水族館のある日

作:山稜

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「おまえって、ホント、ガキ…っ」
「あー、どーせわたしはコドモですよっ、彷徨みたいにオトナじゃないですっ」

 いつものことだった。
 なにが元で、そんな話になったんだったか、おぼえてないくらい。

 でも、今回はちょっと違った。
 そんなやりとりをして、彷徨が一歩、前に出た。
 そのときにふと、気がついた。

 彷徨って、あんなにおおきかったっけ…?

 背も、高くなってて…。
 背中も、ひろくって…。
 なんだか、話し方も、おちついてて。

「未夢?」

 声をかけられて、立ち止まってしまってたのに、気づく。

「あ…うん」
「どうかしたのか?」

 言い合い、してたんだっけ。

「べっ、別にっ」
「ふ〜ん」
「なによその『ふ〜ん』はっ、またバカにしてるでしょっ」
「べ〜つにっ?」
 彷徨は知らん顔して、すじ雲を見上げていた。

 余裕しゃくしゃくってヤツっ?
 まったく…ホントに…。

 でも…。



 はぁっ、と、ひと息。
 おおきな、ため息。

 自分ちの、居間のクッションを、ぎゅっと抱いてみる。
 いつだったか、遊園地の観覧車。
 ルゥくんを…抱きしめたっけ。
 そんなことを、思い出して。

≪おまえって、ホント、ガキ…っ≫

 彷徨はだんだん、オトナになってくのに、

≪どーせわたしはコドモですよっ≫

 わたしはずっと、おいつけなくて…。

「…未夢ってば、きーてる?」

 母の声で、われにかえる。
 そういえば、きょうはママが早く帰ってたんだった。

「ごめんごめん…っ」
「まったくもう…パパが出張でいないから、早く帰ってきたっていうのに…」
「やめてよママ、もう子供じゃ…」

 コドモじゃ、ないんだから…?
 ホントに、そう、言えるの…?

「で、どうするの?未夢がいらないんなら、総務の神山ちゃんにあげちゃうけど?」
「えっ、なに?」
「やっぱり聞いてなかったのね…だからぁ、水遊館のトワイライトチケットっ」

 水遊館といえば、ベイフロントの大型水族館。
 オープンからかなりになるけど、根強い人気。
 でも、水族館なんて、きょうみないし…。

「パパと行ってくれば、いいじゃない…っ」
「でもこのチケット、あさってまでなのよ…パパは土曜まで、帰ってこないし…」

 きょうは水曜。
 ってことは、期限は金曜。
 でも…ねぇ…。

「トワイライトって、5時からしか入れないんでしょ?」

 母が目を輝かせた。
「あらぁ、5時からが大人の時間なんじゃない」

 オトナの…?

「日が暮れると照明も変わるし、小さい子はいなくなるし…オトナのデートスポットの定番になってるんだけど…未夢はそんなコト、知ってるわけないか」

 また、コドモ…?

「し、しってるわよ…」
「じゃあどうする?行くの、彷徨くんと?」

 彷徨…。
 オトナ…の、…。

 未夢はだまって、手をさしだした。



 駅までの道。
「水遊館?あんなとこ、そんな夕方から行って、ちゃんと見れんのか?」
 彷徨は顔を前に向けたまま、目線だけを向けてきた。

「だって、オトナ…」
 そこまで言ったら、彷徨の顔がこっちに向いた。
 じっと、見てる。

「…ママがもらってきたのが、そーゆーチケットなんだから、しょーがないでしょっ」
「ん…まぁ、そーゆーことなら、しょーがないけどさ…」
「だから、あしたガッコが終わってから、行こうよっ」

 授業が終わるのが3時過ぎ。
 あしたの金曜なら、彷徨のいる進学クラスも、同じ時間に終わる。
 ショートホームルームを終わって、帰っても4時にはならない。
 それから用意して行っても、じゅうぶん開いてる時間にはいける。

「…そうだな、行ってみるか…っ」

 未夢は飛び上がりたくなるのを、こらえた。
 コドモじゃ、ないんだからっ。



 鏡のなか。
 母のスーツが、自分のシルエットに乗っかってる。

「ほらぁ、ちゃんと着れるじゃないっ」
 そういう娘に、母は釘をさした。
「着れてるけど…それ、わたしのお気に入りなんだから、よごしたりしないでよ?」
「お気に入りって…ミッシェルクランなんか、40歳過ぎて着る服じゃないでしょっ?」

 母は顔を赤らめた。
「べつにいーでしょ、20代向けの服でも…パパだって似合うって言ってくれたし、誰も文句なんか言ってないわよっ」
 娘は容赦なかった。
「でもわたしの方が、年齢的にはちかいもんっ」

 母はうなだれた。
「…いーわ、好きにしなさい…」

 顔を上げた母の目に入ったのは、真っ赤な口紅。

「未夢、これひょっとして、塗ってくつもり?」

 そう言われると、びくっとする。
 なにせ口紅って、塗ったおぼえなんか、ほとんどない。
 まして自分で塗ったことなんか、ぜんぜんない。

「そ…そうだけど…」
「お化粧なんかしなくても、十分じゃない…まだ17歳でしょ?」
「まだ誕生日来てないっ、娘のトシぐらい、ちゃんとおぼえといてよっ」
「16だったらなおさらじゃない…お化粧なんか、しなくたって」

 そんなこと…。

「いーのっ、あしたはお化粧、していくんだもんっ」
「でも未夢、お化粧の仕方って、知ってるの?」

 うっ…。
 いたいところを…。

 だまっていると、さらに追いうちがきた。
「知らないでしょ?」

 うなづくしかない。
 お化粧は、あきらめないと…いけない、かな…。

「じゃあ、ママがひと通り、おしえてあげるから…ちゃんと、おぼえるのよ?」

 思わず、母にとびついた。
 けれど、そのあと母がぼそっと言ったのには、気づかなかった。

「さて…彷徨くん、なんて言うかしら、ねぇ…」



 玄関を出てみると、彷徨はバイクの調子を見てた。

「お待たせ…」
「あぁ、だいぶ待っ…」

 彷徨が、じっと見てる。

「おま…っ」

 ママにおそわったとおりに、やってみた…。
 自分では、そこそこいけてるかなって、思うけど…。
 ママに借りた服も、着てみた…。
 自分では、そこそこ似合ってるかなって、思うけど…。

 どう…かな…。
 なんて、言ってくれるかな…。

「そのカッコじゃ、バイクは無理だな…っ」
 ぷい、と、彷徨はむこうを向いた。
 さっさと、バイクをかたづけた。

 なんか、言ってくれても、いーのに…。

 ハイヒールのかかとが、土を掘っていた。



 いりぐちを入ると、大きなカニ。
 中くらいの水槽ひとつ、貸し切り。
 すっごーい…って、くちに出そうなのを、こらえた。

 彷徨が首をかたむけて、ほほえんだ。
「へー…、足だけで、どれぐらいあるんだろうなっ」

 こんなとき、オトナはどう、こたえるんだろう?
 そういえば、クリスちゃんなら、わたしよりちょっとオトナっぽく見えるよね…。
 クリスちゃんならどう、こたえるかな…?

≪そうですわね、わたくしと彷徨くんとを抱きかかえても、まだ余りますわね≫

 …いや、そんなこたえを返したいわけじゃ、なくて。

「未夢?」

 返事、してなかったっけ。

「あっごめ…」
 って言っちゃうと、いつものとーりじゃないっ…。
 おちついて、おちついて。
「…ごめん、ちょっと考えごと、してたから」

「ふーん…」
 彷徨はそれだけ言うと、視線を水槽にもどした。



 熱帯魚に、かこまれてた。
 どうやって、ここまできたんだっけ。
 歩くのにいっしょうけんめいで、あんまりまわり、見れてない。

「具合…わるいのか…?」

 彷徨に言われて、きょとん。
 いつもなら「へ?」って、ききかえすところ。
 がんばって、オトナっぽく。

「ううん…だいじょうぶ」

 そう言いながら、足はもう、パンパン。
 5センチもあるようなヒール、はいたのなんて初めてだし。
 歩いてると、小指も、けっこう痛い。

 いつものショートブーツにしとけば、よかったかな…。
 でもあれじゃ、この服とつりあわないし…。

「でもおまえ…さっきから、おれの言うこともちゃんときーてないし…」

 無理してるとは、思われたくない。
 余裕しゃくしゃくで、かえしたい。

「だいじょうぶ、よ…しんぱい、しないで」

「だったら、いーけどさ…」
 彷徨は口もとをへの字に曲げた。
「きょうのおまえ、ちょっと、ヘン…」

 そりゃそーでしょーよっ。
 がんばって、オトナしてんだからっ。
 そう、さけんでやりたいけど、それじゃオトナになんない。

「そう…かな?」

 そう言って、水槽のほうに向いた。
 テッポウウオが、中にいた。
 とたんに、目の前で「バンっ」って音がした。
 びっくりして、声も出なくて、
 あとずさった拍子に、床にヒールがひっかかって、
 後ろにおもいっきり、こけた…。

 痛い…。

「だいじょうぶかっ」
 すぐ彷徨が、背中を抱きかかえてくれた。
 足を引こうとしてみて、痛みに顔がゆがんだ。

「ほら…っ、とにかく、あっちのベンチまで、いくぞ…っ」

 彷徨が肩を、貸してくれて。
 ほとんど抱きかかえられてるぐらいに、寄りかかって。
 なんとかベンチに、腰をおろして。

 彷徨はまっすぐ、前を向いた。
「だいたいおまえ、水族館みたいな、いっぱい歩きそーなトコに、慣れないクツ、はいてくるから…」
「だって…この服に合いそうなの、これしかなかったんだもん…」

「別の服でも、いーじゃん」
 顔が上げられなくて、いたんだ足をじっと見る。
「でも…この服のほうが、お化粧したとき、合うかな…って…」

 彷徨は不思議そうに、きいてくる。
「じゃ、化粧しなくっても、いーんじゃねーのか?」
「お化粧…したかったんだもん…」

 頭の後ろで、手を組んで。
「まだそんなの、しなくても…さ」
 下ろした足を、ぶらぶらさせた。
「だって…してみたかったんだもん…」

 見えないけど、彷徨の顔は、きっとあきれてる。
「なにコドモみてーなこと、いってんだよ…っ」

 コドモ…。
 やっぱり、どんなにがんばったって…。

 とどかない…。

 開いた目もとに、なみだがわいて、
 胸の奥から、ことばがわいて、
 あふれでた。

「どーせ…わたし、コドモだもん…っ」

 こっちを見てるひとも、いる。
 でも、なみだ、とまらなくって。

「彷徨みたいに…オトナじゃないもん…っ」

「おまえ…」
 彷徨が、前髪をかき上げた。
「そんなこと、気にしてたのか…っ?」

 ふうっ、と、ひと息。
 彷徨が、ため息。

「おまえって、ホント、バカ」

 反論する気にも、なれない…。
「どーせ…バカだもん…バカでコドモで、どうしようもないもんっ」
「そーじゃねーだろ…」

 彷徨が、頭を寄りかけてきた。

「おれは…オトナっぽくなってくおまえを見てて、あせってたんだぞ…っ」

 え…?

「話し方だって、前よりやわらかくなってるような気、するし…どこがっていーだしたら、きりないけどさ…」

 顔を上げた。
 彷徨の顔は、朱色に染まってた。

「だから…なっ、そんなに急にオトナになろうと、すんなよ…っ」
「でも…」

 彷徨は向こうの水槽を、ゆびさした。
「おまえはおまえのペースで、オトナになってけば、いーんだ…入り口のカニだって、いきなりあんなに大きくならないだろっ?」

 そうか…。
 そう…だよね。

 がたっ、と立とうとして、足の痛みを思い出した。

「いったぁーいっ!」
「あのさ…何度も同じコト、言うけどな…っ」
「へ?」
「おまえって、ホント、バカ」
「ほっといてよっ、これがわたしのペースなんだからっ」
「はいはい…って、ドコいくんだよっ」

 未夢は元気よく、言った。
「お化粧、落としに行くのっ!」



 呼び物の、ジンベエザメ。
「わぁーっ、おっきいねーっ!」
「これだけでかいと、ペポなみに、エサ食うんだろうなぁ…」

 ジンベエザメの下から、はりついてる。
「あっ、コバンザメ…っ」
 そういうと、彷徨の二の腕をとって、しがみつく。

「なんだよ…」
「へっへーっ、コバンザメだもんっ」
「ったく…」
 そういいながら彷徨は、ほほえんだ。

 向こうの奥の水槽から、クリオネがふたりに、笑いかけていた。


 12345Hitの神山楓華しゃん「デート途中に未夢が怪我をする」&にゃんさん「遊園地や水族館などでイイ雰囲気」がお題。#12345という特別な番号でもあって、おふたりからお題をいただきましたけど、どうやって結びつけるかな〜ってだいぶ悩みましたね(^^;

 遊園地で怪我しちゃうと、とんでもなく大変なけがになってしまいそうなのと、遊園地は別の話にとっておきたかったのとで、水族館になりました。須磨のと鳥羽のと大阪の海遊館がごちゃまぜになってますね(汗) ジンベエくんはもちろん海遊館のがモデル。クリオネちゃんは鳥羽で見たのが印象的で。須磨は1回行ったっきりですけど、風の強い日で表に出ると寒かったのを覚えてます。

 そばにいて、いつもかわらないと思ってた、同い年ぐらいの親しい人物に、ふと大人びたところを見てしまう…だれしも、とおる道です。読んでくれてる人の中には、まだこれからってひとも結構いるだろうけど、そんなもんです(^^; でもたいていね、相手もそう思ってるもので。それはいくつになっても、変わんないものかも知れないですけど…ね。

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