作:山稜
けさも、両親はいない。
学会だのなんだのと、あいかわらず出張は多い。
休みの日だというのに、自宅にはひとり。
でも、ひとりじゃない。
こんな朝でも、ごはんはひとりで食べなくていい。
おんなじ敷地、すぐとなり。
いてくれるから、さびしくない。
庭には、彷徨の父。
「おはよーございまーす」
「あぁ、おはよう未夢ちゃん…もうそんな時間かの」
「もーっおじさん、わたしだって、たまにはちゃんと起きることだってありますっ」
「ははっ、すまんすまん」
すずめが、次の言葉を呼んでいる。
「ではそろそろ、朝ごはんにしますかの…すまんが、彷徨を起こしてきてもらえんか」
「えっ、彷徨、まだ寝てるんですか?」
めずらしいことも、あるものだ。
たいていは自分の方が早く起きてて、なにやってんだとかなんとか。
こんなときぐらい、やりかえしてやろうかな。
「彷徨っ、起きてるっ?」
「…ん〜?」
「開けるよ?」
見ると彷徨が、ふとんにうつぶせ。
枕もとには、スタンドと、本。
スタンドなんか、つきっぱなし。
「うわ…もうこんな時間か」
休みの日じゃなかったら、とうに遅刻。
「なにやってんのよ、ったく」
思わず顔が、ほころんでしまう。
彷徨は何にも言わないけれど、クチの端っこがくやしそう。
今日はこのへんで、許しといてあげよう。
「おじさんが、朝ごはんにしましょうって」
「ん…」
◇
おじさんが本堂へ行ってしまうと、彷徨とふたり。
もうほとんど、あたりまえになってきた。
きょうはそれでも、ちょっとちがう。
あたりまえでない、彷徨のあご。
ちくちくと出てる、黒いもの。
ふきだしてしまった。
「なんだよっ、ひとのカオ見て笑ったりして」
「だって、彷徨の無精ひげなんて、めずらしーんだもんっ」
「あー、そーか…剃るの、わすれてるな…」
すくっと立ち上がろうとするのを、止めてみる。
彷徨が、首をかしげる。
そのあごに手を、のばしてみる。
「なにすんだよっ」
赤い顔の彷徨は、いつもとちがって、ちょっとかわいい。
「いーじゃない、ちょっとさわってみたってっ」
手のひらで、なでてみる。
ぞりぞりとした感触が、気持ちいいような、おもしろいような。
「やめろって」
「まーまー、もーちょっとだけ」
読経が、聞こえてきた。
ってことは…。
「やーん、もーこんな時間っ」
「なんだおまえ、きょう、どっか行くのか」
「え…バイト…」
彷徨が、あきれ顔。
「サ店?」
首を、こくこく。
「例の?」
こくこく。
「外れの?」
こくこく。
「…夏休みの間だけ、って、言ってなかったか?」
こく…ん。
時間がなくなるからやめとけって言われてて、
ぜったいやるって言い張って、
結局夏休みも、宿題とか、いろいろ教えてもらった…。
笑ってごまかすしか、ない。
「おまえのことだから、どーせ断りきれなくて、そのままずるずる、だとは思ってたけど、な」
「あのっ、ほらっ、土曜日だけ!土曜日だけだからっ、ねっ」
視線に、刺される。
ちいさくなってしまう。
彷徨が深いため息を、ひとつ。
「ほらっ、行かないとおくれるぞ…」
「あっ…ごめんっ、いってきますっ」
未夢があわてて、飛び出していく。
彷徨が深いため息を、またひとつ。
◇
店のドアの小さな鐘が、小気味よい音を立てる。
「いらっしゃいませ…あれっ、三太くんっ」
「あっ、未夢ちゃん…なんだ、まだバイトしてたんだぁ」
注文のコーヒーを、テーブルに。
見てみると、三太も無精ひげ。
「三太くんも、寝坊したの…?」
「え?」
きょとんとした顔の三太に、未夢が続ける。
「ほら、あご…無精ひげ、じゃないの?」
「あぁ、これ?まぁ、そうなんだけど、わざと剃ってこなかったんだよぉ」
わけを聞こうとして、ドアの鐘の音に呼び止められる。
同い年ぐらいの、女のコ。
どうやら三太の、連れのコらしい。
テーブルでなにやら話をしていたかと思うと、
「もうっ、三太くんなんかキライっ!」
おこって出て行ってしまった。
三太はそのまま、座っている。
「追っかけなくていーのっ?」
さすがに気になって聞いてみる。
「いーんだよ、思ったとーりだったからさぁ」
その先を聞くのを、ドアの鐘の音がまた止める。
今度は…
「あれぇ、彷徨じゃん」
三太はコーヒーカップを持って、カウンターへ移った。
「おまえとこんなとこで会うなんて、めずらしーなぁ」
「まーなっ…」
無精ひげが彷徨の目にも、止まった。
「なんだよおまえ、伸ばすのか?」
「あぁこれ?ちがうよ、ちょっと確かめたかったからさぁ」
「なにを?」
未夢も興味津々に聞く。
「知らない?ある程度長く付き合ってるとさぁ、ときどき、こいつホントにおれのこと好きなのかって思ったりするじゃん」
こくこく。
「そんなとき、男の方が無精ひげ、生やしておいてさぁ」
こくこく。
「女のコの方が触ってきたら好かれてる、嫌がったらあんまり好かれてないって」
こく…ん。
ふっ、と、手のひらによみがえる感触。
未夢は彷徨の方を見た。
さすがに、無精ひげは剃ってきてた。
でも…感触が、消えない。
「まっ、おまえと未夢ちゃんの間じゃ、確かめるまでもないだろーけどさぁ」
笑ってごまかすしか、なかった。
その日1日、未夢の手のひらから、消えなかった。
その日1日、ひっくり返したコーヒーは、2ケタにのぼった。
#6666Hitのぎやりいさんからいただいた、「ひげ」がお題でした。
ひげといえば、ワンニャーか宝晶…と思ったんですが、ちょっとひねってみました。ここんとこ、SFぽいのが続いてたんで、基本(笑)に戻ろうかなと。
時期としては、高1の9月ってとこでしょうか。「同好会の〜」でも、バイトしようかなと言っていた未夢ですが、結局やってみてるわけですね…となると、場所はあそこしかありませんねぇ(笑) ってわけで、例の街外れの喫茶店です。わたしもよく訪ねてますが(笑)
しかし…三太くん、いーのかね、そんなに簡単にあきらめて!? いまどきの女のコ、そんなんじゃつなぎとめておけないぞ!?(^^;