手伝いのある日

作:山稜

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 境内は今朝も、読経の声につつまれた。
 それが未夢の、目覚まし代わりだったりする。

「汝等比丘…当知多欲之人多求利…故苦悩亦多少欲之人、」

 ただ、きょうはいつもと少し、ちがってた。
 声の主は…彷徨。
 いつもとちがう、お経みたいで。

「無求無欲…則無此患直爾…少欲尚応修習…」

 ところどころひっかかるのが、なんだかおかしい。
 こういうところが、やっぱり経験の差なのかな?
 いくら彷徨でも、何十年もお経読んでるおじさんとじゃ、比べものにならないよね。

 でも、彷徨がお経読んでるなんて、めずらしーな…。
 どんな顔して読んでるのかな。
 ちょっと見に行ってみようかなっ。

 着替えて出る頃には、
「汝等且止勿得復語時將欲過我欲滅度、是我最後之所教誨…、佛垂般涅槃略説教誡經…」
 ほとんど終わってた。

 そっと、のぞいてみる。
 いつもなら、本堂にはおじさんがひとり。
 でもきょうは、檀家のおじいさん、おばあさんが、一生懸命手を合わせて。
 そのまん中に、彷徨。

 なんだか、えらい人に見える…。

「おぉ未夢さん、来とったのか」
 ふいに声をかけられて、心臓がとんで出た。
「おっ、おはようございますっ」
 あわてて、あいさつ。

 にっこりほほえむと、宝晶は彷徨にうなづきかけた。
 彷徨も同じように、うなづいた。
 檀家のひとたちに手を合わせて、立ち上がる。

 ふっと、目が合った。
 しかめっ面してる。
 …こっちに来るっ。
 のぞき見してたから、おこってんのかな…?

 すぐそばまで来たっ。
 ど…どうしよう…。

 彷徨が、口を、開いた。

「手伝え」

「は?」
「来ちまったんだからしょーがねーだろ、手伝え」
 それだけ言うと、彷徨は家の奥へ、さっさと。

 もーっ、なんだっていうのよっ。



 とりあえず、いわれたとおり。
 お供えの中からお茶菓子になりそうなもの、見つくろって。
 いれたお茶といっしょに、本堂まで。

 きょうに限って、お参りの人も人数多くて、たいへん。
 「手伝え」っていうのも、わからないでもない。
 彷徨と手分けして、はこぶ。

 先月ぐらいから、彷徨は寺の手伝いに熱心だ。
 おじさんの後につくようにして、時にはぶつぶつ言いながら。
 めんどくさいって言ってたのにな。
 …家のこと、気になってきたのかな。

 ちょっと、さびしい…な…。

「なにボーっとつったってんだよ」
「えっ?」
 言われてみれば、ろうかの途中。
「お茶、さめるぞ」
「わっ、わかってますっ、言われなくたってっ」


 本堂では、おじさんが話をしてた。
「まさにその、釈尊が入滅されるきわに、さまざまなことを気にかけておられたわけで…」

 じゃまをしないように、そっとお茶を置いていく。
 小声で、どうぞ、ぐらいは言うと、たいていのひとは会釈をしてくれる。

 おじいさんの前に、お茶を置いたときだった。
「お嫁さんですか」

 …は?

 なにを言われたのか、わかりかねて。
 かたまってると、さらに。
「息子さんの、お嫁さんでしょ。いいですなぁ、みなご立派になられて」

 …え?

 宝晶おじさんが、ポンと声をかけた。
「いやいや、この娘も彷徨もまだ中学生でしてな、まだまだですじゃ」
 おじいさんが、背すじを伸ばした。
「まだ中学生!…最近の中学生は、しっかりしとられますなぁ」
 別のおばあさんが、口をはさんだ。
「ゆくゆくは、こちらにお嫁にこられるのよねぇ」

 ちょ、ちょっとっ。
 なんでそーゆーハナシになるのっ!?

 苦笑いしてるひと、ニヤニヤしてるひと。
 いいですなぁ、なんて言ってるひとまでいる。

「あ、あの〜…」

「いやいやみなさん、そんな先のことまではわからんです」
 みんな、おじさんの方を向いた。
「それに、あれやこれやと望んでおっては欲深い。ちょうど、釈尊も『汝ら比丘、まさに知るべし、多欲の人は利を求むること多きがゆえに、苦悩もまた多し』と…」

 聞き入ってる。
 さすがおじさん、だてに住職さんじゃない。

「欲が深ければ、苦しみ悩みも多くて当たり前、苦しみたくない悩みたくないと思えば欲を捨てれば良いだけの…あぁ未夢さん、ありがとう。もういいですぞ」

 いつのまにか、自分も聞き入ってた。
「しっ、失礼しますっ」
 あわてて、本堂を出た。
 …しまった、お盆忘れた…。



 ふぅ…。

≪ゆくゆくは、こちらにお嫁にこられるのよねぇ≫

 思い出すたび、顔が熱くなる。
 …でも最近、彷徨とあんまり話せてないな…。

 茶の間にもどっても、彷徨はいなかった。
 きょうは、わたしの誕生日。
 ちょっとぐらい、なにか考えてくれてるのかと思ってたけど…。

 台所にもいない。
 きょうも、いそがしいのかな…。

 テーブルの上に、お盆。
 あっそうだ、お盆忘れてきたんだった。
 もうみんな、帰ったかな。


 本堂から、声がする。
「オヤジ…約束だろ、出してくれよっ」
「わかっとるわかっとる、まぁちょっと待て」

 彷徨だ。
 こんどは、かくれとこう…。

「はやくしてくれよっ」
「まぁそういうな、『まさに五根を制して、放逸にして五欲に入らしむることなかるべし』というではないか」
「『時を失せしむること無かれ』ともいうだろっ」
「それはおまえ、『昼はすなわち勤心に修習して』じゃろうが」
「いーから、はやくしてくれよっ!」

 おじさんから何か、受け取ってる。
 彷徨は本堂からまっすぐ、門の方へ走っていった。

 ひげをひとなでして、おじさんはつぶやいた。
「やれやれ、格好だけは一人前じゃがな…」

 もう…いいかな。
 でもここで入ったら、聞いてましたっ、て言ってるようなものだし…。
 またあとで来よう。

 行ってしまってからだったから、あとのおじさんの言葉は聞こえなかった。
「ただ、あやつの求むるところというのは、ひとつだけのようじゃがの…」



 ボーっと、茶の間で。

 彷徨、どこ行ったのかな…。
 もうそろそろお昼なのに。
 こんなことなら、クリスちゃんがパーティーしてくれるって言ってくれたの、素直に受けとけばよかった…。

 おなか、へってきたな…。
 いっかい、帰ろうかな…。
 …でも、もうちょっと待ってみよう…。

 茶の間のとびらが、開いた。
 彷徨?
 …ちがった、おじさんだ。

「まーそーがっかりせんでくれ」
 おじさんは苦笑いをした。
「あっ、いえっ、そんな…ごめんなさいっ」
「いやいやそれより、朝はすまなんだのぉ…きょうは涅槃会じゃもんで、いそがしくての」

 そう言うとおじさんは、台所へ向かった。
「未夢さんもお茶、飲まんかね」
「あっ、わたし、いれますっ」

 お茶をいれながら、きいてみた。
「ねはんえ…って、なんですか?」
「ふむ…涅槃会というのは、釈尊…お釈迦さまの命日の法要じゃよ」
「命日…ですか」
 おじさんは、ゆっくりうなずいた。
「本当は旧暦の2月15日なんじゃが、月遅れの15日でやる寺が多くての。西遠寺も、昔からそうしとるんじゃ」

 お茶をすすると、おじさんは話を続けた。
「先月に総本山まで呼び出されての、修二会の手伝いをせよと…うちのように小さな寺では何にもできんが、去年のインド行きの口利きをしてもらっておる以上、むげに断りもできんで…。それで彷徨に、せめて西遠寺のことぐらい手伝えと言ったんじゃ。そしたら彷徨のヤツ、小遣いくれたらやるとか…」

「ちがうだろオヤジっ」
 いつのまにか、彷徨。
 肩で息、してる。
「おれが金かしてくれ、って言ったら、じゃ手伝え、って、言ったんじゃねーかっ」

「どっちでも大差あるまい?」
 彷徨はおじさんの頭の上から、
「あるんだよっ!」
 そう叫ぶと、茶の間へ下がっていった。

 しばらくすると、彷徨が上着を取り替えてきた。
「彷徨、メシはどうするんじゃ」
「いらねー、外で食ってくる…未夢、いくぞっ」
「ちょ、ちょっと、いくってドコ行くのよっ」
「どこでもいーぜ、おまえの行きたいトコ…おまえの誕生日だし」

 無愛想ぶって。
 でも、どっか、わらってる。

 急に、ほっぺたが熱くなった。
「わっ、わたしも着かえてくるから、ちょっと待っててっ」
「早くしろよ、おまえいっつも着かえるの時間かかるからなっ」
 彷徨は舌を出してた。

「わ…わかってるわよっ!」
 つよがってみても、かわらないけど。



 出かけた先で、お茶をして。
 彷徨は無愛想に「ほら」と言いながら、プレゼントをくれた。
 小さなアクアマリンのついた、シンプルな指輪。
 でもサイズ、ちょっと大きくて。
 合うのは右手のなかゆびだった。

 まぁ…ちょうどいいか、まだ中学生だし。

 彷徨がぼそっとつぶやいた。
「ちゃんとしたのは…もっと先で、な…」
「え?」
「いや…なんでもない」
 そのまま彷徨は、窓の外をながめてた。

≪お嫁さんですか≫

 そんな言葉を、思い出して。
 左手のくすりゆびが、うらやましそうに右手のなかゆびを見てた。

 いつか…そうだと、いいな…。

 そんなことを思いながら。
 いっしょに、窓の外をながめた。



「さて…わしは、カップラーメンでも…」
 お湯を注いで、ため息ひとつ。
「…来年からは、ちゃんと旧暦の2月15日にしようかのぉ」
 つぶやきながら、宝晶はほほえんでいた。


 李帆しゃんの「ホワイトデー&未夢バースディ」企画に投稿したものです。

 3月15日って、何か記念日ないのっ!?って調べてみたら、なんと「涅槃会」。モロお寺の行事じゃないですか(笑)
 まさか西遠寺では涅槃会やらない、ってことはないはずなので、これを題材に。いや〜、だいぶ勉強しました(^^; しかし彷徨がクリスマスで未夢が涅槃会とは…妙に宗教づいてるな(^^; なんだか逆っぽい気もしないでもないけど。

 冒頭で彷徨が読んでるお経は、「仏遺教経」というもので、お釈迦さんの遺言のようなものです。アニメなんかだと宝晶さんが般若心経読んでる場面もありますし、いつもの朝のお勤めはそうなんだろうと思いますが、この日は特別ですからね。
 しかし…彷徨の出番、少ないな(^^; ほとんど宝晶さんがいいトコ持ってってる感じもします(汗)

 まだお彼岸もあるし、その後は灌仏会(花祭り)と、3月から4月にかけてはお寺は忙しい時期。未夢がすねないように、彷徨、ちゃんとかまってあげなさいよ!?(笑)

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