にかわることになった。
あいさつに立った、クラスの、まん中。
彼女はこちらのほうを見て、
くちもとを引き上げていた。
忘れたままで、いたかったのに―
気づくと、着信音。
望からの、メール。
≪まだ具合が悪いといけないから、今夜の電話はやめておくよ…ゆっくり眠って、元気になっておくれ≫
気をつかってくれてる。
本当は、声がききたくてたまらない。
でも言った手前、そんなことはできない。
気づかってくれてるのに…。
どうしてこんなにも、わたくしは、わたくしは―…。
机が、割れた。
それでも、ひじの痛みより、胸の痛みがつらかった。
◇
「きのうは、ごめんなさい」
「いいんだよクリス、それより具合はいいのかい?」
「…ええ、もう」
「よかった、安心したよ…でも、早く寝たほうがいいかな」
電話ごしの声が胸に、しみわたる。
ほっとする。
…はずなのに。
「そういえばさぁ…」
まさか、彼女の話が出るなんて。
彼の声をききながら、話の中身は頭にいれない。
…そういうようにするのも、限界がある。
思ったとおり、彼女は彼にまとわりついているらしい。
≪望くんって、すてきな方ね≫
≪いやぁ、きみの美しさには、かなわないよ≫
そしてふたりは―
電話を置いたら、化粧台が割れていた。
「学芸会の、ヒロインをやったって聞いたよ?」
火曜の晩は、本棚が割れた。
「人魚姫をやったんだって?」
水曜の晩は、タンスが割れた。
「すごく似合ってたらしいじゃないか?」
木曜の晩は、ベッドが割れた。
金曜の、朝。
初老の執事がそっと、言った。
「お嬢さま、…私が言うことではありませんが、いちど光ヶ丘様にお会いになっては」
「でも…きょうはまだ、学校がありますし、…望くんも、わたくしも」
「帰り道に光ヶ丘様の学校へ寄っていらっしゃれば、よろしいではありませんか」
「でも…そんな、はしたないまねを…」
「お嬢さま…」
執事は、ほほえんだ。
「家具は取りかえがききますが、お気持ちは取りかえが、ききませんよ」
丸くした目を、伏せる。
胸のつかえが、すぅっと下りた。
「…ありがとう」
とりかえられない気持ち…。
彼に、会いたい。
顔が、見たい。
話が、したい。
帰り道、遠回りだけど…。
会いに、行こう。
朝食が久しぶりに、すんなりと、のどをとおった。
◇
近くまで行ったら、電話をしよう。
校門の手前あたりで、いいかしら…。
あんまり早くでも、じゃまになってもいけないし。
その校門が、見えてきた。
カバンから取り出した、携帯。
アドレス帳の最初にある、番号。
彼は、どんな顔をするだろう。
びっくりして、よろこんでくれるだろうか。
それとも―…。
なやんでいても、しかたありませんわ。
自分にそう言いきかせて、通話開始のボタンを、さぐる。
しかし、その指は、押されることはなかった。
目の前には、話をはずませながら歩く、彼と…彼女。
何を話しているかまでは、聞こえない。
でも彼女のあの顔は、考えるまでもない…。
気づかれないように、そっとあとを追う。
聞こえるところまで、近づけたら…。
≪望くんって、すてきな方ね≫
≪いやぁ、きみ―≫
だめ。
だめですわ。
そんなこと―。
「ん?」
「どうなさいましたの?
「いやぁ、ちょっと…声がしたような」
はたと気づいた。
そばまで行ったら、自分がつぶやいたことばも、きかれてしまう。
そうしたら、自分があとをつけていることが…知られてしまう。
≪クリス…きみがそんなことをするひとだとは、思わなかったよ≫
きっと、そうなる。
気づかれては、いけない。
声をあげては、いけない。
もしことばを口にしたら、この恋は消えてしまう―
≪人魚姫なんて、人間でもないのに、王子様のそばにいようなんて、ずうずうしい≫
泡になって、消えてしまうかもしれない。
それでも、そばに寄らずにいられない。
なにを話しているのか、ききたい。
そして、彼がわたくしを、どう思ったのか、…
「でも、みんなとは仲良くしてたんじゃないのかい?」
「そうでもありませんでしたわ、おとなしいコだったから…」
やっと聞こえてきた会話。
「望くんったら、クリスちゃんのことばかり、お尋ねになるのね」
「そうかい?」
彼女は望の前にまわった。
「そうですわ…ちょっとぐらい、わたくしのことも聞いてくださってもいいのに」
望は立ち止まった。
「でもねぇ…」
「でも、じゃありませんわ…わたくし、初めてお会いしたときから、望くんって、すてきな方だと思ってましたのに」
「いやぁ、きみの美しさには、かなわないよ」
この…話の流れ方。
「わたくしなんて、ごく普通ですわ」
「ごく普通ってことはないと思うよ…きみは特別だよ」
「だったら、もっと…」
思ったとおりのことが、起こる…。
彼は、彼女のことを―
「だって、きみはクリスの友だちだからね」
―え?
彼女は両手を握りしめた。
「あんなコ、友だちなんかじゃありませんわっ」
望は眉をひそめた。
「そうなのかい?」
彼女は気分悪そうに、うなずいた。
望は急に、時計を見た。
「じゃあ、ぼくは失礼するよ」
「えっでも、これからお茶でも、って…」
「そうはいかないよ」
望は一歩前に出た。
「ひとりの女の子とは、ぼくは15分以上いっしょにはいられないんだよ」
「ひどいですわ…お茶でも、って誘ったのは、望くんじゃありませんこと?」
「クリスの友だちじゃないんなら、ただの普通の女の子だからね…特別扱いする必要もない」
彼女は食い下がった。
「ク…クリスちゃんだって、女の子じゃないのっ!」
望はふりかえりもしなかった。
「ぼくはクリスを、女の子だなんて思ってないからね」
心臓が、止まるかと思った。
やっぱり、そうなんですのね…。
クリスが次の思考に移る前に、望は言った。
「クリスは女の子なんかじゃない…ぼくのたったひとりの、大切な人さ」
耳から入ったはずなのに、そのことばは胸をつらぬいた。
すぐに彼女は、顔を真っ赤にして言った。
「ば…ばかじゃないの?どうしてあんな子…」
望が振り返る。
「きみは友だちじゃないから、わからないのさ…もっとも、クリスの友だちは素晴らしいコばかりだけどね」
彼女が言い返そうとした。
望の肩から、オカメちゃんが飛んだ。
彼女の前で翼を広げた。
くちばしを突き出して、いまにも攻撃しそうに。
彼女は、走りだした。
「こっ…こんなバカなひとの相手なんて、していられませんわっ」
そんな言葉を残して。
それを見届けると、オカメちゃんは飛んで来た。
あわてている間に、肩に乗った。
「オカメちゃん?だれかいるのかい?」
だめ、きいていたのがばれてしまう…。
とりつくろうひまも、なかった。
「クリス…いたんだね」
望はゆるやかに、ほほえんだ。
「ごめんなさい、わたくし…」
そのあとの言葉は、さえぎられた。
「帰りにきみの家をたずねようと思っていたんだよ、ほら、これ」
望の手には、一輪のバラ。
透き通るような、あかい色。
「これ…」
「やっとできたんだよ、この色の花が…どうだいこの色合い、すばらしいだろう?」
望はクリスの手を取った。
「まだこの一輪しか咲いてないんだけど、どうしてもきみに見てもらいたくて」
取ったその手に、そのバラをにぎらせた。
「きみをイメージして作ったんだ…新しい品種になると思う、『クリスティーヌ』って名づけたいんだけど、いいだろう?」
涙がこぼれた。
とまらない。
「クリス…?」
言葉が出ない。
出なくてもいい。
人魚姫は、王子様のもとで、しあわせにくらすのだから。
オカメちゃんが鳴いた。
まるで、わらっているみたいに。
旧「山稜でございます」#20000Hitキリ番ってことで、栗田しゃんからいただいた「ヒロイン」がお題のリクエストでした。
誰をヒロインにするか…まず未夢が脱落して(ぉぃ)、未来案、ももか案とでたんですが、やっぱり「ヒロイン」って言葉が一番似合うのは、クリスかな〜なんて思ったりしてこれに決めました。決めたのが2月頃だったのに、もう5月終わるやん(汗)
未夢&彷徨の話がどうしても先行してしまいますし、大枠の流れからはクリス&望の話は外れてしまいがちですけど、実は山稜設定ではクリス&望の話だけで「わんだ〜」より長い話ができるぐらいの裏打ちはあります。望の「パピー」は山彦、母は「あおば」って名前だとかね。
人魚姫と言えば原作でも出てきますが、あの時はクリスは彷徨に恋する王女様の役。あのときはさぞかし、歯がゆい思いをしたでしょう…ましてこんな体験があったんなら(^^;
今回の話は、クリスの謎の真相(?)がいくつか書いてますが、なにより「なぜ望なのか」というところですかね。
…そうすると、「なぜクリスなのか」って話も書かないといけなくなったってことか?(大汗)