作:山稜
境内は今朝も、読経の声につつまれた。
それが未夢の、目覚まし代わりだったりする。
「汝等比丘…当知多欲之人多求利…故苦悩亦多少欲之人、」
ただ、きょうはいつもと少し、ちがってた。
声の主は…彷徨。
いつもとちがう、お経みたいで。
「無求無欲…則無此患直爾…少欲尚応修習…」
ところどころひっかかるのが、なんだかおかしい。
こういうところが、やっぱり経験の差なのかな?
いくら彷徨でも、何十年もお経読んでるおじさんとじゃ、比べものにならないよね。
でも、彷徨がお経読んでるなんて、めずらしーな…。
どんな顔して読んでるのかな。
ちょっと見に行ってみようかなっ。
着替えて出る頃には、
「汝等且止勿得復語時將欲過我欲滅度、是我最後之所教誨…、佛垂般涅槃略説教誡經…」
ほとんど終わってた。
そっと、のぞいてみる。
いつもなら、本堂にはおじさんがひとり。
でもきょうは、檀家のおじいさん、おばあさんが、一生懸命手を合わせて。
そのまん中に、彷徨。
なんだか、えらい人に見える…。
「おぉ未夢さん、来とったのか」
ふいに声をかけられて、心臓がとんで出た。
「おっ、おはようございますっ」
あわてて、あいさつ。
にっこりほほえむと、宝晶は彷徨にうなづきかけた。
彷徨も同じように、うなづいた。
檀家のひとたちに手を合わせて、立ち上がる。
ふっと、目が合った。
しかめっ面してる。
…こっちに来るっ。
のぞき見してたから、おこってんのかな…?
すぐそばまで来たっ。
ど…どうしよう…。
彷徨が、口を、開いた。
「手伝え」
「は?」
「来ちまったんだからしょーがねーだろ、手伝え」
それだけ言うと、彷徨は家の奥へ、さっさと。
もーっ、なんだっていうのよっ。
◇
とりあえず、いわれたとおり。
お供えの中からお茶菓子になりそうなもの、見つくろって。
いれたお茶といっしょに、本堂まで。
きょうに限って、お参りの人も人数多くて、たいへん。
「手伝え」っていうのも、わからないでもない。
彷徨と手分けして、はこぶ。
先月ぐらいから、彷徨は寺の手伝いに熱心だ。
おじさんの後につくようにして、時にはぶつぶつ言いながら。
めんどくさいって言ってたのにな。
…家のこと、気になってきたのかな。
ちょっと、さびしい…な…。
「なにボーっとつったってんだよ」
「えっ?」
言われてみれば、ろうかの途中。
「お茶、さめるぞ」
「わっ、わかってますっ、言われなくたってっ」
本堂では、おじさんが話をしてた。
「まさにその、釈尊が入滅されるきわに、さまざまなことを気にかけておられたわけで…」
じゃまをしないように、そっとお茶を置いていく。
小声で、どうぞ、ぐらいは言うと、たいていのひとは会釈をしてくれる。
おじいさんの前に、お茶を置いたときだった。
「お嫁さんですか」
…は?
なにを言われたのか、わかりかねて。
かたまってると、さらに。
「息子さんの、お嫁さんでしょ。いいですなぁ、みなご立派になられて」
…え?
宝晶おじさんが、ポンと声をかけた。
「いやいや、この娘も彷徨もまだ中学生でしてな、まだまだですじゃ」
おじいさんが、背すじを伸ばした。
「まだ中学生!…最近の中学生は、しっかりしとられますなぁ」
別のおばあさんが、口をはさんだ。
「ゆくゆくは、こちらにお嫁にこられるのよねぇ」
ちょ、ちょっとっ。
なんでそーゆーハナシになるのっ!?
苦笑いしてるひと、ニヤニヤしてるひと。
いいですなぁ、なんて言ってるひとまでいる。
「あ、あの〜…」
「いやいやみなさん、そんな先のことまではわからんです」
みんな、おじさんの方を向いた。
「それに、あれやこれやと望んでおっては欲深い。ちょうど、釈尊も『汝ら比丘、まさに知るべし、多欲の人は利を求むること多きがゆえに、苦悩もまた多し』と…」
聞き入ってる。
さすがおじさん、だてに住職さんじゃない。
「欲が深ければ、苦しみ悩みも多くて当たり前、苦しみたくない悩みたくないと思えば欲を捨てれば良いだけの…あぁ未夢さん、ありがとう。もういいですぞ」
いつのまにか、自分も聞き入ってた。
「しっ、失礼しますっ」
あわてて、本堂を出た。
…しまった、お盆忘れた…。
◇
ふぅ…。
≪ゆくゆくは、こちらにお嫁にこられるのよねぇ≫
思い出すたび、顔が熱くなる。
…でも最近、彷徨とあんまり話せてないな…。
茶の間にもどっても、彷徨はいなかった。
きょうは、わたしの誕生日。
ちょっとぐらい、なにか考えてくれてるのかと思ってたけど…。
台所にもいない。
きょうも、いそがしいのかな…。
テーブルの上に、お盆。
あっそうだ、お盆忘れてきたんだった。
もうみんな、帰ったかな。
本堂から、声がする。
「オヤジ…約束だろ、出してくれよっ」
「わかっとるわかっとる、まぁちょっと待て」
彷徨だ。
こんどは、かくれとこう…。
「はやくしてくれよっ」
「まぁそういうな、『まさに五根を制して、放逸にして五欲に入らしむることなかるべし』というではないか」
「『時を失せしむること無かれ』ともいうだろっ」
「それはおまえ、『昼はすなわち勤心に修習して』じゃろうが」
「いーから、はやくしてくれよっ!」
おじさんから何か、受け取ってる。
彷徨は本堂からまっすぐ、門の方へ走っていった。
ひげをひとなでして、おじさんはつぶやいた。
「やれやれ、格好だけは一人前じゃがな…」
もう…いいかな。
でもここで入ったら、聞いてましたっ、て言ってるようなものだし…。
またあとで来よう。
行ってしまってからだったから、あとのおじさんの言葉は聞こえなかった。
「ただ、あやつの求むるところというのは、ひとつだけのようじゃがの…」
◇
ボーっと、茶の間で。
彷徨、どこ行ったのかな…。
もうそろそろお昼なのに。
こんなことなら、クリスちゃんがパーティーしてくれるって言ってくれたの、素直に受けとけばよかった…。
おなか、へってきたな…。
いっかい、帰ろうかな…。
…でも、もうちょっと待ってみよう…。
茶の間のとびらが、開いた。
彷徨?
…ちがった、おじさんだ。
「まーそーがっかりせんでくれ」
おじさんは苦笑いをした。
「あっ、いえっ、そんな…ごめんなさいっ」
「いやいやそれより、朝はすまなんだのぉ…きょうは涅槃会じゃもんで、いそがしくての」
そう言うとおじさんは、台所へ向かった。
「未夢さんもお茶、飲まんかね」
「あっ、わたし、いれますっ」
お茶をいれながら、きいてみた。
「ねはんえ…って、なんですか?」
「ふむ…涅槃会というのは、釈尊…お釈迦さまの命日の法要じゃよ」
「命日…ですか」
おじさんは、ゆっくりうなずいた。
「本当は旧暦の2月15日なんじゃが、月遅れの15日でやる寺が多くての。西遠寺も、昔からそうしとるんじゃ」
お茶をすすると、おじさんは話を続けた。
「先月に総本山まで呼び出されての、修二会の手伝いをせよと…うちのように小さな寺では何にもできんが、去年のインド行きの口利きをしてもらっておる以上、むげに断りもできんで…。それで彷徨に、せめて西遠寺のことぐらい手伝えと言ったんじゃ。そしたら彷徨のヤツ、小遣いくれたらやるとか…」
「ちがうだろオヤジっ」
いつのまにか、彷徨。
肩で息、してる。
「おれが金かしてくれ、って言ったら、じゃ手伝え、って、言ったんじゃねーかっ」
「どっちでも大差あるまい?」
彷徨はおじさんの頭の上から、
「あるんだよっ!」
そう叫ぶと、茶の間へ下がっていった。
しばらくすると、彷徨が上着を取り替えてきた。
「彷徨、メシはどうするんじゃ」
「いらねー、外で食ってくる…未夢、いくぞっ」
「ちょ、ちょっと、いくってドコ行くのよっ」
「どこでもいーぜ、おまえの行きたいトコ…おまえの誕生日だし」
無愛想ぶって。
でも、どっか、わらってる。
急に、ほっぺたが熱くなった。
「わっ、わたしも着かえてくるから、ちょっと待っててっ」
「早くしろよ、おまえいっつも着かえるの時間かかるからなっ」
彷徨は舌を出してた。
「わ…わかってるわよっ!」
つよがってみても、かわらないけど。
出かけた先で、お茶をして。
彷徨は無愛想に「ほら」と言いながら、プレゼントをくれた。
小さなアクアマリンのついた、シンプルな指輪。
でもサイズ、ちょっと大きくて。
合うのは右手のなかゆびだった。
まぁ…ちょうどいいか、まだ中学生だし。
彷徨がぼそっとつぶやいた。
「ちゃんとしたのは…もっと先で、な…」
「え?」
「いや…なんでもない」
そのまま彷徨は、窓の外をながめてた。
≪お嫁さんですか≫
そんな言葉を、思い出して。
左手のくすりゆびが、うらやましそうに右手のなかゆびを見てた。
いつか…そうだと、いいな…。
そんなことを思いながら。
いっしょに、窓の外をながめた。
◇
「さて…わしは、カップラーメンでも…」
お湯を注いで、ため息ひとつ。
「…来年からは、ちゃんと旧暦の2月15日にしようかのぉ」
つぶやきながら、宝晶はほほえんでいた。
李帆しゃんの「ホワイトデー&未夢バースディ」企画に投稿したものです。
3月15日って、何か記念日ないのっ!?って調べてみたら、なんと「涅槃会」。モロお寺の行事じゃないですか(笑)
まさか西遠寺では涅槃会やらない、ってことはないはずなので、これを題材に。いや〜、だいぶ勉強しました(^^; しかし彷徨がクリスマスで未夢が涅槃会とは…妙に宗教づいてるな(^^; なんだか逆っぽい気もしないでもないけど。
冒頭で彷徨が読んでるお経は、「仏遺教経」というもので、お釈迦さんの遺言のようなものです。アニメなんかだと宝晶さんが般若心経読んでる場面もありますし、いつもの朝のお勤めはそうなんだろうと思いますが、この日は特別ですからね。
しかし…彷徨の出番、少ないな(^^; ほとんど宝晶さんがいいトコ持ってってる感じもします(汗)
まだお彼岸もあるし、その後は灌仏会(花祭り)と、3月から4月にかけてはお寺は忙しい時期。未夢がすねないように、彷徨、ちゃんとかまってあげなさいよ!?(笑)